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 ――七日前。


 真っ直ぐ立っている状態から、まず左足を一歩前へ。やや内股気味にし、右足の踵を少し上げ、膝を曲げる。軽く握った拳は顔の高さ。肘を下へ向ければ自然と脇が締まり、重心が下がる。顎を引き、身を屈める――背を曲げるというより、胸をへこませる感覚で。

「それが、拳闘の基本的な構えだ」

 訓練士の老人が言う。

「そこから、左拳を真っ直ぐ前に突き出して、そして戻す――いや、腰やらなんやらは動かさなくて良い。なるべく小さく細かく素早く。刻み突きは相手との距離を測るためのものだ。それから狙いすました右の一撃を打ち込む、ってえのが基本的な戦法ってやつだな。……そうそう、そんな感じ。うまいじゃねえか」

 そこは開けた運動場だった。

 拳闘の試合場と同様の、砂地の広場がある。打撃練習のための砂を詰めた大きな革袋や、筋力鍛錬に使う重りなどといった器具が並べられた一角がある。少し離れたところに石造りの建物もあり、なんと汗を流すための浴場であるらしい。

 その運動場のあちこちで身体を動かしているのは、拳闘士やその候補生たち。

 フィラスウィッチの町にいくつもある拳闘士養成所の一つだ。規模としては中程度だが、設備の充実度は比較的高く、王者セドリックが所属している養成所とほぼ同程度とのことである。

 今回の仕事の依頼主である拳闘試合興行主に頼んで紹介してもらい、ランディは拳闘の基礎を学びに来ているのだった。

 動きやすいゆったりとしたシャツにズボンという格好で、運動場の片隅で、老人から指導を受けている。

 試合は七日後。それだけの間学んだところで拳闘が理解出来るなどと思っている訳ではもちろんない。時間はあるのだし何かしらやっておいて損も無いだろう、といった程度の気持ちで来ていた。

 のだが、

「当たり前だが、打たれる方だって黙って打たれやしない。受けたり、弾いたり、身を躱したり。だから打つ方も一撃で済ますんでなく、打撃に虚実を織り交ぜながら連撃を組み立てる。激しい乱打戦の後にほんの小突く程度の打撃が顎に入っただけで試合が終わることも良くある。だがその一撃のために膨大な積み重ねがある訳だ」

 云々。

 意外と、と言ってしまっては良くないのだろうが、

「単純じゃあないんすね、拳闘ってやつも」

「まあな」

 ランディの言葉ににやりと笑いながら応えるその老人は、何十年も前にほんの僅かな期間ではあるが王者だった経験があり、現役を退いて訓練士に転向してからも三人の王者を育てたのだという。流れの冒険者が現拳闘王者に挑戦することになったという話を聞いて、面白がって指導を買って出てくれたのだった。


 動く。

 目の前の空間に想像上の対戦相手を思い浮かべ、攻撃し、或いは相手からの攻撃を防御する。

 始めはゆっくりと。徐々に回転を上げていく。

 単発から、連撃へ。

 腕だけでなく、足捌きも交え。

 老人から学んだ基本的な攻撃や防御の型から始め、そしてそれに拘らずに自由に動いていく。

 構えの左右を入れ替えてみたりもする。

「変わった動きだな。と、俺っちにはそう思える訳なんだが、冒険者流ってやつかい」と、老人。

「冒険者流、って言うか……」そんなものがあるものなのかは知らないが。「俺の場合は多分に我流です。西の方に滞在して色々学んでた時期があったんで、一応そこら辺が起点になってるかな、とは思いますが」

「西」老人が興味深そうに身を乗り出してきた。「てえと、あれか。『まーしゃるあーつ』ってやつか。本当に素手で岩とか砕けるのか」

「技術的にその流れを汲んでる、って程度だと思います。少なくとも俺には無理だし、多分きちんと学んでも人間には無理なんじゃないすかね。そういうのはやっぱ本家のドワーフの(わざ)だって」

