五
「やあ冒険者さん、お早う。お発ちですか?」
旅支度を整え、宿の一階に降りると、店主が声を掛けて来た。
旅人向けの宿。一階が食堂兼酒場で二階から上が客室という、よくある造りの宿だ。
「うん。随分長いことお世話になったすね」
あの試合から七日程が経っていた。怪我が癒えてまともに出歩けるようになるまでそれだけ掛かったのだ。主に打たれた箇所の打撲。それに手首や足首の捻挫。顔の腫れが引いたのは昨日ようやくだった。
町を訪れ依頼を受けてから試合までが七日。それが終わってまた七日。半月近くこの宿に滞在したことになる。
「まだお好きなだけ居て頂いてよろしいんですよ。そんでまたあの日みたいな試合を見せてもらえると嬉しいですね」
「勘弁してくれよ……」
ランディは今、町でちょっとした話題の人だった。
ふらりと現れ、不敗の拳闘王者に挑戦し、敗北こそしたものの近年稀に見る好勝負を演じた流れの冒険者。
試合を見た者たちはその興奮と感動を周囲に語り、それは見ていない者たちの間で誇張され、まるで物語に出て来る英雄のような扱いだった。ランディの滞在宿を突き止めて会いに来る者まで出る始末だ。
正直、その辺りはあまり望ましい状況ではない。
あの試合は、あれはあれで楽しかったと言えるし、糧になったとも思っている。
それ以前のセドリックの試合は殆どが一方的な展開だったというから、それをあれだけ打ち合えたのは快挙と言えば言えるのだろう。
だが、だからと言って自分が拳闘士として優れているとは思っていない。
もし、自分に正統派の拳闘士たちより勝っている要素があるとしたら、それは打たれ強さなのだろうと思っている。鉢金の上から棍棒でぶん殴られたり走る馬車から突き落とされたりトロルの体当たりを喰らったりした経験と比べれば、素手の人間にいくらか殴られるぐらい耐えられないものではない。
技術的には、セドリックはもちろん、コンラッドの足元にも及んでいないだろう。
(あんまり、拳闘士として有名になっちまってもなあ)
出来ればもう二、三日療養したいところなのだが、そういう訳で早めに町を出ることにしたのだった。
●
訓練士の老人やコンラッドとは、数日前に挨拶を済ませている。
そのときに、セドリックが引退を決めたという話を聞いた。
セドリックとは試合の二日後、今回の仕事の依頼主から報酬を受け取るとき、会って少し話をした。ランディの最後の一撃で肋を折っていたことを知ったが、治る怪我だとも聞いていた。
その怪我が思っていたより酷かったのか、とコンラッドに聞くと、彼はかぶりを振った。
「元々考えていたんだそうだ。職業拳闘士の現役期間ってのはそんなに長いものじゃない。彼ぐらいの年齢なら、早いと言えなくもないが早過ぎる訳でもない。俺としては是非とも自分の力で彼に勝ちたかったんだが、まあ仕方無いさ。
それに、ただ辞める訳じゃない。夢のために動き始めるんだそうだ」
「夢?」
拳闘士養成所の、運動場の一角で、打撃練習用の砂を詰めた革袋を叩きながら、コンラッドはどこか嬉しそうに語るのだった。
「セドリックは、最強の拳闘士だ。だが、その〝最強〟ってのは、どの範囲だ?」
「範囲? それは……」
「ああ、この町だ。〝フィラスウィッチの町最強の拳闘士〟……どう思うよ。小せえだろ?」
「それは、まあ。……でも」
「確かにこのフィラスウィッチの町は拳闘が盛んで、王国各地から拳闘士たちが集まって来る、って言われてる。けどよ、別に王国中の名のある拳闘士が全員集まって来る訳じゃない。遠くの土地には、きっと俺らの知らない優れた拳闘士たちが居る筈だ。
セドリックはな、そういった国中の拳闘士たちを集めて、真にこの国最強の拳闘士が決められる場を作りたいんだそうだ」
「最強を決める場……?」
「そう!」
大きな音を立てて、コンラッドの拳が叩き込まれ、革袋が縦にはねた。
「例えば、それぞれの土地で最強の拳闘士というのを決めて、そいつらが集まって――三年とか四年に一度とかな――雌雄を決する。土地によって競技規則なんかも微妙に違ったりするからその辺りの統一もせにゃならん。そのための事業を始めるんだそうだ」
「それは、凄いすけど、でも……」
「でも?」
「セドリックさんは、自分自身がその最強になりたいとは思ってないんすか?」
「思ってるだろうさ。けど、その事業と、実際に戦う拳闘士と、一人で両方は出来ねえ。今日明日に実現出来ることでもねえからな。だから彼は――託したのさ」
「託した?」
さらに強く、コンラッドが革袋を叩く。それも一撃ではなく、ずどんずどんずどんと、立て続けに三撃。
「後進にさ。彼が正式に引退を宣言すれば、王者は空位となる。これから、現役の拳闘士たち同士で新しい王者を決めるための戦いが始まる。それも、単に空いた王座に座れば良い訳じゃねえ。セドリックが拓く新しい場所で戦える王者でなきゃならん。
今まさに町中の拳闘士たちが大いに気合を入れてるとこさ。俺も含めてな」
一際強い一撃が革袋を打ち、ようやくコンラッドは身体を動かすのをやめた。
ランディの方を見る。
「お前さんのおかげ、だそうだぜ」
「俺の?!」
「おう」大きく肩で息をしながら、コンラッド。「王者になって、ずっと淡々とそれを防衛するだけだったところへ、お前さんとのあの試合があって、それで思い出したんだそうだ。拳闘士を志し始めた頃に抱いてたあれこれをな。この〝夢〟も、その一つだってよ」
「そうすか……」
コンラッドはしばらく深呼吸を繰り返し、それから言った。
「どうよ、お前さんも一口噛まねえか?」
「一口?」
「拳闘士として本格的にやってみねえか、ってことさ」
「…………」
拳闘士になる。試合中にセドリックからも問われたことだ。どれだけ本気で言っていたのかは知らないが。
そして、ランディの答えは変わらなかった。
「いや……俺はあくまで冒険者す」
「そうかー……。そうだよなあ。お前さんが居れば面白いかなと思ったんだが、まあ仕方無えやな。
お前さんはお前さんで、目指すんだろ、冒険者の〝最強〟を」
「ええ」
ランディの返答に、コンラッドは満足そうに頷く。
「じゃあ、もし俺らがそれぞれそれを叶えたらよ、また会おうぜ。んで、話そう。それぞれのその場所で、何が見えたか、を」
「――はい」
●
道を歩く。時折、声を掛けられるのに、愛想笑いを返す。
通りがかった空き地で、子供たちが、拳闘で遊んでいた。一見ただの喧嘩にも思えたが、戦っている二人は手に厚手の手袋をして、立会人役も居るらしい。
拳闘教室とかいった看板を掲げた建物を一つふたつ見掛けた。養成所のような本格的なものではなく、趣味として身体を動かしたり革袋を叩いたりといった程度のことを指南する場所だということだ。
そういったものが、自然にある町だった。
町の人々はまだセドリックの引退を知らない。あれ程人気のあった拳闘士だ。知れば、残念に思う人も出るだろう。
だが、いずれはコンラッドや他の拳闘士たちが、彼の抜けた穴を補って余りある試合を見せてくれるようになる筈だ。
その時自分は、曲がりなりにもそのきっかけの一つとなった者として、恥じること無く自分の道を歩めているだろうか。
そんな想いを胸にしつつ。
ランディは拳闘士の町フィラスウィッチをあとにしたのだった。
(了)




