哀の章-6
染崎ハルカ──ルカは記憶の中からその名前を探し当てた。
トウコが亡くなる前、加賀美の隣の部屋を訪れたときに口にした名だ。
染崎ハルカにトウコは三女だと名乗った。お父さんは蘇らない、と。
"七つの子事件"と関わりがありそうなのはわかった。だが。
「二月に、死んでいた……?」
隣で聞いていたシランが唖然とした声を上げた。
「二月って」
「そう、全ての事件が始まる前よ。いえ……本当の始まりはそこだったのかもね」
トウコの口振りから、その"染崎ハルカ"という人物がこの連続不審死事件の犯人なのだとルカは考えていた。
けれど、事件が起こる前にその人物は死んでいた。
「そんな、あの人が……」
シランが唖然と呟く。
「私はアオハくんから話を聞いていたの。二人共知っているでしょう? 片倉アオハくん」
「えっ、院長、アオハくんのこと知ってるんですか?」
驚くルカに当たり前でしょう? と答える虹の瀬。
「だって、アオハくんはここの子で──そう、カナタとハルカの子どもの一人だもの」
七人兄弟。
ルカの脳裏に"七つの子"の面々が思い浮かぶ。
無邪気な末っ子。
七人兄弟のまとめ役の長男。
かしましい年子姉妹の妹。
年子姉妹の足の速い姉。
人見知りで引っ込み思案の頭のいい三女。
双子兄弟の物静かな兄。
考えてみれば、アオハほど"双子兄弟の兄"に当てはまる人物はいないかもしれない。
なくしたのも、右足。──同じだ。
すると、気になってくることがある。ルカは疑問をそのまま口にした。
「もしかして、アオハくんには双子の弟がいるんですか?」
虹の瀬は何も言わず、ただただ微笑んでいた。
にこにこにこにこと。
その笑みの先がルカには少しずれているように感じられた。ルカではなく、その隣に向けられているような……
シラン?
見るとシランは無表情だった。いや、いつもほとんど表情を動かさないので、変わりないといえば変わりないが、いつもよりも渇ききった表情に見えた。
「アオハくんは私に事件のことを教えてくれた。ハルカが"儀式"を行っていると考えたのでしょうね。だから、私にハルカを説得して、やめさせてほしい、と頼んできたわ。"七つの子"の話を聞いてぞっとしたから、私は半信半疑ながらも頷いたの。だって設定が偶然かもしれないけれどまるっきり、カナタとハルカたちの話だったから。ハルカならやりかねないと思ったわ。
アオハくんが亡くなって、それは確信に変わったの。だから、今日はハルカに会って、説得するつもりだった。……死んでなければね」
最後の一言は水を打ったかのように場の空気を静めた。時計の針が刻む音も、風の動く音も、シランや虹の瀬の呼吸音さえも、一瞬止まった。ほんの一瞬。瞬きをするほどの刹那のことである。それがあまりにも永く永く、ルカの耳を支配した。
わいわいがやがや。
遠くの子どもたちのざわめきがルカをはっと我に返らせる。
「あの」
「お話、ありがとうございました」
喋ろうとしたルカを遮り、シランが口早に言う。そっとルカの手を取り、小さく引く。
「続きが気になるところですが、配膳室に行きましょう。もう正午です」
シランが言うとそれを見計らったかのようにごーんごーんと時計が鐘を打ち鳴らす。その音にルカはびくりと震えた。
虹の瀬は鐘の音に驚いたように時計を見上げる。
「まあ、こんな時間。シランくんは元々私たちを呼びに来たのだから、子どもたちは相当お待ちかねね。では、行きましょう」
「職員さんたちの料理も冷めてしまいます」
納得しあう二人にルカは反論の言葉を持たなかった。
ルカは知らない。
ルカが少し目を離した隙に、シランと虹の瀬が短く言葉を交わしたことを。
声を出さずになされた会話はルカの耳に届こうはずもなかった。
二人の唇はこう紡いだ。
「覚悟はもう、できています」
「そう」