 海を超えた先にある〈西の大陸〉に住むいくつかの亜人種族は、人間の基準からすれば遥かに強力な徒手格闘術を使う。

 代表的なものがエルフとドワーフの二種族で、ドワーフ種族のそれは強大無比な打撃を特徴とし、その拳は岩を砕き、蹴りは大木をもへし折るという。

「実際に見たことがあるわけじゃないすけど」

 言いながら、ランディは動きを重ねる。

 間合いを取り、詰め、打ち、払い、躱し、受け、打ち、前へ、後ろへ、右へ、左へ、そしてまた、打つ。

 それを眺めながら、老人が問う。

「ドワーフなら砕けて人間には無理ってのは、そいつあどういう理屈なんだい。やっぱ身体の作りが違うのか」

「それもありますけど、一番の理由は時間らしいす」

「時間?」

「ええ。別にエルフやドワーフだからって生まれつき強いわけじゃなくて、やっぱり修行が必要す」

「そりゃまあそうだな」

「例えばドワーフ式のとある一流派の、一番最初の修行課程で『中腰の姿勢でひたすら立ち続ける』ってのがあるらしいんすけど」

「なんだそりゃ。足腰の鍛錬か」

「多分。で、それを、それだけを、毎日毎日だいたい五年とか十年ぐらいやるそうす」

「十年?!」

 思わず、というように声を挙げる老人に、ランディは動きを停めないまま小さく頷く。

「それを終えるとようやく次の段階に進むんすけど、それもまた同じ姿勢を取り続けるとか、何かしらの動作を繰り返すとかで、やっぱり何年も掛けるとか」

「そりゃまた……随分と気の長い話だな」

「いっぱしの使い手になるまでに三十年とか四十年とか掛かるそうで、人間が同じことやっちゃいられないすよね。長命のエルフやドワーフならそれでも良いんでしょうが」

 だが。

〈西の大陸〉との交易と共にそれらの存在が伝わってきたとき、〈東の大陸〉側である試みを行う者たちが現れた。簡略化による修行期間の短縮である。

 一つひとつの課程を単純に短く切り上げる。いくつかを省略する。効率的な手段を探す。

 そうして組み上げられた人間のための技術体系は、威力や技法においてはもちろん元となったエルフやドワーフが扱うものに遠く及ばないが、それでも十分に強力な技として、〈東の大陸〉の西側を中心に細々と広まっている。

 それが即ち、西方武芸(マーシャルアーツ)である。

「エルフ式を使う人にはこっちの方でも何人か会ったことがあるけど、そういえばドワーフ式は見たことが無いな。まあ剣を持ってればそっちのが早いから使い勝手がいまいちなだけで、使い手が全く居ないってわけでもないと思うすけど――っと」

 言葉と共に、右の直突きから足払い、そして飛び後ろ回し蹴りが、眼前の空間を薙ぎ払った。

「成る程ねえ」頷く老人。それから彼は肩をすくめて続けた。「ところで拳闘試合じゃあ蹴りは反則だぜ」

「……おおう」

 言われて、我に返るランディ。


        ●


「いよーう、やってるかい?」

 汗を拭いていると、声を掛けてくる者があった。

 見れば、若い――ランディよりは幾つか歳上だろうが――男がこちらへ向かって歩いて来る。

 動きやすそうな運動着姿で、その上からでも判る鍛えられた肉体は、拳闘士のものだ。

「やあ、おやっさん。久しぶり」

「おう。元気してやがったか」

 訓練士の老人と挨拶を交わしてから、拳闘士の男は手に持っていた飲み物の器をランディに渡してきた。

「ほれ」

「あ、どうも」

 受け取る。中身はよく冷えた水であるらしい。

「こいつはコンラッド。俺の弟子の一人でな」老人が、男をランディに紹介する。「今んとこ一番勢いがある、って言っちまって良いかな。現王者にも二度ばかり挑戦してる。――勝ててねえけどな」

「そこは言いっこ無しだぜ、おやっさん」

 唇を尖らせ、それからコンラッドはランディに向き直った。

「俺が不甲斐ないせいでしばらく王者の相手が見つからない状態が続いたかと思ったら、久しぶりに挑戦者が現れて、それが流れの冒険者で、しかもおやっさんが面倒見てるって言うじゃねえか。だから激励に来たのさ」

「激励……すか」

 器を手に持ったまま、ランディはほんの心持ち警戒しながら彼に問う。

「それは、お前ごときが王者に挑戦するとはおこがましい、とかそういう」

「いや別にそんなこと言わねえって」

「じゃあ仇を取ってくれとか」

「仇って……自分で勝たなきゃ意味ねえし」

「……金賭けてる?」

「んー、まあご祝儀のつもりでお()さんにいくらか張っても良いかなぐらいには思ってっけど」

 コンラッドの答えを咀嚼し、ランディはしばらく考える。それから改めて問を放った。

「あなたは……王者の敵? 味方?」

「敵も味方もねえよ。セドリックは良い拳闘士だし、俺は勝てなくて、でも勝ちたいと思ってる。同じようにあいつに勝ちたいと思ってる拳闘士は多いし、そいつら全部俺に取っちゃ同志、仲間だ。それはお()さんだって同じことさ。しかも冒険者ってのは今までに無い挑戦者だしな、中々面白いと思ってる」

