罰
好きなのは夜だけと言う瑠璃に、賢二はふっと鼻で笑う。
まるで馬鹿にするような、哀れなものを見たかのような、そんな賢二の反応に。
「何がおかしいの!」
瑠璃は堪らず叫ぶ。
何に笑われたのか。言わずもがな、夜に対する自分の想いだ。
自分の大切な想いを嘲笑われたのだ。馬鹿にされたのだ。踏み躙られたのだ。
しかも、夜を好きという気持ちを、存在を自分のためにも忘れなくてはいけなくなった元凶と言っても過言ではない賢二に言われたのである。
瑠璃が怒りに声を荒げるのも無理はない。というか、怒らない方がおかしい。
しかし、そんな瑠璃の怒りとは裏腹に、賢二は愉悦と言わんばかりに声を大にして笑う、否、嗤う。
「だから、何がおかしいの!?」
「何がって全部に決まってんだろ!? 自分から突き放しといてよくまぁ好きだなんだの言えるよなァ!?」
「な、んで……」
それを知ってるの? と、そう聞こうとして言葉を飲み込む。
だって、知っている理由なんてたった一つしか考えられないから。
それ即ち。
「偶然あの場に居合わせてよぉ、まぁ、流石の俺もあのガキが可哀そうと思ったわ」
瑠璃が覚悟を決めて、涙を飲み込んで、夜のためにも一刻も早く忘れてもらうべくひどいことを言ったところを見られていたということ。
あの時のことを、瑠璃はよく覚えていない。夜に何を言ったのか、自分がどんな顔をしていたのか、夜がどんな顔をしていたのか、その何もかもを。
だから、あの場に賢二がいて、一部始終を見ていたとしてもおかしくはない。
そして、そのことに瑠璃が気付かないのも……無理はないのだ。
何せ、瑠璃は何も考えないようにしていた。何も見ないようにしていた。何も聞こえないようにしていた。
だって、辛いから。苦しいから。泣きたくなるから。
大好きな人の傍には悔しいけどいられない。けど、幸せであってほしい。
だからこそ、そのためにも自分のことを忘れてほしくて。
それでも、やっぱり忘れてほしくなくて、忘れたくなくて。
どうしようもなくなった瑠璃は、それが最善の策だと自分に言い聞かせて、自分の心を殺して夜にひどいことを言った。
そんな瑠璃の心情を賢二がわかるわけもなく、確かに好きとか何言ってんの? あんなこと言っといて? と嘲笑われるのも仕方がないのかもしれない。
だって、他人の思考を完璧に読み取れる人間なんてこの世に存在しないのだから。
「まぁ、でも安心したわ。俺と同じでお前もクズってことがわかったからな」
「……」
自分と同じ系統の人間で安心したと豪語する賢二に、瑠璃は何も言わない、否、言えなかった。
賢二の言葉を、瑠璃には否定することが出来なかったから。
賢二と同じにしないでほしいと、自分はクズなんかじゃないと言いたい。
だが、瑠璃は夜に最低なことをしてしまった。
許されなくて当たり前のことを。
恨まれても仕方のないことを。
クズと言われても当然なことを。
だから、否定出来ない。出来るわけがない。
瑠璃のことをクズだと思っているのは、誰あろう瑠璃自身なのだから。
「さぁて……」
ニヤリと嗤い、賢二はゆっくりと瑠璃へと近づく。
しかし、瑠璃は気付かない。正確には気付けない。
自分が如何に最低な人間だということを思い知らされて、どれだけ最低なことをしてしまったのかを悔やんで、自責の念に囚われているから。
それ故に。
「――っ、ぃや、離して!」
直接手首を掴まれるまで、瑠璃は賢二の接近を許してしまった。
触るなと、離してと、腕を振り回してどうにか振り解こうとするも、女子高生としては比較的小柄で当然の如く非力な瑠璃が、大学生かつ男である賢二に力で勝っているはずもない。
逃げ出したい。でも、腕を掴まれていては逃げ出しようがない。
嫌がっているにもかかわらず、そんなこと知るかと言わんばかりに賢二は掴んだ瑠璃の腕を力任せに無理矢理引っ張り、その小さくてか細く震えている身体を引き寄せる。
「離せだ? お前は俺のモノになったんだ。だったら、俺がお前をどうしようが俺の勝手だろ?」
そう言って下卑た笑みを浮かべる賢二。
一体、何を勘違いしたら、どんな生活を送っていたらこのような思考回路になるのか瑠璃にはわからない。わかるはずもないしそもそもわかりたくもない。
お見合いを受け入れたからといって瑠璃が賢二のモノになったわけもなく、結婚するからといって相手のことを自分勝手に出来るわけもない。
だが、瑠璃にはどうすることも出来ない。
ぽたりと、瑠璃の目尻から流れ出た一筋の涙が床に音を立てて落ちる。
そして、瑠璃は諦めたかのように、抵抗することをやめた。
きっと、罰が当たったんだ。
夜クンの気持ちを踏み躙ってしまった、裏切ってしまった罰なんだ。
だったら、仕方ない……よね。
「…………ごめ、んね……夜クン……」
夜クンだけでも幸せになってねと。
出来れば私のことを嫌いになってなければいいなと。
涙とともに口にした謝罪の言葉を、まるでかき消すかのように。
壊れてもおかしくない勢いで開かれた襖の先に立っていたのは。
「はぁ、はぁ……」
別れてから、何度も何度も思い描いた、好きで好きで大好きな人。
「……よ、るくん……?」
自分の脳が見せた幻覚でもない、見間違いでもない。
紛れもない、大好きな人――夜だった。
※2021/01/18に三章改稿に伴い割り込み投稿しました。




