喪の章-1
悲鳴も上げられずにいたルカの目には確かにいるはずのない人物が映っていた。
黒い髪を靡かせた女性。面差しはミズキに似ている気がした。しかし、その眼差しは何かに取り憑かれたように苛烈で、手を赤く濡らしながら、加賀美の肉を抉っていた。
加賀美が息絶えると、その視線はぎらりとルカの方に向く。
ルカはじり、と一歩後ろに退いた。しかしあっという間に距離を詰められる。よく見るとその人物には左耳がなかった。
ず、と血まみれの手がルカの耳に伸びる。ルカは嫌、と耳を塞いだ。
乱暴にその手を退けようとした女性。それが不意に仰け反る。
「あああ、あああ!」
苦しげな女性の声にルカは顔を上げた。見ると女性は苦しみながら、ルカの左手を睨み付けている。もっと正確に言えば、ルカの左手の中指を。
「なぜ、なぜ、なぜ、それを!?」
「え?」
ルカは中指を見る。木彫りの指輪。そこには花を模した紋様と──"ルカ"と名前が刻まれていた。
けれど何の変哲もない指輪である。
ルカが戸惑ううちに、女性の姿は消えていった。
加賀美の死体を前に呆然としていると。
ぱたん
「ルカちゃん?」
虹の瀬がやってきた。
虹の瀬はルカと倒れた加賀美の姿を認め、表情を凍らせる。
「るゐおばあちゃん……」
「先生、わたし」
「……大丈夫、ルカちゃんは何も悪くないから」
虹の瀬はルカに歩み寄り、優しく頭を撫でた。
冷静に警察と救急車を呼ぶ。
一通りの処理を終え、待つ態勢に入った虹の瀬をルカはちょんちょんとつついた。
「ん、どうしたの?」
「先生、わたし、女の人を見たんです。ミズキお姉さんにそっくりな、長い黒髪の人……」
ルカの言葉に虹の瀬は顔を青くし、怖くなかった? と尋ねる。
「怖かった、です。わたしの耳に手を伸ばして……怖くて耳を塞いだら、指輪を見て、逃げてっちゃったんですけど」
「指輪……」
虹の瀬はルカの左手の中指を見、何か得心がいったようだった。
晴れやかに微笑みかける。
「よかったわね。シランくんが守ってくれたのよ」
「シランが」
じわりとルカの目に涙が滲む。
ルカは虹の瀬にすがって泣いた。
虹の瀬は本当の母親のように愛しげにルカを見つめ、優しく撫でていた。
終わったのよね、ハルカ?
虹の瀬は心の内で既に亡い友に問いかけた。
夕方五時の時報はサイレンの音に掻き消され、聞こえなかった。




