鮮の章-2
まだだらだらと血が流れ続けている。職員の手を借りて間接圧迫をすると、虹の瀬は深く息を吐いた。
ルカはちらりと床に転がったままの左腕を見る。それが握り込んでいる何かは、だらだらと赤にまみれた細長い何かだった。
「気にしないで」
虹の瀬が口を開く。
「ルカちゃんの耳が持って行かれるよりよっぽどいいわ」
虹の瀬の紡いだ言葉に、ルカはただただ絶句した。
耳? 持って行かれる? どういうことだ。それにこの口振りはまるで。
「先生はこうなるって、わかっていたんですか?」
震える声でルカが尋ねると虹の瀬は寂しそうに微笑んで、ええ、とはっきり答えた。
「ごめんなさいね。本当は全てが終わる前に教えてあげられればよかったのだけれど、アオハくんとシランくんが、だめだって」
「アオハくんと、シランが……?」
虹の瀬は優しい眼差しでもう目を開かないシランを見やる。優しくて、切なくて、悲しそうなその目を責めることはできなかった。
間もなくしてやってきたサイレンの音が耳をつんざく。
それを察してか、虹の瀬は後のことを他の職員に任せ、ルカを連れてその場を去った。
連れて来られたのは、院長室。虹の瀬はぱたりと扉を閉めると、近くのソファにどっかりと背を預けた。
「あ、ごめんなさい。ルカちゃんも好きなように座って。先生、ちょっと疲れちゃった」
はっとする。止血はしたものの、なくした指の部分は相当痛むだろう。脂汗も止まっていない。顔色もよくない。
ルカは虹の瀬の向かいに慌てて座った。
「さて、何から話したらいいかしら……日誌は誰のところまで読んだかしら?」
「トウコさんのところまでです」
「じゃあ、ちょうど双子から先の話は読んでいなかったのね。じゃあ……はい」
虹の瀬は机から日誌を引き寄せ、ぱらぱらとページを開き、ルカに渡した。
受け取り、目を落とすと、そこにはアオハの名があった。
──年二月──日
あおはくん
カナタとハルカの間に双子くんが生まれた。双子を育てる余裕は当然ながら二人にはない。今回も私が預かることになった。
今回も名前の当て字を頼まれたのだけれど、また理由を聞きそびれた。二月で、青葉なんてどこにも見受けられないから、この字ではないだろう。じゃあ無難に"は"の字は"羽"にするとして。
"あお"は……ちょっとかっこいい字にしよう。"葵御紋"の"葵"とかどうだろう。
名前についてはいいだろう。
あおはくんは双子くんの兄である。
物静かで理知的。二歳なのに結構流暢に喋る子で年齢に不相応なくらい物分かりのいい子だ。
三歳。片倉さんという方が訪ねてきた。某有名企業の社長さんだという。
片倉さんは少々込み入った事情があり、養子が欲しいのだそう。大企業の社長さんともなれば、養子縁組みを、という方などたくさんいるだろうに、片倉さん自身の意志でどうせなら、家族のない子の新たな居場所として養子を迎えたいとのことで、わざわざ野瀬市からいらしてくださったという。
そんな素晴らしい考えをお持ちの方ならば、誰を預けても安心。ただ、さすがにお家の事情で何人も連れていくというわけにはいかないようで、"三歳くらいの男の子を一人"という条件が提示された。
該当するのはあおはくんと双子の弟のしらんくんだけだったが、片倉さんはあおはくんのことが気に入ったようで、あおはくんを引き取っていった。
隣のページには、シランが。
──年二月──日
しらんくん
カナタとハルカの間に双子くんが生まれた。その弟の方。
例によってこの子も当て字を頼まれたのだが、"しらん"とは変わった名前だどういう意味だろう?
とりあえず、頭にぱっと浮かんだ字を当ててみた。"枝の嵐"。そこそこかっこいいんじゃないだろうか。
しらんくんは結構ドライな性格。
とうこちゃんとは違って人見知りというわけではないようだが、無愛想というか。あおはくんとは違った意味で年齢不相応だ。
三歳。あおはくんが引き取られたとき、しらんくんは片倉さんに対して終始つんけんしていた。聞いたら、"いいとこの坊っちゃんになんてなりたくない"とのこと。しらんくんにもあおはくんにも片倉さんの素性は話していないのに、どうしてわかったのだろうか。
六歳。小学校入学前。近眼であることが発覚。眼鏡を作った。かなり似合うというか、これまでに輪をかけて頭がよさそう。
ここの子たちの中ではだいぶ長くいる子だ。みんなからはお兄さんとして慕われている。
軽口の叩き合いでよく喧嘩みたいになっているけど。
十歳。市瀬さんという方が引き取りたいと名乗りを上げてくれた。
去り際、しらんくんに訊かれた。「俺に兄弟がいるでしょう? しかもたくさん」と。
鋭い子だ。
私は知っている全てを教えた。




