友達だから
「まったく、女の子の家に無断で入るなんて……いけないんだよ? 夜クン……」
インターホンに何の反応も示さなかった部屋の主――瑠璃は困ったような笑みを浮かべてそう言った。
夜は風邪で寝込んでいたわけではないということに安堵の息を漏らそうとして……飲み込んだ。
瑠璃の傍に、まるで旅行に行くかのように着替えやら何やらを詰め込んだ大きなカバンがあったから。
「よ、夜クン見たらだめ! 流石の夜クンにも下着みられるわけには……」
「何やってんですか瑠璃先輩」
顔を赤くしてあわあわしている瑠璃に、夜は無表情のまま、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「……ただの旅行だよ。えっと……そう、気分転換に」
「……嘘、言わないで下さいよ」
本当に旅行に行くだけなら、わざわざ学校を休む必要はないはずだ。
それに、旅行だという瑠璃の表情は曇っていた。明らかに旅行に行くような人がする表情でも、抱く感情でもない。
だから、夜は嘘だと確信をもって断言する。
「……ひ、ひどいなぁ、夜クン。私は嘘なんか……」
「言っていないなら、そんな悲しそうな表情しないでくださいよ……!」
心外だと、夜の嘘発言を否定する瑠璃の声は上擦っていて。
声だけではなく、手足も震えていた。
夜は知っている。瑠璃は優しい女の子だということを。
優しい故に、瑠璃が今まで夜に対して嘘を言ったことはないということを。
だから、今にも泣きそうな表情で夜を見つめているのだと。
「何かあったなら俺を頼ってください。頼りないかもしれないけど……それでも傍にいることくらい出来ますから」
頼りなくて、何の力もなくて、何も出来ないなんてことは夜自身が一番よく知っていることだ。
その証拠に、夜は宿泊研修の時に何も出来なかったのだから。
何も出来ない、何の力にもなれない。だからといって、その場から逃げ出すなんてことは出来ない。
見苦しくても、醜くても、それでも夜は構わない。
もう二度と、あんな思いはしたくないのだ。
「……いいの? 夜クンに迷惑を……」
「迷惑とか今に始まった話じゃないですよ。先輩……友達のわがままくらい聞きますよ……」
「とも、だち……そっか。夜クンは私を友達って言ってくれるんだ……」
部活が同じだからというわけではなく。
先輩後輩だからというわけでもなく。
友達だからと、そう言ってくれる夜に。
瑠璃は微笑みながら涙を流した。
困ったような笑みでもなく、寂しそうで悲しい笑顔でもない。
気恥ずかしそうに、それでも嬉しそうな笑みを浮かべながら。
「夜クンって……優しいよね……」
「……俺は瑠璃先輩が思うような人間じゃないですよ」
瑠璃は勘違いをしている。
瑠璃のように誰にでも優しいわけじゃない。
夜が優しいのは、あくまで夜が大切だと思っている相手のみ。
だから、それ以外の人間に対して夜が優しくしようとすることは……ないといってもいい。絶対と言い切れないことこそ夜が優しいという証拠なのかもしれないが、少なくとも夜自身は自分が優しい人間だなんて思っていない。
夜は本筋がこれ以上逸れないように咳ばらいを一つ。
「それで、どうして休んだりしたんですか?」
「えっと、だから……」
「すみません、質問を変えます。どうしてそんな遠くに行くような準備をしてるんですか?」
休んだ理由と遠出の準備をしていた理由はきっと繋がっている。
だけど、聞くなら休んだ理由よりも遠出の準備の理由だろう。
「……夜クン、私ね……結婚しなきゃダメなんだって……」
「……け、こん……瑠璃先輩、今なんて言いました?」
「結婚。なんかお見合いってことで急に呼び出されちゃって……明日出発しなきゃいけないんだ」
「なんですか、それ……。どうしてそんな大切なことを……」
「言えると思う?」
言ってくれなかったんですか、そう言おうとして瑠璃に遮られる。
だが、きっと遮られなくとも夜は次の言葉が音になることはなかっただろう。
だって、瑠璃の立場だったら自分も何も言うことが出来なかっただろうから。
「実はね、私こう見えてお嬢様なんだよ。梨花クンと同じくらいのね」
「そうだったんですか……」
「うん。それで、この前……一週間くらい前かな。お父さんから電話が来て……結婚してほしい相手がいるから帰って来いって。もちろん、最初は断ったんだけど……断り切れなくてね。多分、無理矢理結婚させられて……学校もやめなくちゃいけなくなると思う」
「……」
「ごめんね、夜クン。でも、私の気持ちもわかってほしいな」
別れを言うのが辛くて。だから、無断で離れようとした。
その気持ちを汲み取ってほしいという瑠璃の発言に、夜は。
「それ、瑠璃先輩の気持ちじゃないですよね」
「……」
「瑠璃先輩はそれでいいと思ってるんですか? このまま知らない相手と結婚させられることに納得してるんですか!?」
「してるわけないじゃん!」
大声で、瑠璃はそう叫ぶ。
どこの誰とも知らぬ男と結婚? そんなの認められるわけがない。
自分の気持ちを蔑ろにして、勝手にそんなことを言ってきた父親にも腹が立っている。
結婚するなら自分の好きな人としたい。
だけど。
「でも、私がどう思ってもどうにもなんないんだよ……」
今更、瑠璃がどうしようがきっと結婚は変えようのない未来だ。
だったら、夜達に黙って、最後の日まで楽しく過ごしたかった。
自分にとっての、大切な人との最後の思い出が楽しくないなんて嫌だったから。
最後に見る夜の顔は笑顔がよかったから。
だから、瑠璃は何もかも諦めたのだ。
「瑠璃先輩、一つだけ教えてください。瑠璃先輩は、どうしたいですか」
「どうしたいって?」
「瑠璃先輩の、本当の気持ちを教えてください」
「…………たい。夜クンたちと、一緒にいたい……!」
それが、瑠璃の本心だった。
これまでも、そしてこれからも。
夜たちと一緒にバカやって過ごしたい。
楽しい思い出を作っていきたい。
一緒にいたい。
そう言って、夜の肩を掴んで涙を流す瑠璃に。
「……わかりました。俺が何とかします」
夜は、そう言った。
何とかする、といったところで何が出来るのかはわからない。
だけど、夜は何とかすると宣言した。
瑠璃を安心させるために発したわけではなく。
心の底から、何とかしてやると決意して。
あれだけ頼りないと言っていた、夜のそんな言葉に。
「どう、して……夜クンはそんなに私を気にかけてくれるの……」
そう呟いて、顔を見られまいと夜の胸に顔を押し付けた。
※2020/10/15に割り込み投稿しました。




