第15話 娘を嘲弄する男
1時間かけて、日本滅亡の話、5人の敵の話、加ノ上さんが戦いのパートナーでえあるという所まで話した。加ノ上・母はけげんそうな表情ながらも時折相槌を打ちながら話を聞いている。加ノ上・父は、視線を僕のコーヒーカップの辺りに落としたままだ。ほとんど瞬きをせずに、目をカッと見開いて、はっきり言って恐ろしく感じた。
加ノ上さんは僕と母へ視線を頻繁に動かすけれども、父だけは視界に極力入れないようにしているのが、その仕草から分かる。
何が起こるか予想できなかったけれども、とうとう僕はそのことを言ってみた。
「だから、志成さんを1年間休学させてあげてください」
「帰れ」
間髪入れずだった。初めて父が言葉を発した。
短髪で眼鏡をかけ、若くして大手企業の中間管理職になったという重厚な雰囲気の風貌に対し、その声だけは、低音と高音が入り混じった不気味なものだった。形容詞を探すが、自分のボキャブラリーからは引き出せない。強いて言えば、さっき加ノ上さんが言った、”陰険な”、というものが当てはまる。
「志成!」
父が加ノ上さんに怒鳴る。しかし、その声で言われると、親が子を叱責するといった風ではなく、中年男が10代の女の子になんらかのハラスメントをしている光景にしか見えない。
「生まれて初めて学校の人間を連れてきたと思ったら、何だこいつは!?結局お前はこんな輩としか付き合えないってことだな!」
加ノ上さんがコーヒーカップをぎゅっと握る。
ただ握るだけじゃない。握り割らんぐらいの力がこもっているのが分かる。
「先代・・・君だったか」
「はい」
「家の向かいに幼稚園があるだろう」
「はい」
「志成は幼稚園すら転園したような子だ」
「・・・・・」
加ノ上さんと加ノ上・母は黙ってしまった、というか、5感をシャットダウンしたようだ。
「生まれてすぐ太り始めた。赤ん坊の時から。知ってるんだろう。先天性のホルモンの病気だ。会う人には必ずその説明をした」
「どうしてですか?」
「私らの育て方そのものには問題が無いからだ」
「・・・・」
「最初は向かいの幼稚園に入れた。当たり前だろう。入園して半年ほど経った頃、たまたま出張先から直帰した私が幼稚園の様子を覗くと、志成が園児たちに取り囲まれてた。男の子も女の子もいた。志成は、”病気が原因なんだ”、という説明も一切せずにされるがままだった。だから、転園させざるを得なかった。近所の人たちにそんな姿を見られる訳にもいかんしな」
「あなたは志成さんがいじめられてる時、何もしなかったんですか?」
「家に帰って来た時に志成を叱った」
「え?」
「言うべきことが言える人間になれと叱った。太っているのは自分や親が怠惰だからじゃない、病気のせいなんだと、正しい自己主張ができる人間になれと」
「怠惰だったらいじめられても仕方ないってもんじゃないでしょう。むしろどういう理由であれ、人をいたぶるような子供たちをこそ叱るべきじゃないんですか」
「君は世間知らずだ」
「え?」
「志成の病気のせいで親がどんな思いをしてきたか、想像がつかんだろう。冠婚葬祭で親戚と会う度、”志成ちゃん元気?”、と訊かれてもお茶を濁すしかなかった。最近じゃみんなスマホに写真持ってるからな。ないの?と訊かれて、”いやちょっと”、と答える惨めさは分からんだろう。小学校でも中学校でも同じことの繰り返しだ」
”病気のせい”、とは言ってるけれども、”志成のせい”、という風に僕には聞こえる。
「志成は単に学校から逃げ出したいだけだ。せっかく手を尽くして治療法を見つけてやったのに、未だに自分を守り、主張することもできない。だから君の気違いみたいな妄想に引っ掛かったんだ!帰れ!」
「わたしは逃げ出したことは一度もない!」
加ノ上さんの鋭い声が上がった。
「あなたは」
「あ!?」
