任せてください
一体、どれだけ走ったのだろうか。
何十、何百キロ? 否、そんなわけがない、あるはずがない。
一キロあったかないか、そんな程度の距離。
しかし、大した距離ではないはずなのに、足元はフラフラになっていた。こういう時、毎度毎度決まったように日頃から身体を動かしておけばよかった……と後悔することになるのだが、一向に改善しようとしないのは何故なのか。
疲労困憊、今の夜の状態を表すのならその一言がぴったり当てはまるだろう。
ただでさえ体を動かすのが苦手、否、運動音痴なのに、現状を説明するためとはいえあかりに事情を一から話しながら必死に懸命に走って走って走ったのだ。
人間が全力疾走出来る時間は真実か否かは別として、僅か十秒にも満たないのだという。
それとは関係ないかもしれないが、というかぶっちゃけた話関係はないのだが、運動音痴で話しながらも精一杯、それはもう全力疾走に等しいくらい頑張って走った夜はどうなるのか。
まぁ、言わずもがな……。
「ぜぇ、ぜぇ……ごほっ、つ、いた……」
やっとの思いで星城家の門前に辿り着いたというのに、今にも死にそうですと言わんばかりな顔でぜぇはぁがはごほっしていた。
その凄惨たる姿や、真璃から「夜月君が戻ってくるので瑠璃の部屋まで案内してあげてください」という命令を受けて今か今かと夜の到着を待っていた侍衛――桐谷が思わずドン引きしてしまうほど。
「お、おい、大丈夫か? 生きてるよな?」
主人である真璃からの命を一時的ではあるが忘れて、心配のあまり声をかけてしまうほどだった。
「は、い……すぅ……は、ごほっごほ……はぁ……大丈夫で、す……」
咄嗟に大丈夫な訳ねぇだろ! とツッコんでしまいたくなったが、ぐっと堪える。侍衛たるもの、いついかなる時も平常心を心掛けなければいけない。
まぁ、冷静に考えてもやっぱり大丈夫じゃないとしか思えないわけで……。
しかし、当の本人が大丈夫なのだと、まったくそうは見えないけれど言っているのならば何を言っても無駄だろう……と桐谷は“心配”という単語を一旦忘れ去る。
それに、夜が大丈夫じゃないです休ませてくださいと返答したところで、無理矢理にでも瑠璃の部屋まで走らせるつもりだったので、どちらにせよ桐谷にとっては好都合だった。
「それで、あなたは……」
「俺は桐谷守だ。お前は夜月夜で間違いないな?」
「はい」
「ある程度の事情は真璃様から聞いている。早速で悪いが、夜月夜。お前をお嬢様の部屋まで案内する」
「お願いします!」
いい返事だ、と桐谷は笑みを浮かべつつ、走り出す。
急いでいるとはいえ、土足で踏み入るわけにもいかないので玄関で靴を脱ぎ捨て、旅館に置いてありそうなスリッパをまどろっこしいし走るのに邪魔と履き替えることなく廊下をお構いなしにと走る。
本来なら、廊下を走るなんて行為は万死に値するとまではいかなくとも、厳罰対象ではあるのだろう。現に、度々廊下ですれ違う何も知らないのであろう侍女さんたちが驚いたような顔でこちらを見ているのだから。
「桐谷さん、本当に走って大丈夫なんですか!?」
「大丈夫……とは言えないな。だが、緊急事態だ。真璃様も寛大な心でお許し下さるだろう」
「それもそうですね……!」
桐谷の口振りから察するに、やはり走るという行為は禁止されているみたいだ。
しかし、今は緊急事態。それも、お嬢様である瑠璃の危機である。一刻を争う事態なのである。
それなのに、規則で決まっているからといって、厳罰対象だからといって、歩いて向かうとかそんなことをするのはただの馬鹿だ。愚行そのものだ。
「そうだ。夜月夜、一つだけ聞きたいことがあるんだが……」
「なんですか?」
「……その女の子、誰?」
桐谷の指さす方へ視線を転じれば、そこには何のこと? と小首を傾げるあかりの姿が。
「挨拶が遅れました。おにいちゃんの妹のあかりです」
「なるほど、妹か……。でも、どうしてここにいるんだ?」
「ストーカーされてました」
「ストーカーしてきました」
「……そうか、ストーカー……は? ストーカー?」
今なんて? ストーカーって言った? 言ったよな? 聞き間違いじゃないよな? と視線で訴える桐谷に、夜はそれが普通の反応ですよね……と苦笑いを浮かべる。
だって、驚くのは無理もないことなのだ。というか、驚かない方がおかしいのだ。
夜もあかりも平然と言葉にしているが、ストーカーとはれっきとした犯罪行為なのである。通報されれば問答無用で逮捕されるのだ。懲役が何年だとか詳しくは知らないけど。
いくら兄妹とはいえ、犯罪は犯罪。それを、何食わぬ顔で、何事もなかったかのようにストーカーされましたしましたと言われても、どんな反応をすればいいのか、どんな対応をすればいいのかわからない。
わからないものは仕方がない。だから。
「……お嬢様の部屋はここをまっすぐ行った先の突き当りだ」
俺は何も聞いてません。ストーカー? いやいや、なんのことかわからないな? と、知らぬ存ぜぬを突き通すことにした。
世の中には、知らない方がいいことなんて山ほど、否、星の数ほどあるのだから。
まぁ、言ってしまえばただの現実逃避なのだが……。
桐谷は余計な思考は邪魔と言わんばかりに頭を振り。
「俺は真璃様に報告しに行く。夜月夜、お嬢様を任せたぞ!」
目的地である瑠璃の部屋を指差し、桐谷は吠える。
“任せる”というたった一言に、自分の想いをありったけ込めて。
最初に見送ったときに吐き捨てたその言葉を、今度はしっかりと背中を見据えて投げかけた。
桐谷の想いを受け取り。
「はい! 瑠璃先輩のこと、任せてください!」
“ありがとう”には“どういたしまして”で返すように。
“ごめんなさい”には“ごめんなさい”で返すように。
“任せた”という桐谷に対し、夜は“任せろ”と返した。
桐谷の想いに負けないくらい、ありったけの想いを込めて。
※2020/12/25に三章改稿に伴い割り込み投稿しました。
メリークリスマースっ!




