逝の章-3
「片倉さん……あの方がいらしたときのことは忘れようにも忘れられないわ」
事務室の片隅で虹の瀬は語る。アオハは苦い面持ちで聞いていた。
アオハは孤児だった。かつてこの"虹の瀬孤児院"にいたのだ。
最も、まだ物心つく前に現在の親である片倉に引き取られたので、アオハ自身には記憶がない。もちろん、同時期に既にいたシランやルカもそのことは全く覚えていないだろう。
「確か、片倉さんはお家の次男坊で、お兄さんが行方知れずなんですよね。それで次男ながらに家督を継ぎ、会社経営をされているとか」
以前シランが語ったとおり、アオハが引き取られた先・片倉家は某IT企業の社長一族である。代々優秀な人材が輩出され、家督も親の七光りではなく、きちんと実力も兼ね備えた人物で、会社経営を行っている。
アオハの父はそんな片倉家の次男坊として生まれたわけだが、兄である長男が大変な放浪癖の持ち主で十年も前から行方を眩ましている。前当主はそんな長男を早々に見限り、次男に家督を継がせた。
ところがその次男にも問題があった。過度の女嫌いで仕事以外で近づいてくる女は片っ端から背負い投げ。なんとわざとではなく反射だというから手の施しようがない。
そう、家庭を持つ気配がないのだ。
そうなると片倉家は今代で潰えてしまう。
せめて見合いしろ、と勧められたものの、母親まで投げ飛ばしてしまう始末。
ならばどこかから養子をもらえ、となり、どうせなら行く宛のない子どもに未来を、とアオハのちち・片倉は"虹の瀬孤児院"の扉を叩いたのだ。
「経緯は確かに笑えますよね」
ものすごく他人事なアオハだが、そこで引き取られた張本人である。
虹の瀬孤児院にやってきた片倉は二人子どもに目をつけた。それがアオハとシランである。
二人共まだ物心ついていないところであるから片倉が声をかけても頭上に"?"を浮かべるだけだったのだが。
何を思ったかアオハはぺこりとお辞儀をし、シランはふいっとそっぽを向いてしまった。
その反応が二人の運命を分けた。
「幼いながらに礼儀を理解しているから、と片倉さんはアオハくんの方を引き取っていったんですよね」
「ええ。実はそのときのことはうっすら記憶にあるんですよ。たぶん、市瀬のやつも覚えていると思いますけど。僕が連れて行かれる前、別れ際にあいつは言ったんです。"頑張ってね"って」
二歳くらいのたどたどしい喋りでシランは告げた。
「ぼくはばかとおもわれていいけど、ルカちゃんといっしょがいいから」
「……だから、片倉さんが来たとき、ずっと"考えて行動できないふり"──有り体に言えば"馬鹿なふり"をしていたんです」
虹の瀬は静かに一口お茶をすすった。
僅かな沈黙の後、ぽつりと言う。
「前から思っていたけれど、シランくんは随分賢いのね」
「ええ、腹が立つくらいに」
アオハはばっさりと斬る。虹の瀬は怪訝そうな面持ちでアオハを覗き込む。
「恨んでいるの? シランくんのこと」
「まあ、ちょっとは」
今の家、窮屈ですからねぇ、とアオハは湯飲みを手に遠い目をする。
アオハは片倉という家が好きではなかった。名家である故に目立つ。それが皆の"憧れ"としてなら何も問題はないが、"嫉妬"の対象になるのがやはり不愉快であった。
「市瀬は仕立てのいいスーツを見て、瞬時に全部を推理したんです。あいつは僕以上に頭がよかった。先見の明というのがあったんですよ」
「あらあら、片倉さんったらそんな子を見逃すなんて、惜しいことをしたのね」
冗談めかして虹の瀬が言うとでも、とアオハは続けた。
「これでよかったんです、きっと。僕より市瀬の方がルカを守れる。だから、いいんです」
「男の子ね」
虹の瀬が微笑む。
「まあ、僕のことはいいんです」
そう、アオハは話題転換をした。
「虹の瀬院長。僕たちは本当に捨てられていたのですか? 貴女は僕たちの親のことをよく知っているんじゃないですか?」




