覚醒した聖女は自国を去る
遠い昔に恋をした。
「俺のお嫁さんになれ! 必ずリディを迎えに行く! だから待っていろ!」
別れ際に彼が言ったその言葉に私は頷くことができなかったけれど、今でも胸の中にある大切な思い出。
あの時やっぱり頷かなくて良かったと思いながら私は刑場の階段を上った。
断頭台から眺めた景色は異様なものだった。
これから人が殺されるというのに、集まった人達の瞳は観劇でも観るかのような興奮に包まれている。そこに憐憫や同情といった感情は皆無だった。
罪人である自分を罵る声とこれから行われる残虐な行為に好奇の瞳を向ける人々を見て私は戦慄した。
私を連れてきた兵士が断頭台へ横になるように促す。ふと視界に入った兵士の青い髪に遠い昔を思い出し慄いてしまった心が静まる。
こうして私はその生を終える瞬間を迎えた。
フランジル王国ライオネット侯爵家の娘として生を受けた私リーディアは7歳の時にこの国の第1王子ヨハンと婚約した。王家と有力貴族である侯爵家のいわゆる政略結婚である。
それまで領地の野山を駆け回って自由に遊んでいた私はこの日を境に突然王都へ連れていかれ、その後10年も厳しい王妃教育を受けるはめになった。途中何度もめげそうになりながらも侯爵家に生まれた者の務めと歯を食いしばってがんばった。
政略結婚の相手だったが同じ齢のヨハン王子との仲は普通だったと思う。彼は毎回ちゃんと夜会にはエスコートをしてくれたり、頻繁にプレゼントも贈ってくれたりしていた。他の令嬢と噂になることはあったが政略結婚の相手などそんなものだと割り切っていた。というのも私は彼に恋心を抱いたことはなかった。それでも貴族令嬢として生まれた義務としてヨハン王子との結婚を受け入れてはいた。
幼い頃に抱いた自分の恋心は封じ込めて、私は未来の王妃としてこの国のために尽力していたつもりだった。
そんな私の未来はある日突然崩れ去った。
隣国と領土問題で諍いが起こった頃、侯爵であり宰相でもあった父が暗殺されたのである。国の要職に就く父が暗殺されたことに王家も侯爵家も犯人探しに躍起になったが、結局半月たっても暗殺者は捕まらなかった。
王宮で殺された父の遺体は検視のためとのことで家に帰ってくることはなく、私達家族は遺体を見ることも叶わないまま、国民を不安にさせないために表向きは病死として父の葬儀を終えなければならなかった。
そのうちに父が隣国と組み王家を転覆しようとしていたため王家の影によって粛清されたという根も葉もない噂が立ち始めた。
父の無実を信じていた私達家族だったが母は心労に倒れ兄は王城へ弁明に上がったがそのまま帰ってくることはなかった。
王妃教育は中断され自宅謹慎を言い渡されていた私だったが、いつまでたっても帰ってこない兄の身が心配になり王城へ出向くことにした。謹慎中だが王太子の婚約者である私を邪険にはしないだろうとあの時の私は甘く考えていたのだ。
私の姿を見た顔なじみの衛兵は明らかに動揺していたがヨハン王子の元へ案内してくれた。しかしその途中で父の代わりに宰相となった人物が現れ彼の執務室へ連行された私に告げられた言葉は、到底すぐに信じられるものではなかった。
「貴女とヨハン王子との婚約は破棄されました。ライオネット侯爵家は王家転覆を計画した罪でお取り潰し。貴女の兄上はお父上の片棒を担いだことで既に毒杯を呷っていただきました」
「……何ですって? ……」
「ヨハン王子の婚約者は私の娘アマーリエに決まりましたのでご心配なく。国王はライオネット侯爵の王家転覆の計画をご存じで此度の処分となりました。とはいえ元宰相が謀反を計画していたとあっては国民が不安になりますので、貴女が父と兄を殺した罪悪人ということで処刑されることになりました」
「な⁉」
「そうですね。貴女の罪を詳らかにするためにも公開処刑がいいでしょう」
そう言って宰相は薄汚い笑顔を浮かべると素早く私の口元へ白い布を押し付けてきた。
布は僅かに湿り気がありそれが睡眠薬だと理解したのと同時に私は意識を手放した。
目を覚ましたときには私は牢屋に囚われていた。どんなに無実を訴えても聞き入れられることはなかった。