加ノ上さんが父のことを、”お父さん”、ではなく、”あなた”、と呼んだことに軽蔑の意味を感じたのだろう。加ノ上・父が、”あ!?”、という1音で威嚇したが、彼女は怯まずに続ける。
「あなたはわたしに、”逃げるのか?”、と繰り返し言い続けてきた。40度の熱があった翌日さえ、”逃げるのか?”、の一言で学校へ行って、いつも通りみんなにいたぶられた。本当は勉強どころじゃないぐらいずっと苦しかったけど、”逃げるのか?”、って言われて奥歯をひびが入るぐらいに噛みしめて、最難関の双輪高校に合格した。今となってはあなたの言葉がありがたいと思ってます。だって・・・・」
初めて彼女が視線で父の眼を射抜く。
「だって、わたしは一度たりとも逃げなかった!100%あなたに言い切ることができるから。逃げたのは、あなたです!!」
「クソが!」
立ち上がった父の椅子がけたたましい音を立てて床に倒れる。見ると、父はコーヒーカップを掴んで腕を振り上げ、加ノ上さんに照準を定めている。
”事実”、をずばりと突きつけられて逆上した人間には正常者も犯罪者も親子の区別もない。
”雅人”、というこの男はたった今、娘のことを「クソ」と呼んだ。僕は躊躇も判断も無く、脊髄の反射だけで加ノ上・父に飛びかかった。
コーヒーカップがフローリングに落ちてごろごろ転がる音がする。このまま床に押し倒してしまったら父はどこかしら怪我をするだろう。僕は抱きついたまま2mほど進み、ソファーに彼を押し込んだ。
けれども、加ノ上・父は僕を押し放そうと抵抗する。力では18歳という若さにかなわないと察した彼は、拳で僕の後頭部をごつごつと打ちつけ始めた。さほど力はこもっていないが、耳に当たると激痛が走る。
殴るしかないのか。
生まれてから一度も人を殴ったことがない僕だけれども、覚悟を決めて拳を握り込んだ。
「雅人さん!」
場を制したのは、加ノ上・母の鶴の一声だった。
と、同時に、彼女が耳に当てたスマホから通話音が漏れてくる。
『こちら110番です。事故ですか?事件ですか?』
母が僕を手招きする。
ゆっくりと後ずさりし、キッチンの辺りまで父と距離を取った。
『どうしました?大丈夫ですか?』
「大丈夫です。すみませんでした」
加ノ上・父が理解不能の表情で固まっているのを確認してから母はスマホの通話をOFFにした。
「何なんだ、静流!」
語気は強いが、彼の言葉にはもはや迫力が無くなっている。
そうか。加ノ上・母は、”シズル”、という名前なんだ。
「暴れたらもう一度通報します」
「あ?ここは私の家だぞ。どう考えたってそいつが加害者だ、って警察は思うだろうが」
「雅人さんが何を言ったって、私と志成の証言で何とでもなります」
「お前・・・!」
シズルさんは、肩幅に足を開いて真っ直ぐ立ち、背筋を反らすぐらいに伸ばす。
「今までは夫婦の情にほだされて雅人さんの考えを優先させてきました。でも、今日からは本当に正しいことを素直に実行していきます」
「正しいことだと?」
「私と志成とでここを出て行きます」
「はあ!?」
「心を静めて私たちを行かせた方がいいと思いますよ」
「私を脅すのか」
「脅しではありません。家庭に問題があるといい仕事ができないっていつもおっしゃってましたから。その原因だと思っておられる志成を連れて行くんです。感謝して下さい」
「何を屁理屈言ってるんだ!」
「いえ。もし私が通報して警察沙汰にでもなったら、あなたは間違いなく会社で降格されます。できればそんなことはしたくない。脅しじゃなくってあなたが今、目の当たりにしている事実です」
さよならも、今までありがとうとも言わない。この言葉を最後に加ノ上・母と加ノ上さんはドアを開けて外に出た。加ノ上さんが僕をじっと見つめて促す。
玄関まで慎重に歩みを進め、ちらっと振り返る。
死人のように顔の白い雅人が、口を半開きにして突っ立っていた。
外に出て、そのままドアノブから手を離す。
ガチャッ、というドアの閉まる音だけがやたら低音で響いた。




