兄と宿泊研修を
何も言わなかった、言えなかったことに少し後悔しつつも美優と志愛を横目に教室を後にし、廊下を走って階段を駆け上がるあかり。
はぁ、はぁ……と息が上がるが決して足は止めずに突き進む。それもこれも、不条理な現実――夜と離れ離れになる――に抗うために! 受け入れる訳にはいかないが故に!
そうして、肩で息をするほど疲弊しながらも、あかりは辿り着いたとある部屋のドアを開け放った。ドンッ! と、扉が人間のように感情を持ち合わせ喋ることが出来たら「痛いんだけど!? 何してくれてんの!?」と叫びたくなるような勢いで。
「な、なになに!?」
と、突然のことに慌てふためくその部屋の主――慎二。まぁ、それもそうだろう。壁に傷が付いてもおかしくない勢いでドアが開け放たれれば驚くのも無理はない。じ、地震!? と思っても何らおかしくはないのだ。寧ろ、驚くなという方が無理な話なのである。
「……って、あかり君か。はぁ、びっくりした……ごほんっ。それで、理事長室にどんなご用件があるのかな?」
突然の訪問者があかりだということに地震ではなかったと安堵の息を漏らす。だが、理事長としての威厳を保つために咳払いを一つ、平然を装う。しかし、先程の醜態を見られてしまったが故かちょっと気まずそうである。
しかし、あかりは無言のままズカズカと慎二の元まで歩み寄り……胸倉を掴んだ。勿論、女子高生が大人を持ち上げられるはずもないが、しかし、二人の間にはそれなりの身長差があるので慎二は苦しそうである。
下手すれば、というか退学確定な行為だが、あかりと慎二は夜と梨花が幼馴染ということもあって知り合いである。多分、注意くらいで終わる……とあかりは思っている。
「あ、あかり君!? やったらダメなことってわかる!? 私、理事長、あんだーすたんど!?」
「理事長……」
「ハイ!」
一生徒に呼ばれただけで体育会系の部員も驚きそうな大声で返事、かつそれはもう綺麗な敬礼をする理事長は、威厳の欠片もプライドも何もなかった。
「お願いがあります……」
「了解であります、ですのでこの手を離してほしいであります!」
きっと、娘である梨花や妻である楓花が見れば泣きたくなるだろうが、慎二はぐっと堪える。あかりの目からハイライトが消えている時は、大抵の場合夜が関係しているということを知っている慎二だからこそ、あかりを刺激したら逆効果だということも知っているのだ!
すんなり離してくれたことにもう一度安堵の息を漏らしながら、襟を正し超高そうな椅子に座る慎二。
「それで、あかり君のお願いとは何かな?」
「お、おにいちゃんと……」
やっぱり夜君が関係しているのかぁ……と遠くを見つめる慎二。
「おにいちゃんと離れ離れになりたくないんです! だから、おにいちゃんと一緒に宿泊研修に行かせてください!」
「……なるほど、そう来たかぁ……」
薄々、無理難題を押し付けられるような気はしていた。わざわざ理事長室にまで乗り込んできたのだし、それ相応の理由がなきゃおかしいだろう。
そう、あかりが考えた夜と離れ離れになることなく、かつ美優や志愛と宿泊研修を楽しむ方法。
それは、夜も一緒に宿泊研修に行けばいいじゃない! というとんでもない打開策だった。
確かに、一番までとはいかなくともいい方法なのは確かだ。それなら、あかりが夜と離れ離れになることはないし、美優と志愛と一緒に宿泊研修を楽しめるのだから。
しかし、それには問題がある。というか、問題しかない。
何故なら、あかりの一存ではどうしようも出来ないからだ。
学校側が、一生徒の考えをすんなりと受け入れるはずもない。というか、一切取り合ってすらくれないだろう。
だが、理事長ならどうだろうか。
学校で一番の権力を持っている理事長を説得さえ出来れば、どうにかなるのではないか? それに、理事長は知り合いだし。
と、そういうことで理事長室にまで乗り込んで来たのだ。すべては、夜と離れ離れになりたくないが故に。
普通ならば、誰も実行しようとはしないだろう。というか、そもそもその思考に至らないと思う。だが、そう考え実行するのがあかりである。兄のためなら、何でもできるのだ!