一度だけ面会に訪れたヨハン王子はアマーリエの腰を抱いて酷薄な笑みを浮かべていた。彼と何を話したのかは覚えていない。
というのも王子が来る直前に母が自害したと告げられたからだった。
兄が殺され私が捕らえられたことを知った母は私の身を案じて奔走したそうだが、親しくしていた友人にも見放されどうにもならず自害したらしい。しかも私の無実を訴えながら屋敷の塔から投身自殺を図ったそうだ。
きっと自らが犠牲になれば少しは耳を傾けてくれると思ったのだろう。人のことは言えないが母はどこか甘い考えがある人だった。
結局、母の命を懸けた訴えも虚しく私の処刑は覆らなかった。
母の死を伝え聞いた私が王子らの話すことなど耳に入らなかったのは無理もない。
牢番に無体な事をされなかったことだけが救いだったが、私は日に日にこの牢屋の冷たい石の床のように自分の心が冷えていくのを感じていた。
そして投獄されてから数日が過ぎた頃、裁判を受けることもなく私の死刑は異例の速さで確定されたのである。
断頭台へ横になるとちょうど正面はアマーリエを侍らしたヨハン王子が着座している王族席だった。少し高い席へは王と王妃もいてこちらを眺めている。
私を食い入るように見つめるその瞳は期待と興奮で彩られており、まるで特等席で劇が始まるのを待つような顔だった。集まった住民も同様の顔で私を見ている。
街の慈善事業や奉仕活動を率先して行っていたので見知った顔もちらほらあったが、どの顔にも私を憐れむような表情をしている者はいなかった。
私が自分の気持ちを押し殺して今まで頑張ってきたことは何だったのだろう?
残酷な王族、残酷な国民、見捨てられた自分、そのことを目の当たりにして私の心は絶望に染まった。
プツリと縄が切れる音がしてそれが自分の首を落とす刃が切って落とされた音だと認識し反射的に目を瞑る。
すぐにやってくるだろう衝撃に備えたのだがそれは来ず替わりにふわりと身体が持ち上げられる感覚に瞼を開ける。
目の前には知らない男の顔があった。
抜けるような空を思わせる青い髪に射貫くような強さを持った漆黒の瞳の男だった。
あまりの至近距離に思わず私が仰け反ると男は私の顔を覗き込みにっこりと微笑んだ。
「助けるのが遅くなってすまない。もう大丈夫だ」
そう告げた男は私の髪へ口づける。
状況がいまいち飲みこめないが、私はどうやらこの男に助けられ横抱きにされているようだった。先程の縄を切る音は私を拘束する縄を切った音で、腕は痺れているが自由に動かせるようになっていた。
知らない男だと思ったその顔は、しかしよく見れば私の牢番だった男であった。そういえば私を刑場へ連れてきたのもこの青い髪の男だ。
誰一人、婚約者でさえ私を信じず助けてくれなかったのに、牢番のこの男だけは終始無言だったが労わるような瞳で私を見ていてくれたことを朧気に思い出す。
その黒い瞳に懐かしい誰かを思い出して、絶望に染まった私の心に小さな光が灯ったような気がした。
その瞬間、自分の身体から眩いばかりの光が溢れ出す。
光は断頭台から広場へ広がりやがて王都全体を覆いつくすと急速に結集し、私の胸に吸い込まれていった。
驚く私同様、何が起こったのかわからずしんとしていた広場に王のはしゃいだような声が響く。
「聖女だ! やっと覚醒した!」
「ええ! これで隣国との戦争にも勝てますわね」
王と王妃が手を取り合い満面の笑みを浮かべてこちらを見ている。
「リーディア!」
ヨハン王子がアマーリエを乱暴に押しのけて満面の笑みで私の方へ駆けよってくる。
王子は金色の輝く髪をかきあげると牢番に横抱きにされている私の元へ駆けつけ破顔した。
「リーディア! やっぱり君は聖女だ! 良かった、違ってたらどうしようかと思ったよ」
怪訝な目を向ける私に王子は屈託ない笑顔を見せる。
「あのね、君が冤罪だというのは僕も父上も知っていたよ。わかっていたけどこうするしかなかったんだ」
「な、何を仰っていますの?」
ヨハン王子の言葉に私は理解が追いつかない。
冤罪だと知っていた?
こうするしかなかった?
