心が鳴らすは亀裂音
「夜クン……ううん、夜月くん。私、賢二さんと結婚することにしました」
淡々と、まるで何事もなかったかのように告げられた衝撃の事実に。
「……は? 何言って……」
夜は信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
今、瑠璃先輩は何と言ったのだろうか。
聞き間違いと思いたい。信じたい。だけど、確かに瑠璃は言った。
賢二と、結婚することにしたのだと。
あまりに突然で、信じられないことで、頭が真っ白になっているけど、夜にはわかる。わかってしまう。
信じられないけど、信じたくないけど、瑠璃は嘘を言っていないということを。
「な、どう、して……」
しかし、だからといってすんなりと受け入れられるわけがない。
お見合いが始まる前まで、瑠璃は結婚する気どころかお見合いをする気すらなかった。
昨日だって、瑠璃は一緒に戦ってほしいと言ってくれた。
それに、約束だってした。二人で一緒に帰ろうと。
だから、瑠璃がそんなすぐに考えを改めて、決意を鈍らせて、お見合いを受け入れたとは到底思えないのだ。
何かそうしなければいけない理由が、事情があったに違いない。そうに決まって……。
「もしかして、脅されてるんですか?」
脅されているから言うことを聞かなければいけなくなった、結婚を受け入れなくてはならなくなった、という憶測は安直で幼稚なものかもしれない。
だけど、突如心変わりした理由がそれくらいしか思い付かないのだ。
しかし、聞こえているはずなのに瑠璃は何も答えてくれない。
「何があったんですか! 何を言われたんですか!」
肩をゆすってみても、何の反応もない。
「一緒に戦うんじゃなかったんですか……?」
逃げませんか? という夜の提案を断ち切って、戦うことを決めたのに。
「一緒に帰るんじゃなかったんですか……?」
絶対に二人で帰ってこようと、またみんなで笑い合おうと約束したのに。
「――何とか言ってください、瑠璃先輩……!」
何も言ってくれない瑠璃に、夜がその場に崩れ落ちそうになるのと同時に。
「やくそく……?」
何も言ってくれなかった瑠璃が口を開いた。
「――そうです、約束したじゃないですか! だから、何かあったなら……」
頼りないことなんて自分自身が一番よく知っている。
何も出来ないほど無力だということも宿泊研修の時に痛感している。
それでも、頼ってほしい。力になってあげたい。
しかし、そんな夜の言葉は。
「約束って……何のこと?」
「え……?」
瑠璃の心に響くことなく、それどころか聞きたくもない言葉で遮られた。
「な、何のことって……」
冗談でも、聞き間違いでもない、確かに聞こえていた。
「それと、私は脅されてなんかないよ。結婚することに決めたのは私自身なんだから」
脅されてなんかないと、賢二との結婚を決めたのは誰あろう自分だと、瑠璃はそう言った。
その瞬間、夜の中で何かが崩れた。
二人で交わした約束も、今まで築いてきた信頼関係も、何もかもが崩壊していく。
「だって、頼りなくて何も出来ない夜月くんなんかよりも、賢二さんの方がいいに決まってるでしょ?」
聞きたくない、と耳を塞いでも微かに聞こえてくる。
瑠璃先輩はそんなことを言わない! と自分に言い聞かせても、心の中ではそう思っていたのかもしれないだろ! と取り合ってくれない。
「それに、夜ク……夜月くんといても楽しくなかったし。つまらない高校生活送るよりも、賢二さんといた方が幸せになれそうだし」
喜び合い、怒り合い、悲しみ合い、楽しみ合ったあの日々が楽しかったのは、自分だけだったのだろうか……。
そう思った途端。
「は、はは……そっか、そうだったんだ……。楽しかったのは、俺だけだったんだ……」
乾いた笑みとともに、頬を涙が伝った。
楽しかった日々が、ともに過ごした時間が、何事もなかったかのように消えていく……。
対人恐怖症のせいで他人と関わることが苦手な夜に、高校に入学して初めて出来た友達が瑠璃と、そう思っていたのに。
どうやらそれは、自分だけだったようで。
その場に崩れ落ちて、ただただ咽び泣く夜に。
「じゃ、さよなら、夜月くん」
瑠璃は吐き捨てるように別れの言葉を告げ、すたすたと歩き去った。
この時、頭の中が真っ白で、絶望の淵に叩き落された夜が気付くことはなかっただろう。
ぴちょんと音を立てて床に落ちた涙が、夜のものではなかったということに。
※2020/11/09に三章改稿に伴い割り込み投稿しました。




