出双那荘の陽炎
大学から徒歩15分位の場所に築年数の古い学生専用のアパートがありました。
1階4部屋、2階4部屋、正面右側に鉄製の錆びれた階段があり、建物はとても古く、もし誰かが2階に上がってくる事があれば階段の軋みが響き、その音で解る位です。
アパートの名前は出双那荘。各部屋1R、バストイレ別、収納スペース有。
そのアパートには夜な夜な『出る』と噂がありましたが、学校の近くで安い物件なので少女は入居を決めました。そして『噂』は『真実』である事に気が付くのです。
深夜ふと目が覚め、自分以外誰もいない筈なのにカタリコトリと音が聞こえる。始めは隣の部屋から聞こえるかと思いましたが、その割に音が近く感じました。目線を彷徨わせ、そして台所の辺りに人影を見つけ、目を凝らし恐る恐る見てみると、栗色のロングヘアを後ろで纏める女性が、けれど膝から下は薄れ、陽炎のように立っていました。『立っていた』は語弊があるかもしれませんが。
そして彼女は振り返りこう言ったのです。
『あと少しで朝ごはん出来ますから、そろそろ起きて下さいね』
「うぎゃあ、もう怪談話やめ・・・は?朝ごはん?」
「はい、美味しかったです」
大学1年生になり忙しくしていたが、今日はめずらしく3限目以降授業がないので、私以外も授業がない友人を誘い食堂の片隅を陣取って、私 小林 里見、そして友人の西村 奈津美、山崎 真由のメンバーで話をしていた。
食堂の壁や柱には煉瓦柄の壁紙が張られており、中庭に通じる廊下とグラウンドに面する壁には大きなガラスが張られ、春の晴れた日は日差しが入り過ごしやすい空間になり、学生に人気が高い。
始めは授業について話をしていたが、段々脱線していき最近真由がサークルの『オカルト研究』に入ったと言った所から始まり、私は怪談話は苦手だから止めてと言ったら、奈津美が面白がって語り始めた、体験談を。
「え?奈津美ちゃん、あのアパートに住んでるの?倍率高かったのに!」
「はい。抽選に当たりました。真由さんはご存じなんですね」
「そりゃそうよ!いいなー!」
「まって、まって!なんで『出る』のに人気なの?家賃が安いとか?」
2人の会話が理解できない。幽霊だよ?出るんだよ?
「それもあるけど・・・里見ちゃんは噂知らない?」
「怖いから知らない。知らなくて良い、けど美味しいって?」
「ご飯を作ってくれます」
「・・・何で?」
「さぁ?」
「明らかにおかしいでしょ?幽霊が?誰か不法侵入なんじゃないの?警察行った方がいいよ!」
「里見ちゃんそこは抜かりなく。この間、3日張り込んだんだけど、変な人入って行かなかったし。その後、朝出てきた住人にアンケートしたけど、ご飯あったらしいし。もっと張り込んで真相を調べたかったけど、睡魔に負けちゃってさ」
「真由、通報されなくてよかったね」
怪しい人は友人に居た。
「と、言うわけで!奈津美ちゃん今日泊めて!真相知りたい!」
「じゃあ、帰ってお二人の寝る場所確保しますね。多少の散らかりは大目に見てくださいね」
「え?なんで私まで行く流れになっているの?嫌だよ」
「里見ちゃんは心配じゃないの?幽霊か、もしかして人間か。人間だったら奈津美ちゃんどうなるか」
「うううううう」
「はい!決まり!」
ピンポーン
「いらっしゃい。どうぞ入ってください。」
「お邪魔しまーす。あり?予想外に内装は綺麗なんだね」
階段や外側に設置されている廊下の手すりが錆びている外装とは異なり、部屋はリフォームされており壁も白く綺麗に見えた。玄関すぐ左横に台所があり、目の前にはつっかえ棒を利用して薄いカーテンをぶら下げて、部屋の中が見えないように工夫をしてある。机と本棚、中央に丸いテーブルが置かれ特に散らかっている様にはみえなかった。
「すごいですね。掃除もして下さいました。」
「へ?」
何か奈津美が感動している。自分で掃除したんじゃないの?