「ライオネット侯爵家は聖女の家系だ。でも聖女として覚醒するには清らかな乙女のまま絶望に打ちひしがれないとダメなんだよ。大変だったんだよ? 君は僕が浮気をしても全然落ち込まないし、王妃教育で嫌がらせをしても音を上げない。聖女の覚醒の条件は処女だから手っ取り早く凌辱ってわけにもいかないし、仕方ないから君の家族と君自身を貶める作戦に出たんだけど上手くいってよかった」
私を聖女にするために家族を貶めた?
上手くいってよかった?
呆ける私の前でヨハン王子が喜々として言葉を続ける。
「聖女の血筋がいるだけでも国はそれなりに栄えるらしいんだけど、覚醒して祈りを捧げれば魔法を使えるらしいんだ。身体強化や体力増強といった魔法を兵士に使用すれば我が国の軍隊は最強だ。リーディアにはこれから不眠不休で兵士たちへ魔法をかけ続けてもらう。良かった。これで隣国との戦争に勝てるんだから犠牲になった君の家族も本望だよね」
悪びれもなく言い放った王子に私は背筋が凍るのを感じる。
この人は私を、家族を、何だと思っているのだろうか。国さえ良ければそれでいいのか。
そんな王子の言葉に歓声を上げる民。
私は絶句するしかなかった。
私が自分の恋心を諦めたのはこんな国のためだったのか。
貴族だから国のために犠牲になるのは仕方がないと思っていたが、こんな仕打ちにまで耐えねばならないのだろうか。
心に黒い靄がかかってくるような感覚に襲われた私の耳元で小さな呟きが聞こえた。
「屑が……」
その言葉が聞こえた刹那、ヨハン王子の姿が私の視界から忽然と消えていた。
同時にガシャーンという派手な音がしてそちらを見ると、顔面を凹ませ鼻血を噴き出しているヨハン王子と思われる人物が刑場の柵に倒れこんでいた。
一瞬呆けた私だったが、王子の無様な恰好は私を抱いた男がノーモーションで殴打したからだと気づいて青褪める。私だって殴りつけたいとは思ったが本当に王族を殴ってしまっては極刑は免れない。
私を唯一温かい目で見てくれたこの男を罪人にはしたくなかったが、倒れた王子はひしゃげてしまった鼻を手で押さえながら目を剥いて怒りを露にした。
「な、何をしゅる⁉」
「民を思いやらない王族など不要だ。貴様が彼女と彼女の家族にした仕打ちは到底許せるものではない!」
「リーディアは貴族だ! 民ではない!」
「貴族も守るべき民であることに変わりないだろう! 大体聖女が覚醒する条件さえ誤って認識している! 聖女が絶望に染まっただけでは覚醒などしない。絶望に染まったあとに希望を持たなければ聖女の心が壊れる。そうなれば神々の逆鱗に触れ二度と聖女が誕生しなくなるということを知らなかったのか⁉ だからこの国の歴代の王たちはこれまで誰も聖女を覚醒させるなどという博打は打たなかったのだ!」
男の言葉に観衆も騎士もどよめく。ちらりと視線を向けると王と王妃が真っ青な顔をして立っていた。暗愚とまではいかないが凡庸な王と自分を着飾ることにしか興味がない派手な王妃、そして見てくれだけは美しい無能な王子。
自国の王族の低能ぶりに私がそっと溜息を吐いたところで近衛騎士に助けられ立ち上がったヨハン王子が喚き散らした。
「た、たかが兵士が知ったような口をきくな! 衛兵! こいつを不敬罪で捕らえろ! ……そうだ! このまま断頭台を使って処刑してしまえ! リーディアは傷つけるな! 覚醒した聖女ならば私の正妃に相応しいからな」
「そんな! 殿下、話が違うじゃないですか⁉」
ヨハン王子の言葉にアマーリエが抗議の声をあげるがそれは全く無視され、男の発言で動揺していた兵士達が一斉に動き出し私達を包囲していく。
私は唯一優しくしてくれたこの男を助けたいのと、家族を死に追いやった王子に利用されるのが嫌でギュッと男の服を握りしめてしまっていた。
「たかが兵士か……」
フっと嘲笑うような声が聞こえて彼を見上げたのと上空から羽音が聞こえてきたのは同時だった。
バサバサという風切り音と共に旋風が巻き起こる。
何事かと上空を見上げた者が押し殺したような悲鳴を上げた。
断頭台の頭上には数十騎の竜騎士が旋回していた。そしてその背後には空を覆い尽くす程の竜騎士部隊が展開している。