 拳闘士の表情には屈託が無い。

 戦う相手、かつて戦った相手、かつて戦った相手と戦う相手。にも関わらず、敵も味方も無い、という彼の言葉が、ランディにはいまいち良く判らなかった。


 ランディが首を捻っていると、今度はコンラッドのほうが少し表情を改めて、問うて来た。

「なあ、一つ訊いて良いか」

「はい」

「お()さんは、何のために戦う?」

「何のため……」それは、「依頼を受けたから。興味深い経験になると思ったから」

「いやそういうこっちゃなくってな」コンラッドはかぶりを振る。「もっとこう漠然と、広い意味でさ。冒険者ってのは戦う職業だろ? それを選んだのは、何でだ。拳闘士と戦うことが興味深い経験になるって言ったな。それは、その経験は何の役に立つ? 何故、戦う?」

「強くなりたいから」

 ランディは今度は即答した。

「強く、ね。強いってのは、何だ?」

「判らない。まだ」それも即答だった。「冒険者としての武芸の強さだけなら、目標がある。竜殺しだ。俺は体格にはあまり恵まれてなくて、そこはまあ武器とか戦術とかの工夫でどうにかする。今は無理でも、いずれ到達出来ると思ってる。

 けど、俺が本当に求めてる強さってのは、そういうのだけじゃない、と思うんだ」

 ここ最近出会った何人かの強者たちの顔を思い浮かべる。

「竜殺しを成した人と会ったことがある。厳密に言えば成してないんだけど、それと同じか、それ以上の強さを持った人だった」

 或いは、

「俺と同じ冒険者で、俺みたいに特に強さを求めてる訳じゃないようなんだけど、その場その場で適切な力を選択出来る、そんな強さを持った人と会ったこともある」

 彼らに共通するものとは、何か。

「判らない。けど、この町に来て、あの王者セドリックが所属する養成所の横を通って、彼の練習を少しだけ見ることが出来た。俺が出会った人たちと似た強さを持ってるように思った。そうしていたら偶然に彼との試合が依頼されて、これは受けるべきだな、って……」

 ふとランディがいつの間にか下がっていた顔を上げると、二人が真面目な顔でじっとこちらを見ていた。

「……受けるべきだな、って、そんな感じで、にゃんにゃがにゃがにゃが」

「いやそんな変な誤魔化し方しなくても。

 だが、ま、良いさ。お()さんが最初に思った以上に面白そうなやつだって判った」

 言って、拳闘士は何かを放ってきた。

「?」

 受け取ると、それは革の手袋だった。拳の前面に当たる部分に詰め物がしてある。

「拳闘の練習用に使うものだ。本番の試合では拳帯っつー革の帯を巻くんだが、あれ結構手間が掛かるからな」

 言いながら、同じものを取り出して自分の拳に嵌めている。

「組手ぐらいやっといて損はないだろ。不肖、王者にも勝てない身ではあるが、少しぐらいは協力させてくれや」

 訓練士の老人の方を見やると、笑いながら頷いている。

「じゃ、お願いします」

 ランディは答え、器の水を飲み干すと手袋を嵌めた。

 コンラッドが頷き、そして構える。

「身も蓋もないこと言うならやったからって勝てるようになるもんでもないと思うけどな。でもまあ、せいぜい―――なよ」

 彼の言葉の最後が、何故か不明瞭に記憶に残っている。

(せいぜい……どうしろ、って言われたんだっけ。頑張りなよ? 足掻きなよ? ……何か違う気がする)

 考える。思い出そうとする。

 彼は何を言ったのか。自分は何を言われたのか。

 今、自分は何をしているのか――


        ●


「――――ッ!」

 歓声が、耳朶を打つ。

 そこは試合場だった。

 砂地の地面。円形に区切られた柵。その外側の観客席。

 それらを背景に、視界の中央には一人の拳闘士の姿。明るい色の長い髪をうなじの辺りで結わえ、裸の上半身は細身だが引き締まった筋肉に覆われているのが見て取れる。下半身はゆったりとしたズボンだけを履き、足は裸足。そして両の手には、革の帯が巻かれていた。

 その、打った拳を引き戻した姿勢を取っている。

(打ったって……何をだ?)

 ランディ自身は上半身を立てた棒立ちの姿勢。だが膝に力が入らず、視界がゆっくりと沈んで行く。

 そしてようやく気付く。

 今は試合中であり、自分は打たれ、倒れつつあるのだ、と。

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