「……夜君を宿泊研修に、か……」
「はい。例え、一日でもおにいちゃんに会えないなんてもう嫌なんです! もう、あんな辛い思いはしたくないんです……!」
あかりの言う、“あんな辛い思い”とは夜と離れ離れだった空白の一年間のことだろう。
一年くらいどうってことない、と思う人だっているだろう。中には、数年会えなくても大丈夫、という人だっているかもしれない。まぁ、実際にどうなのかは別として。
だが、あかりの場合は違うのだ。
それほど、あかりにとって一年間という夜と会えなかった時間は辛くて、苦しくて、長かったのだ。
まぁ、あかりは病的なまでに兄である夜を愛している。それは、中学時代からだ。だから、好きな人に会えない一年間は、まさしく地獄だったのだろう。
「理事長、お願いします……!」
頭を下げ、お願いするあかり。
「……あかり君の言いたいことはわかったよ。けど……」
何度、あかりに頼み込まれても。いくら、あかりが悲しそうな顔をしても。理事長でも許可は……。
「まぁ、面白そうだし、いっか」
「……え? いいん、ですか……?」
慎二の思いもよらぬ言葉に、あかりは目を丸くする。
「うん。まぁ、夜君にはちょぉっとだけ申し訳ないけど、生憎と宿泊研修に行く教師人の中で男性は私だけでね……」
宿泊研修に同伴する教師は、一年生が五クラスあるのでそれぞれの担任が五人。養護教諭の先生が一人、そして慎二と合計七人である。
しかし、慎二以外の同伴の先生はみんな女性なのだ。つまり、生徒を除けば男性は慎二ただ一人なのである。
正直、慎二一人だけというのはなんというか……少し寂しかったのだ。だって、理事長って立場故にあまり親しい仲の教師はいないし。
因みに、本来なら校長や教頭が同伴するのだが、理事長である慎二が同伴することになっているのは「面白そうだから」という自分勝手な理由があったりする。その所為で、校長先生と教頭先生が密かに仕事を盗られた……と嘆いていることは誰も知らない。
だから、やろうと思えば夜を同伴させることも出来るだろう。
「ほ、ほんとにいいんですか!?」
「あぁ、いいとも。あかり君は夜君と離れ離れになることはないし、私も話し相手がいて退屈しない。まさしく、Win-Winの関係じゃないか!」
確かに、夜が宿泊研修に同伴することになれば、あかりと慎二も得をすることになる。
あかりは、当初の目的通り、夜と離れ離れになることはなく、友達である美優と志愛と一緒に宿泊研修を楽しむことが出来る。
一方で慎二は、女性の教師しかいないとしても、夜が同伴することによって話し相手は確保出来るし、多少なり気が楽になる。だって、夜を同伴させるとなればポジションは教師たちと同じになるのだし。
つまり、お互いが得しかないのだ。まさしく、Win-Winの関係なのである!
「まぁ、そんなわけだから夜君には私から言っておくよ。後は任せてくれ給え!」
「はい! 理事長、ありがとうございます!」
そう言って、あかりは再びペコリと頭を下げ、理事長室を後にした。きっと、目指すは夜が待っているであろう部室だろう。
「さてと……」
理事長室内に設置してもらった放送器具へと手を伸ばす。
「二年C組、夜月夜君。至急、理事長室まで来てくれ給え」
校内放送で呼びかけられたのを確認。慎二は放送器具を元の場所へと戻し、椅子へと座り直した。
「……まぁ、あかり君のためを想うなら私の選んだ選択肢は間違っているんだろうね、夜君」
夜がわざわざ実家から離れた柳ヶ丘高校に入学した理由を、夜本人から聞いている慎二は切に思う。
夜の決意を、覚悟を踏み躙るような真似をしているということも自覚している。
「けどね、夜君。突き放しただけでは、夜君の願う通りに事は運ばないよ……」
そう独り言ちながら、慎二は夜の到着を待った。
※十一話目を改稿したときに思ったよりも文字数が増えたため、2019年12月29日に割り込み投稿をしました。




