プロローグ
まどろみ。
視界は閉ざされ、闇の中であるにもかかわらず、目の端にはうっすらと明るさを感じ、時折、淡く弾ける様な光の瞬きを感じる事もある。
それは夢と現実の間、意識と無意識の境界であり、すなわち「扉」と言えるのかも知れない……
◇
「うぅ…… まだ寝てたい……さっきの夢楽しかったのに……。 でも、なんだっけ? 忘れた…… 仕事かぁ……」
頭まで布団を被り、ゴソゴソと身を捩って、寝返りをうちながら、布団の端から腕を伸ばした。
そろそろ起きる時間なのだが、目覚ましのアラーム音で起こされるのは嫌いだ。びっくりして心臓に悪い、出来ればそんな起き方はしたくない。
そして、無意識に頭の上に置いてあるスマホを取り、そのまま布団の中に仕舞い込んだ。
いつものようにまどろみながら、こもったアラーム音が鳴るのを待っていた……
………
「……? ……アラームが鳴らない?」
いつもなら数分でスマホのバイブ(強)とミュート気味のアラーム音に起こされるのだが、今日はいつまで経ってもアラームが鳴らない。
「寝過ごした!?」
まどろみから一転、焦りの気持ちと共に、意識は一気に覚醒していく。
今日は仕事で大事なプレゼンがある。昨夜は遅くまでその準備に追われ、ベッドに入ったのはすでに明け方だった。
「朝食は抜く。身支度だけして車を飛ばせば間に合う……」
と、一気に覚醒に向かう頭で考えつつ、勢い良く目を開けたのだが……
!
「なんだ……? ここは……?」
バッ! と音がしそうな勢いで開けた目に飛び込んできたのは、寝室の天井ではなく、青と黄色だけの世界だった。
唐突に現れたその光景を前に、それまで考えていた仕事や朝飯の事などは全て吹き飛び、ただ茫然とするしかなかった。
「空……と、砂? 砂漠か? ……砂が光ってるように見えるけど、これは……?」
ベッドから飛び起きるつもりだったのだが、そこはベッドの上ではなく外だった。混乱しながらも、理解しようと頭をフル回転させた。
見渡す限りの青い空と黄色い砂漠が広がり、目の前にある砂は僅かに明滅している。夜ならはっきり見えるだろうが、明るい今は、砂の色に溶けてよく見えない。
そして、何故か体の動きが鈍い…… と言うより、体の感覚が薄かった。手もボヤッとしてるし、足も感覚がほとんど無い。いや、爪先の感覚はある、一応動かしている気がしないでもない。
だが、どうにも首から下の感覚がおかしい。ベッドで横になってたハズなのに、今は…… 立っている(と思う)
それにしても、黄色い地平線がこんなに綺麗だとは……
なんて、感傷に浸っている場合ではない。と思って目線を下に向けた
「埋まってんじゃねーか!!!」
そう、砂の上に頭部だけ出し、首から下は砂に埋まっていたのだ。
「そうか、これは夢だ…… 二度寝中の夢だ…… よし、起きるぞ、起きるぞ……」
咄嗟に目を瞑り、砂の中で感覚の薄くなった手を、祈るように胸の前で組ん(だつもり)で、「起きろ~ 起きろ~ 」と念じてみた……
五分くらいは念じていただろうか。一向に目覚めない事に少し焦りを憶えた頃、突如、何者かが砂の中の体をガシッと掴み、ギューッと引っ張っている感覚がしてきた。
それと同時に、後ろの方から、足音と女性らしき声が近付いて来た。
「……まぁ~……さまぁ~……」
「……誰? 女の子? 砂漠に!? ……もしや俺を埋めた犯人なのか!?」
不安にかられながら、どうにか抜け出せないか考えていたが、腕も土の中で動けない。
すると、砂の中で体を引っ張っていた力が、不意に抜け、直後、再び物凄い勢いで、下に引っ張られた。
ガツッ!!!
「アゴガッ!!!」
顎を地面に打ち付けられ、奥歯から火花が飛び散った気がした。首の骨が外れるんじゃないかという勢いだ。
下にいる誰かは一体何をしているのだろう? 助けようとしてるのか? それともトドメを刺しに掛かっているのか?
…と考えている間にも、顎は地面に幾度となく打ち付けられ、みるみる顔から血の気が引いていった。
「ヤバい…… かも…… ゴブッ、夢だから…… 死にはしなグブッ いけど、緩急つけてベッ 引っ張んブッじゃねー!」
何度も地面に打ち付けられた顎は砂に埋もれ、口や鼻も砂にまみれ、息も絶え絶えになっていると、真後ろに人の気配を感じた。
それは、先ほど声がした女性だったが、突然後頭部を掴み、何かを喚きながら、勢い良く前方の地面に押しつけたのだ。
「 ……ごめんなさ~い、失敗しちゃいましたぁ~! 一回戻ってください!!」
ガフッ!!!
顔から砂に突っ込んでしまった。埋まった顎を支点に、顔が砂に押し付けられる。
……息が出来ない! 詰んだ、完全に詰んだ。横から見れば「首、折れてんじゃね? 」と言わんばかりの角度がついて、実に顔面の三分の一が砂に埋まってしまった。
「 ……送還~ えぃっ!」
そして、ファンタジーな掛け声が聞こえたと思ったら、顔の周囲の砂が光の粒と共に宙に舞い上がり、目の前の地面がボーッと光を放ちながら消え、ポッカリと真っ黒な穴が口を開けた。
下から引かれていた力そのままに、真っ暗な空間に投げ出され、爪先から滑り落ちるようにして落ちて行った。
それまで体を掴んでいた手の感覚は既に無い。
猛スピードで落ちていく傍ら、視線の片隅で誰かが手を振っている様な気がしたので、それがさっきの引っ張り魔だったのかもしれない。
そして頭が抜けたおかげで、自分の体を見る事も出来た
先ほどまでの、体の感覚が薄いとの感覚は、文字通り薄かったからだったようだ。
それは、薄く引き伸ばされた半透明な体が、真っ暗な空間のはるか下まで続いており、爪先が見えない。何故そんな事になっているのか分からないが、痛みがある訳でもないのでまぁ良しとしよう。
だが、伸ばされ過ぎて途中で切れたりしてないだろうか。
いや、切れてはいない、爪先の感覚もある。ずっと先だけど、確かにあって今も動かしている気もする。
ただ、物凄い勢いで、爪先のある方向へ円を描きながら進んでいるので、頭や体が爪先を中心に巻き取られている様な感じだ。
これは、掃除機のコードリールのようだと言えば分かりやすいかも知れない。
だが、ただ巻き取られているだけではない。
薄かった体は次第に厚さを取り戻し、爪先にしかなかった感覚も徐々に腿や体にまで広がっていき、暗かった視界も白い光に包まれていった。
そして、その感覚に体全体が満たされ、体の厚さも大きさも元通りになる頃、ボフッという音響と共に、溢れ出る心地よい感覚にさらされ……
……意識も闇に閉ざされ、溶けていくのだった。