始の章-3
放課後。ルカとシランは校門の前で待っていた。
そこへ。
「ルカ姉ちゃん、シラン兄ちゃん!」
表情を輝かせて駆け寄ってくるひときわ小柄な男の子。ブラウスにカーディガン、ロングスカートのルカやダッフルコートを着込んだシランと比べると、明らかに薄手で汚れている服のその子ども。長袖Tシャツのロゴは土埃ですすけている。
「や」
「一緒に行こう、シオンくん」
シランとルカがそれぞれ応じる。
みすぼらしい格好のこの男の子こそ、シオンだった。ルカとシランの手を取り、にこにこと頷く。
「昼休み、大丈夫だった?」
「へ?」
歩き出し、問いかけたルカにシオンはきょとんと首を傾げた。
「ほら、ボールが当たってた」
「ああ、ルカ姉ちゃん見てたの?」
シオンは恥ずかしげにはにかんだ。
「へーきだよ! ちょっとずきんってなっちゃっただけ。でも痛かったのはボールじゃなくて"おとーさん"の傷だから」
けろりと言ってのけたシオンにルカはかける言葉をなくす。
「また"塔藤さん"に殴られたのか?」
代わりに問いかけたのは、シランだった。眼鏡の奥の瞳が黒く鋭い光を放っている。表情の変化は少ないシランだが、こういうときは怒っているのだ、とルカは感じ取っていた。
しかし、それをわかっているのかいないのか、シオンはにっこり返す。
「違うよ。これは"しつけ"だよ。暴力じゃない。ぼくがいい子じゃないから怒ってるんだって。ぼくが悪いからなんだよ。だから痛いけどへーきなんだ」
「痛いのを"平気"とは言わない」
シランの声は冷たい。眼鏡の奥の瞳も。おもむろに左手でこつんとシオンの額を小突いた。
「いてっ、シラン兄ちゃん暴力反対ー」
「それを親に言え」
「……」
シランのぶっきらぼうな一言に、シオンが黙り込む。きっと言えないのだろう。
ルカとシランはシオンの里親二人に会ったことがあるからわかる。シオンの里親塔藤夫妻は、仕事やご近所付き合いなどの外面はいい。しかし、そのストレスを子どもにぶつけている。愛情という言い訳、引き取った恩などの理不尽を振りかざして。それをシオン自身は物心がつくかつかないかの頃から植え付けられているため、異常だと認識できないのだ。
けれど、何か薄々は気づいているのだろう。特にシランが里親に引き取られてからこっちは、親に関する話の途中でよく口をつぐむようになった。シランもシオンも、元は孤児。同じ立場だった自分たちが別々の親とはいえ、同じように引き取られ、何故こんなに待遇が違うのか、疑問を抱き始めたのかもしれない。
察しつつも気丈に振る舞うシオンを見ていると、ルカは胸が痛んだ。
「ねぇ、やっぱり役場に行こう?」
「いや」
これまでも何度かしてきた提案だったが、即決で断られた。けれどルカは理由を訊かない。答えはいつも同じだから。
"おとーさん"と"おかーさん"には恩があるもん。
育ててもらっている恩、生かしてもらっている恩……その説明がすらすらと淀みなく出てくるほど、塔藤夫妻の洗脳は徹底されていた。それを語るシオンの瞳が虚ろなのも切ない。きっと、言うのは自分の意思ではなく、条件反射。
本当に言いたいことを言えないなんて……
ルカはぎゅっと手を握りしめた。
シランとルカは鮮美地区、シオンは久遠地区に住んでいる。シオンとは塔藤家の前で別れた。
笑顔を貼りつけたまま家の中に入っていくシオンをルカはいつまでも見送ろうとする。
「……行こう、ルカ」
「うん」
離れようとしないルカの手を引き、足早に去るシラン。彼にはこの後何が起こるかわかっていた。だから少しでもルカを遠くに……!
その一心でほとんど走るような競歩をしていた彼ががくんと後ろに引かれる。
振り向くとルカが蹲っていた。繋いでいた手を放して、耳を塞いでいる。
「ルカ!?」
「うぅっ、シオンくんが、シオンくんが」
ルカは震える声で繰り返す。その背中をさすりながら、シランは近くの空き地に入る。空き地を囲む塀の片隅にルカをもたれさせた。
「ルカ、大丈夫?」
「シラン、シオンくんが、お母さんに"また言ってた時間のとおりに帰って来なかったわね"って。お父さんが"しつけが必要"──っ!!」
言葉の途中で悲鳴を上げて耳を塞ぐルカ。シランはその背をさすりつつ、シオンの家がある方を見た。
「しつけ、ね……」
その家の向こうにいる夫妻に問いかけるような呟きが零れた。