始の章-6
結局、どさくさに紛れてシオンは連れて行かれた。
「ごめん、シラン。わたし、止められなかった」
「君が気に病むことはないよ。それにあれ以上逆らったら俺たちが傷つけられていたかもしれない。ルカに怪我がなくてよかった。眼鏡壊れちゃったけど」
眼鏡をかけていないため焦点が定まらない目でシランが微笑む。
「でも、シランが」
「大丈夫。俺はこのとおりぴんぴんしてるから」
と言いつつ顔色の優れないシランは今、病院にいた。軽い脳震盪と口の怪我。さして障害の残るものではないが。
「診察も終わったしすぐ帰れるって」
「そうはいきません」
病室に新たな人物が二人入ってくる。三十代前半の夫婦だ。その姿を見、ルカは立ち上がってお辞儀をする。旦那さんは軽く会釈を、奥さんは快活な笑みを返した。
「お久しぶりです、市瀬さん」
「お久しぶり、ルカちゃん。見ないうちにまた一段と可愛くなっちゃって」
この夫婦こそシランの里親、市瀬夫妻である。
「……で、母さん。そうはいかないって何?」
「あんた今日入院だよ、シラン」
「え」
母親の一言にシランが硬直する。多少のことでは動じない頑丈な心臓の持ち主であるシランだが、母親のずばっと斬る物言いには敵わないらしい。
「検査結果を医者に聞いてきたけどね、あんたが今回倒れたのは疲労困憊によるところが少なからずあるそうだよ。塔藤に殴られたのはきっかけには充分すぎたらしいけど、遠からず倒れるはずでしたとさ」
ぐさぐさ刺さる言い方にルカが介入しようとするが、シランの母親は畳み掛ける。
「あたしたちが気づかないとでも思ったのかい? あんたがここ最近忙しく何かを嗅ぎ回っていたことに」
「それは、シオンを助けたくて」
「それだけじゃないだろう?」
鋭い指摘と視線にシランは威圧され言い淀む。
「シオンを助けるためだけなら、遠い野瀬市まで出張る必要はない」
「多ヶ竹市にもな」
絶妙な間合いで父親が入れた合いの手にシランは完全に返す言葉を失う。
傍らで聞いていたルカにはわけがわからない。野瀬市も多ヶ竹市も比灘町からは程遠い大都会だ。そこにシランが行っていた? 行動も謎だが、理由も計り知れない。
「でもまずいな。今日はあいつと会う約束なんだけど」
シランの小さな呟きにルカが反応する。それに気づいてシランがルカを見上げた。
「ルカ、申し訳ないんだけど、図書館に行って俺と待ち合わせしてる奴に伝言を頼まれてくれないか?」
「いいよ」
「ルカも知ってる奴。ほら、野瀬から来てる"片倉"っているだろう? あいつに"アイからセイへ。烏は今日は帰れない"と伝えてくれ」
奇妙な文言だったが、ルカは頷いた。
図書館の閉館時間が近いので、すぐに去ろうとすると、シランに呼び止められた。
「手、出して」
「こう?」
右の掌を上にして差し出すと、シランが一方の手を重ねる。ちゃりんと音がした。
「お金?」
「二百円。コンビニであんまんでも買って」
ルカはシランの気遣いに感謝した。
「ありがとっ!」
ルカはあんまんが好物なのだ。
ルカの去った病室で。
「よっ、やるじゃないか色男!」
「からかうのはよしてよ母さん」
テンション高めの母親に冷めた声でツッコむ息子。一応個室なので、クレームが来ない程度に。
二人の緩んだ空気の中で口数の少ない父親が差し込む。
「それで、シランは何を調べていたんだ?」
その問い一つで空気が緊張する。何もない空を見つめながら深刻そうな顔でシランが告げた。
「母親の名前と身の上がわかったんで、懸念事項を調べているんだ。あの人が凶行に走るかもしれないから」
ある都市伝説に準えてね、と付け足したシランが窓の外を見る。
烏がカァと枯れた声で啼いた。