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 良い闘士だ。

 それが、相対するその冒険者に対するセドリックの第一印象だった。

 両手に巻いた拳帯に慣れない様子で手を握ったり開いたりしているが、同時に、こちらに注意を払うのを忘れていないのも判る。

 常に戦いの中に身を置いている者が持つ気配。養成所上がりの競技者などには決して持ち得ないものだ。

(冒険者、か)

 放浪し、行く先々で依頼に応じて剣を振るう者たち。

 吟遊詩人や書物が語る物語の題材になることが多く、そういったものからの印象が独り歩きしている感もある。竜を倒して英雄になるとか、悪の魔術師に攫われたお姫様を救うなどといった出来事がそうそうあるものでもないだろう。

 彼らの実際の活動内容は一概には言えない。

 隊商の護衛。物品の輸送。犯罪者の追跡。不明者の捜索。害獣の駆除。秘境の探検。その他諸々、とにかく多岐に渡る。

 国や民を護る兵士や騎士とも、金のために戦場に赴く傭兵とも、狩人とも、盗賊とも殺し屋とも異なり、そしてそのいずれにもなり得、或いはそれらの手が届かない場所を補うこともある職業。

 非常に特殊な職業と言える。

(もっとも……彼らに言わせればきっと〝戦う〟ことを生業とする者としては我々拳闘士の方が異端なのだろうが)

 規則の定められた戦いを行い、観客から見物料を取ってそれを糧とする。

 事故が全く無いでもないが、敗けたところで死ぬことはもちろん重大な怪我をすることも滅多に無い。

 それは、例えば劇を演じる役者や軽業師と同じようなものではないか、と言われることがある。無論それを認める拳闘士は居ない。喧嘩早い者なら言った相手をぶちのめしたりする。

 セドリックの立場でそのような感情の出し方をすることは流石に無いが、そうしたくなることも無いではない。

 ただの〝競技者〟ではなく、〝闘士〟としての誇りを持っているからだ。

(とはいえ……)

 いざ実際に普段から生きるか死ぬかの世界に身を置いている冒険者と相対してみると、その自分の誇りが試されているような気になってくる。

(これは敗けられんな)

 相手が誰であれ敗けるつもりで戦うことは無いが、特にその想いを強めながら、立会人が声高く試合を行う両者の紹介を行うのをセドリックは聞いていた。


        ●


「冒険者?」

 セドリックがオズワルドからそれを知らされたのは試合の五日前だった。

「うむ」

 頷くオズワルド。同年齢だが、小柄ででっぷりと太った彼はセドリックよりいくらか歳上に見える。かつては共に拳闘士を目指した同期だったが、才能に恵まれず早々に見切りをつけ、今は興行を取り仕切る側に回っていた。そちらの方面の才覚は悪いものではなかったらしい。

「それは、お前が前に言っていたあれか。拳闘士以外の相手との特別試合とかいう」

「そうだ」

 セドリックたちが所属する拳闘士養成所の事務室だった。

 半年振りに試合が決まったことが知らされたのが数日前。だがオズワルドの予定が合わずに詳しいことが不明なまま、その日も日課の練習を終え、帰宅しようとしていた。そこへ、どうにか時間を作った彼が直々に対戦相手の詳細を伝えに来たのだった。

 卓を挟んで軽い酒の杯を傾けながら、二人は話をしている。

「思い付いたは良いが手頃な相手が中々見つからなくて、苦労したぞ。その辺のチンピラや力自慢というわけにも行かんしな。後援者の中にはゴブリンやオーガと戦わせてどうかなどと無責任なことを言う輩まで出る始末だ」

「で、その冒険者なら適任だとお前は判断したわけか」

「そうだ。町の酒場で乱闘騒ぎがあってな、そこを、彼が全員を叩きのめして場を収めた。それに偶然居合わせたのだ」

 それは裏路地で拾ってきた喧嘩自慢とどう違うのだ、と問おうとして、しかしセドリックは思い留まった。オズワルドの人を見る目は信頼出来る。出会ったきっかけはどうあれ、彼が適任だと思ったのならそこは信じて良いだろう。