「ねぇ、奈津美ちゃんって霊感無かったよね?どうやってお願いしてるの?」
うきうきしながら真由は質問し始めた。聞きたくないけど始まった。
「住居人の先輩に手順を伺いました。本当に可能とは思いませんでしたが。
まず①冷蔵庫に食材をいれます、②そして食べたいご飯のメモを冷蔵庫に貼り付けます。以上です。」
「それだけ?」
「それだけです。他にも試に、掃除、洗濯をお願いのメモを張りましたが、掃除は『しょうがないな~』、洗濯は『無理』とメモの下にお返事頂きました。そして今日すごく部屋がきれいです!」
「怪しいから!大丈夫?ねぇ、何か盗まれいている物ない?」
「里見ちゃんはほっといて、とりあえず晩御飯さっさと食べて寝ましょうか。寝静まった時じゃないと出てこなさそうだし」
「では、シチューを作って貰っているので食べましょう」
「やった!早くも実体験!」
「い、いらない!そんな変なもの・・・」
「黙って食え!」
スプーンですくったシチューを口に突っ込まれた。そして・・・
「・・・おいしい」
「本当!奈津美ちゃんが羨ましい」
じゃがいも等の具材は煮崩れしていないのに噛むとほろほろと崩れ味が口の中に広がり、肉は柔らかくとろける食感が楽しめ、とても幽霊が作ったとは思えなかった。
「はい!はい!奈津美ちゃん、朝食は和食を希望!焼き魚とか面倒で自分では作れないから」
「真由?」
「真実は実証しなきゃ!そうでしょう?里見ちゃん!」
がしっと両肩を掴まれ真由にはめずらしく真剣な顔で言われた。
そ、そうなの?違う気がするけど、でも結局確かめないといけないし。
ぐるぐる考えている内に皆お風呂を済ませ、10時に就寝する事になった。
寝るには早い気がするけれど、ご飯を作るであろう時間を逆算して4時~5時辺りに起きて確認するという理由で。
10時なんて寝るには早い!と思ったが、あっさり睡魔に負け就寝。
カタリコトリ
何かの物音が聞こえ目が覚めた、ぼんやりと天井を見ると見慣れない天井。そうか、奈津美の家に泊まりに来ているんだ、とぼんやりと思い出した。台所の方にカーテン越しに人影が見える。二人の内どちらかが、水を飲みに起きているのかと、寝ぼけながら隣をみて一気に目が覚めた。
私、奈津美、真由と川の字の状態で寝ていたが、二人ともいる。さっと血の気が引いた感覚がして貧血を起こしそうだったけれど、それどころではない。本当に不法侵入者なら大変だ。静かに早く二人を起こさないと。心臓がばくばくするのを我慢して、ぺちぺちと二人の頬を叩き、起こし始めた。
早く起きて!小声で『出た』と二人に言った。
奈津美はのんびりと起き上がり、真由はがばっと起き上がり、
「正体はだれだ!」
うきうきしながらカーテンをめくった。良い子は真似しないで下さい。
「真由の馬鹿!刺されたりしたらどうす・・・」
私と真由は絶句した。
幽霊と聞いた時、血まみれの顔にぎょろりと血走った目を持ち、姿を見た者を呪い殺す勢いで追いかけてくるイメージを持っていたのだけれど。
実際は奈津美の『栗色のロングヘアを後ろで纏めた女性』と言った言葉通りだけど、それ以上に振り返ったその姿は一言で美人。髪はふわふわでつやつや、口元はほんのりピンクの口紅を塗っており小さな花柄のワンピース、そして何より!
胸がでかい!何ですか!E位ですか!羨ましすぎる!そしてウエスト細すぎる!