竜騎士1騎は歩兵30人に匹敵する戦闘力を持つといわれている。
その存在は貴重で我がフランジル王国は1騎も所有していない。いや我が国ばかりかこの大陸で竜騎士を所持している国は北の大強国オルコット帝国しかないはずだ。
呆然と空を見上げる中、頭上を旋回していた1騎の竜騎士が滑るように下降し私達の前で竜から降りると頭を垂れた。
「お迎えにあがりました。殿下」
「ああ。手間をとらせた」
私を抱いた男がニッと笑って、その顔が遠い記憶と重なる。
「リ、リラン?」
「漸く思い出したか。遅いんだよ」
拗ねたように私の頬を軽くつまんだリランに私は驚きが隠せない。
「な、何で? どうしてリランがここに? それに殿下って?」
リランは混乱する私の頭を撫でると悪戯っぽい笑顔を向けた。
「俺はオルコット帝国皇太子リアランテューヌ・ド・オルコットで、冤罪をかけられた幼馴染リーディア・ライオネット侯爵令嬢を助けに来ただけだが?」
「帝国の皇太子? って……そんなの聞いてない!」
「言ってなかったからな。お前と遊んでいた頃の帝国は政情不安で俺はライオネット侯爵領の隣地である母親の実家に避難していたんだ」
「知らなかった……」
私がそう零すと牢生活ですっかり汚れて絡まっていた髪を更にグシャグシャと乱暴に乱される。堪らず私がジト目で見上げるとリランはクククと快活そうに笑った。
「さぁ、行こうか。俺の花嫁」
「え⁉ は、花嫁? って、ええ⁉」
「忘れたのか? 必ず迎えに行くと約束したのに?」
射貫くような黒い双眸に忘れられなかったあの日のリランの言葉が甦る。
『俺のお嫁さんになれ! 必ずリディを迎えに行く! だから待っていろ!』
「でも私はあの時頷くことが出来なかったのに……」
私の言葉に目を細めて笑ったリランは幼い頃大好きだった彼と同じ表情のままで、途端に胸の鼓動が速くなる。
「確かにあの時リディは返事をしてくれなかった。君はヨハン王子と婚約することが決まってしまったから」
「……」
「俺は心底後悔したよ。俺の皇太子としての基盤が盤石ならリディをみすみす他の男に渡しはしなかったのにと。だからそれから必死で努力した。漸く皇太子になって強国の威信でリディを横取りしようかと本気で考えたりもした。
でも、もうその婚約は破棄されている。だからもうリディが俺の誘いを断る理由はないはずだ」
そう言うとリランは私を抱き寄せ耳元で甘く囁いた。
「俺は肯定以外の返事を聞く気はないからな」
「リラン……」
「もう一度言う。リディ、俺の花嫁になれ……返事は?」
「……はい」
小さくコクンと頷くとリランは破顔し私を横抱きにしたまま竜騎士が連れてきた竜へ向かう。そこへヨハン王子の怒声が響いた。
「貴様! リーディアを、聖女をどこへ連れて行く気だ!?」
「先程のリディとの会話を聞いていてその態度か? 不遜にも程があるな、弱小国の王子よ」
「な! なんだと!?」
「聖女の覚醒に頼らなければならないほど国力を弱め、その罪を前宰相に擦り付け、侯爵家を断罪しリディを傷つけたこんな国など本来なら今すぐ潰してやりたいくらいだ! だが今は衰弱した彼女を連れ出すことの方が先決だ。お前たちが利用し虐げたリディは俺が貰い受ける。勿論我が正妃としてな。
異論は認めん。弱小国でないというのであれば我が帝国へ刃を向け力ずくで奪い返してみるがよい」
リランの言葉にヨハン王子は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
オルコット帝国はこの大陸では並ぶものがない圧倒的な強さを誇る竜騎士団を擁する強国だ。その帝国と戦う術などたかが隣国との領土問題で窮しているフランジル王国にあるわけがなかった。
だがヨハン王子は諦めが悪いのか今度は私へ憎悪の眼差しを向け言い募る。
「リーディア! この国を見捨てるのか⁉」
王子の言葉にリランに助けられて竜の背に乗ろうとしていた私の動きが止まる。
振り返った私はゆっくりと首を傾げた。
「捨てる? いいえ、この国が私を捨てたのですわ」
冷たく吐き捨てればヨハン王子が目に見えて狼狽する。
「待て! そなたがいないと! 聖女がいなければ我が国は!」