 とは言え、気になった部分は確認しておく。

「どれだけ腕が立とうと、拳闘の門外漢だろう。試合が成立するのか?」

「養成所を紹介しておいた。まあここというわけには行かんからな、ええと、ほら、あの男……コンラッドだったか? 彼が所属しているところだ」

 思い出す。過去に二度戦った相手。二度目が、半年前――セドリックにとって最後の試合だった。

 試合自体はいずれもほぼ一方的だったが、技術的にはそれなりに優れた拳闘士だったという印象がある。

 元王者の訓練士が居るとも聞いたように記憶している。その訓練士によってあのコンラッドが育てられたというのなら、そこで学べばそれなりに強くはなれるだろう。時間さえ掛ければ。

「だが……いや、良いだろう。相手が誰だろうと、私は戦うだけだ」

 そう答えると、オズワルドが顔をしかめた。


「……どうした? 私は戦うと言っているんだ。何か不満でも?」

「俺に不満は無ぇよ。だが、お前はどうなんだ?」

「私?」

 思わぬことを問われて鼻白んでいると、さらにオズワルドは問いを重ねてきた。

「セドリック、お前は何のために戦う? これまで何のために戦ってきた?」

「…………」

 何のために。それは自分の職業が拳闘士だからだ。

 そう思うが、オズワルドの眼差しはそういう答えを求めているようには見えなかった。

 答えを返せず黙り込んでいると、やがてオズワルドは表情を僅かに緩めた。

「ここ半年お前には試合を組んでやることは出来なかった。お前が強過ぎて賭けが成立しないってのも確かに理由の一つだ。それは別にお前の責任じゃない。

 だがただそれだけなら、試合が全く組めないって訳でもないんだ。結果が見えてて賭けが成立しなくたって、お前の戦いが見られりゃ満足だって客も、胸が借りられれば良いって拳闘士もごまんと居る。

 けど、そういう相手を淡々と作業的に叩きのめしていくだけの試合を続けていくと、いずれ客も離れていく。それはこの町の拳闘そのものの盛り下がりに繋がりかねない。何より、俺がお前のそんな試合は観たくない」

「……その冒険者となら、その、お前が観たい試合を私が出来ると、そう言うのか?」

「それこそ賭けだけどな」

 オズワルドは杯を干すと、卓から立ち上がった。

「お前次第か、その冒険者次第か。これまでのように お前が一方的に相手を叩きのめして終わるだけかも知れん。だが、決して噛ませ犬を連れてきたつもりもないぞ。或いはお前が敗けて終わるかも、だ。それはそれでまた新しい展開が見えては来るがな」

「…………」

 セドリックが黙り込んでいると、やがてオズワルドは小さく嘆息を漏らした。

「じゃあ、俺は行くよ。まだ話を通さにゃならんところもあるからな。色々はっきりせんことも言ったが、お前は難しく考えずに悔いのない試合をしてくれれば良いさ。あとはきっと、うまくいく。俺はそう信じてる。

 だからまあ、せいぜい―――でくれ」

「――――?」

 顔を上げる。が、既にオズワルドは事務室から出て行っていた。

 彼の言葉の最後が、別に聞き取れなかったわけではない。だが一瞬、意味が取れなかった。

 それを考え、

「…………」

 そのまま、しばらくの間セドリックは卓に残された空の杯を眺めていたのだった。


        ●


 そして、

「――始め!」

 試合が始まったのだった。


 冒険者が構える。

 悪い構えではない。だが拳闘競技としては無駄の多い構えでもあった。

 拳打に限らず、蹴りや組技、武器、魔術などあらゆる攻撃に備えた構えだ。相手が一人であるとも想定していないのだろう。

 拳闘には拳闘の、長年の間に練り上げられてきた技術というものがある。一対一で拳打のみの戦いと定められているのだから、それに専念した備えをするのが一番効率的だ。七日の間にそれぐらいのことはきちんと学んでいるだろう。

