堰の章-8
「お邪魔しました〜」
加賀美の家を出ると、ルカはアカネとトウコと三人で歩いていた。
「そういえば、お父さんとお母さんが今度ぜひ来てくださいって言ってましたよ」
「あら嬉しい。合間を見つけて行くよ。トウコも一緒にいい?」
「もちろんです!」
「う、嬉しい……」
トウコが恥ずかしそうに頬を染める。
「そうだ、トウコさんは勉強教えてくださいよ。全国トップレベルで頭がいいってアオハくんから聞きました!」
「そんな、大袈裟だよ。いつも学年主席なだけ、で」
「それを"だけ"とは言わんわい」
アカネが突っ込む。
「あー、羨ましい。あたしは足が速いのだけが取り柄だからね。頭はからっきしよ」
苦笑いして肩を竦めた。
「でも、頭がよくてもいいことないよ?」
「あるがな! トウコはその謙虚すぎるところがいけないの」
「……そうなの?」
「そうなの! 変なところで天然よね……とにかく」
そこでアカネの表情が呆れから真剣味を帯びたものに変わる。
トウコの左手を捕まえた。トウコが驚きに目を見開く中、その袖がするりと落ち──手首に無数の切り傷がついているのが見えた。
ルカは息を飲む。
この行為の名前を知っていた。
「リストカット……」
ルカが呆然と呟くと、トウコは左手を掴まれたまま、ふいっと下を向いた。
アカネは泣きそうな顔で言う。
「こんなこと、するようになる前に、相談してよ! みんなトウコが大切なの。トウコが優しいの知ってるもん。だから、一人で勝手に消えようとすんな!」
「時田、さん」
「アカネよ! ミドリもミズキもみんな幼なじみで友達でしょう? いつまで他人行儀なのさ」
「ア、カネさ」
トウコは声を震わせ、その場に崩れた。アカネはそれを静かに抱きしめた。
いじめか。
翌朝、突き抜けるように青い空を見上げてルカはぽつりと考える。
トウコが苦しみ、リストカットに至った原因がいじめであった。理由はトウコの学力に対するやっかみ。ただ、トウコに自覚がないのが問題だった。
トウコは昔からコミュニケーション障害で、知らない人に挨拶されただけで逃げ出してしまうほどだったらしい。
人にやっかまれないように──目立たないようにとあの謙虚さが生まれたらしいが、どうもそれが裏目に出て、やっかみの対象となった。全国レベルの頭のよさでああも謙虚に出られたら確かに嫌味だとは思うが。
けれど、それだけでいじめてしまう方もよくないはず、とルカは考える。
「どうしたの? ルカ」
市瀬宅から出てきたシランが思案顔のルカに疑問符を浮かべる。
「おはよう、シラン。実は昨日ね、トウコさんとアカネさんに会ったんだけど、トウコさんが……」
言いかけて口をつぐむ。軽々しく話していい内容ではないということに気づいたから。
シランはそんなルカの様子を気にした風でもなく、話を切り替える。
「アカネさんにも会ったんだ」
「うん。シランはアカネさんとも知り合いなの?」
「ん? いや。あっちは知らないと思うよ。俺が一方的に知ってるだけ。ほらあの人有名だし」
よく考えてみるとそのとおりだ。アカネは有名な高校生陸上選手でテレビなんかでもたまに見かける。どこで名前を耳にしていてもおかしくはない。
そう思いこの話題を流したルカは傍らでシランが顔をしかめて考え込むのに気づかなかった。