「王族には民を守る義務があります。ですから貴方が私にしたことは、非道ではあってもこの国を守るためには仕方のないことだったのかもしれません」
「それなら!」
「ですがそのために父と兄を殺し母を死に追いやったことを私は赦せません。リランが助けてくれなければ……私だって死んでいた。フランジル王国のリーディアは今日死にました。この国が享受していたライオネット侯爵家の聖女の恩恵は、王家が侯爵家を謂われなき罪で断罪したため途絶えました。国民の皆さん、これからどんな試練が待ち受けているか想像もつきませんが頑張ってくださいまし。それが貴方達が断頭台の前で喜々として私の死を望んだ末の結果ですから」
にっこりと微笑むとリランが労わるように私の髪を撫で竜へ跨らせる。そのまま私の背中を包むように後ろへ飛び乗った。
背後から住民たちの怒号が飛び交う声と王子と国王が罵り合う声や王妃とアマーリエの悲鳴が聞こえてきたが、徐々に高度を上げてゆく竜の羽音にかき消されやがて完全に聞こえなくなっていった。
竜の背に乗って風を切る音を聞きながら遠ざかる故郷を眺めていた私に後ろから声が掛けられる。
「大丈夫か?」
「ええ」
故郷を捨ててももう涙は出ない。私の涙はあの地下牢でとっくに涸れてしまったのだから。
抑揚のない返事をした私をリランが後ろから抱きしめる。
「リディが絶望に染まっていくのを見ているのは辛かった。何度か脱出させようと試みたが思いの外警備が厳しかった。……すまない」
「ううん、リランはこうして助けてくれたじゃない。あの時助けてくれたのが貴方だったから私は希望を持つことができた。ずっと……リランのことが忘れられなかったの」
「俺もリディのことが忘れられなかった。やっと会えた……俺はお前の心からの笑顔が見たい」
「リラン……」
リランの言葉に私は答えることができなかった。
リランと一緒にフランジル王国を離れられたことは嬉しいが、家族を殺された私がこの先心から笑える日がくるのかは自分でもわからなかった。
黙り込んでしまった私の頬をリランがチョイチョイと突つく。首を傾げてリランを振り向けば彼は私を突いた指を真横へ動かした。
リランの指した方向へ視線をうつした私は驚愕で瞳を見開く。
「リーディア!」
視線を移した先、竜騎士に支えられながら私を呼ぶ兄の姿が信じられなくて目を凝らす。
驚いてリランの方を振り返ると優しい表情を浮かべた彼と目があった。
「毒杯を仮死状態になる薬にすり替えといたんだ。ライオネット侯爵も腹部を刺されたが生きているし夫人も大怪我はしているが無事に保護できた。リディを手に入れるためにフランジル王国へ何度も潜入していたのが功を奏したらしい」
そう言って照れたように笑うリランを見て、私の頬を涸れ果てていた涙が伝った。
「あり……がと……う……、ありがと……う……リラン!」
泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてくれるリランの手を取って、私はもうずっと昔に置き忘れていた心からの笑顔を彼に向けた。
そしてあの日言えなかった想いを告げる。
「私、リランが好き! 大好き‼」
私の言葉を聞いて一瞬天を仰いだリランが「破壊力最強」と呟いてギュウッと抱きしめてきた。
「隠蔽工作めちゃくちゃ大変だったけど、やっとリディの笑顔が見られたから帳消しだ」
そう言うと素早く私の唇に唇を押し付けて不敵に笑う。
「リディ、これから今まで会えなかった分まで、めちゃくちゃ甘やかしてやるからな。覚悟しろよ?」
耳元で囁きリランは私を支える腕に力をこめて悠然と空を駆る。私は竜の背で風を受けながら生まれ育った国を笑顔で後にした。
◇◇◇
自分たちの希望であった聖女が他国へ立ち去る様子を傍観するしかなかったフランジル王都では、竜騎士の最後の1騎が見えなくなった頃、民衆が王家を糾弾し騎士団も反旗を翻したため断頭台がその日だけで何度も使用された。
そして王家を断罪した民もまた攻め入った隣国によって蹂躙されフランジル王国は滅亡したのだった。
最後までご高覧いただきまして、ありがとうございました。