 だがそれでも、冒険者はおそらく最も馴染んでいるのであろう構えを取ってきた。

 拳闘を舐めているのか。そうでなければ、自身がこれまでに培ってきた技術に信頼を置いているのか。

(……後者、なのだろう。おそらくは)

 両手をだらりと下ろした自然体のまま、こちらを突き刺すような冒険者の視線に対抗するように、半眼で相手を見据える。構えや、身体への力の入り具合から、相手が取りうる動き、取り得ない動きを分析していく。

 それが済むと、セドリックは動いた。上体を振り始める。始めはゆっくりと、それから少しずつ速度を上げる。

 接近戦で狙いを一点に定めさせないための基本的な防御動作だが、今は相手の動きを誘い出すためのものだ。

 対する冒険者は僅かに戸惑いを見せ、しかしそれはすぐに消えた。

(思い切りも悪くはないな)

 冒険者が、動く。その直前の気配のようなものがまず向かって来る。

 それから実際の動きが来るまでのその間に、セドリックは両手を顔の高さまで上げると、

「――ふッ!」

 踏み込みと共に左の刻み突きを打ち込んだ。

 前に出ていた右手を叩き落とし、そのまま冒険者の額を打つ。

 それで距離を測り、右の鉤突きに繋いだ。肘を直角に固定して、真横からえぐり込むようにして相手の顳顬(こめかみ)を狙う。

 それは左腕で防がれた。だが構わない。

 間を置かず左を打つ。そして右。左。また左。右。

 冒険者は両腕で防御を固めている。セドリックはその上から打撃を加えていく。

 ただ闇雲に叩いている訳ではない。打撃の際のほんの僅かな接触から、相手の筋肉のこわばりを、力の流れを、呼吸を、重心の変化を、心理状態を読み取っていく。

 機を探る。

 やがて、

(ここだ!)

 連打の流れに、微かな隙間を空ける。針の穴を通すような、ほんの刹那の間。

 そこを見逃さず、捻じ込むように、冒険者が動こうとする。

 それより速く、

「――――っ!」

 セドリックの下突きが冒険者の水月(みぞおち)に突き込まれていた。頭部への攻撃を集中したことによって意識から外れていたであろう腹部への、さらに相手の呼吸に合わせたうえでの、しっかりと腰を入れた一撃だ。

 硬直と共に、防御が開く。その隙間を縫うようにして、駄目押しの左の直突きを顎に叩き込む。

 確実に終わりだという手応えがあった。だが、

(これで終わりか――?! 見せてみろ!!)

 思いと共に拳を引く。

 冒険者の膝から力が抜け、その身体が垂直に落ちていく。

 そして――


「――ふン!」

 冒険者が力の入らないであろう脚を強引に振り回すようにして歩幅を大きく取り、腰を沈め、踏み留まった。

 倒れない。そのことに僅かならず驚嘆する。

 今、冒険者は、セドリックの懐に潜り込んだ形になっている。俯いた顔はこの角度からは見えない。その左右の拳はそれぞれ腰溜めの位置にある。こちらは打った拳を引き戻した形。

 そのことの意味に気付くと同時、冒険者が顔を上げた。こちらを真っ直ぐに見る。

 否。その瞳は焦点を結んでいない。意識を失っている。

 だが、闘志は失っていない。倒れることもなく、身体は意識が無いまま既に攻撃の予備動作に入っている。

(来る――備えろ!)

 防御は間に合わない。だからただ、備える。

 来た。

 冒険者の右拳が脇腹に突き込まれた。密着に近い位置からだったが、思いの外強い衝撃が突き刺さる。

 彼の左足が砂地の地面をえぐるようにして踏み込まれているのを視界の端に捉えながら、後方へ跳ぶ。

 追撃が来る。直線的な鋭い連打。半分は防ぎ、半分は当たり、合間にいくつか打撃を入れつつ、さらに大きく跳んで距離を取った。

 わああ、と観客席が大きく沸いた。

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