当初の目的を忘れ、数秒二人は別の打撃を受けていた。
『ごめんね、起こしちゃった?』
声を掛けられ、はっ、と現実に戻った。
「い、え、えっと、何しているんですか?」
思考をフル回転させ何とか言葉を選んでみた。見たら解ることを聞いて馬鹿っぽいけど、他に考える余裕はなかった。
『朝ごはんを作っているんだけど』
右手を頬にかけ顔を傾けて困った顔をしている。
何で仕草も可愛いんですか?足の輪郭ないけど。
「里見さんも、真由さんも見えているんですか?私にはぼんやり何か居る位にしか解りませんが」
「奈津美ちゃんは見えないの?怖がりの里見ちゃんが見えないなら解るけど」
見えたくなかったよ!でも目的は聞かなきゃ!奈津美ちゃんが危険になるのは避けたい。
「何が目的でご飯を作ってくれるんですか?貴女に何か理由があるんですか?」
『理由?そんな事初めて聞かれたわ』
彼女は一瞬驚いてふふっと小さく笑った。
『そうね、私、誰かに作った料理を美味しいって言われたいの。就職先が決まった間際に倒れてそのまま私の時間は止まってしまったから』
「お姉さんの就職先?やっぱり料理関係?」
『もう一回言って』
真由にすごい勢いで詰め寄っている。やっぱり危険な・・・
『お姉さんってもう一回言って』
はい?
真由は圧倒さながらお姉さんを言うと
『きゃあ、いい響きね!やっぱり年下の子にはそう呼ばれたいわね!ふふ、今度は皆にそう呼んでもらおうかしら』
彼女は顔を赤らめ天井の辺りを8の字に飛行している。想像と違って明るい、明るすぎる幽霊だな。
「えっと、質問させてもらっても良いですか?お姉さんは料理人だからご飯作ってあげてて、奈津美ちゃんの部屋の掃除はしてくれて、洗濯は無理?水が苦手ってわけじゃない?」
『掃除は良いわよ、気が向いたら。でも洗濯は・・・その・・下着もあるじゃない?プライベートすぎて、恥ずかしいから。その・・・私には無理!男女関係なく洗濯は断わってるの!ごめんなさい!』
もじもじしながら言った後、深々と頭を下げている。
「こちらこそ、慎みない友人が無理言ってすいません!」
何故か居た堪れなくなり私も頭を下げてしまった。
そもそも、他人様に洗濯頼むな!キッと振り返って睨むと、
「何よ、別にいいじゃないですか」
ふて腐れて奈津美は後ろでぶつぶつ言っている。
『あら、お味噌汁も温まったから朝御飯出来上がったわね。じゃあ、私は隣の部屋に行くわね』
溶けるように壁を通過しようとした時、真由は思い出したように聞いた。
「あ、あと一つ!お姉さんのお名前は?」
にっこり笑って名前は答えてはくれなかった。
台所から香る美味しそうな匂いに負け、お姉さんが立ち去った後すぐに朝ごはんにした。
白米、焼き魚、味噌汁、大根の浅漬け。焼き魚は鮭、皮がぱりぱりで身は箸で簡単にほぐれ、程よい塩加減が絶妙に白米と合う。味噌汁の具はイチョウ型の大根と千切りされた油揚げが入っており朝から贅沢な気分になった。
後日、再び三人で食堂にいる時に、冷蔵庫のメモ用紙に私達宛の伝言が添えられていた事を奈津美に聞いた。
『この間のように不用意に幽霊に近寄っちゃだめよ。人間に良い悪い人がいるように、幽霊にも怖い人がいるからね。気を付けてね。もしかして、私も怖い人だったかもしれないんだからね』と。
「お姉さんと言うよりお母さんでしょうか?」
「あーでも何で名前教えてくれなかったんだろう!噂の新たな情報更新出来たのに!サークルの先輩達も残念がってたよ」
「真由の行動には、はらはらしたけど、何事もなくて良かった。でもまぁ、言いたくないだろうね。うっかり家族に知られたら悲しいだろうし、自分が幽霊になった姿見せるの」
じっと無言で二人がこちらを見てる。
「なに?」
「里見ちゃんて、たまに核心つくこと言うよね」
「たまにって・・・」
今回の事があっても、やっぱりオカルトも心霊現象の話は怖いし、聞きたくないのだけれど・・・・たまに奈津美の家に真由と一緒に食材を持って泊まりに行く事が日課になりつつあることは気のせいということにしておこう。