堰の章-3
四月。新学年の幕開けが近づく中、ルカは毎日シランと共に遊び歩いていた。
二人共、課題は終わっているので別に問題はないのだが。
問題は、ルカがあれからいつも夕方の時報が鳴るたびに怯えてしまうことだった。軽い錯乱状態に陥ってしまうのを、シランが慰めるという日々が続く。
「僕が来ない間にねぇ……」
図書館でアオハがそれを聞き、神妙な面持ちで頷いた。
「だからか、その本にカバーしてるのか」
近くにいるルカに聞こえないようにぼそりとアオハが言う。シランは軽く睨み、ルカの様子を窺う。本に熱中して、こちらの会話には気づいていないようだ。
それにほっとした息を吐くのをばれないようにシランは眼鏡のブリッジを軽く持ち上げる。それから目を手元の本に落とす。
その本のタイトルは"七つの子"。今のルカにとってはまさしく鬼門である。
以前アオハが読んでいた都市伝説だ。
「借りたの?」
「いいや、買った」
「随分古い本なのに、よくあったね」
「母さんの旧友が古本屋でさ」
「え? シランの知り合い、本屋さんなの?」
思いがけずルカから反応があり、シランとアオハが驚く。会話を聞かれたか、と思ったが、ルカが興味を持ったのはどうやら"古本屋"の一言だけのようだ。
「本屋さん、行きたいなぁ」
「ルカ、本好きだもんね。でもその本屋、立ち読みお断りだから」
「そっかぁ、残念」
代わりに、とシランが続ける。
「あそこに行ってみない? 久々に」
「あそこ?」
「虹の瀬孤児院」
「こんにちはー」
「はーい。あら、ルカちゃんにシランくん、お久しぶりね」
ルカとシランは"虹の瀬孤児院"に来ていた。アオハはもうすぐお昼だということで帰ってしまい、いない。
出てきたのは虹の瀬孤児院の院長の虹の瀬穹。四十代半ばの女性である。いつも白い割烹着を身に着けており、昭和の"お母さん"といった印象の人物だ。
虹の瀬はかつてのルカやシランのように幼くして親に捨てられた子どもたちを引き取って、里親が見つかるまで育てている。二人にとっては恩人だ。今は亡いシオンにとっても。
「遊びに来ました」
「いらっしゃい、いらっしゃい。春休みだものね。ありがとう」
虹の瀬は二人を伴い"遊戯室"に入る。中には十人ほどの子どもがいた。
「みんな、ルカお姉ちゃんとシランお兄ちゃんよ」
「わあぁっ、ルカお姉ちゃん久しぶり!」
「シラン兄ちゃん、あれ? またおっきくなってる? ぼくおっきくなってとっこしたいのに、シラン兄ちゃんずるい」
「ルカ姉、シラン兄!!」
二人はあっという間に子どもたちに囲まれる。様々な言葉が飛び交うが、どれも二人を歓迎するものだ。
ルカはこの施設を出て以来、シランは三ヶ月振りくらいだ。慕われていたのがわかる。
「あれ? シラン兄ちゃん眼鏡変えた?」
「ああ、ちょっと壊しちゃって。よくわかったね」
「だって悪そうなのに磨きがかかってる!」
「んなっ!?」
シランのこれはコメントに困るが。
シランは色々とさりげない毒を撒かれつつも集まる子どもはルカより多い。ぶつぶつと文句を言いつつも普段との違いがわかりづらい顔はまんざらでもなさそうだ。
「二人共、しばらく遊んでいてくれるかしら? 私はお昼の準備をするから」
「はーい」
わらわらと子どもに囲まれながら二人は応じた。
「何して遊ぼうか?」
ルカが子どもたちに問いかけると物静かな雰囲気の女の子が、ルカの裾をつんつんと引っ張った。
ルカが振り向くと、その子は不思議そうにルカを見上げて訊ねる。
「ルカお姉ちゃん、なんだか元気ない。何かあったの?」
「え?」
「だって、いつもなら"これして遊ぼう"ってお姉ちゃんが提案してくれるのに、頭が回ってないみたい。寂しそう。……シオンお兄ちゃんがいないのと、関係ある?」
女の子の鋭い指摘に、ルカの笑顔が凍りつく。
ここにいる子どもの半分以上が未就学児である。学校に通っていない彼らはシオンの件を知らされていないのだろう。
シオンはシランに連れられて、以前からこの孤児院に遊びに来ていた。シランは毎回、シオンをひきずってでも連れてくるようにしていた。一秒でも短く、塔藤夫妻から引き離すために。
そのため子どもはすぐにおかしいと気づいたのだろう。いつもと違う何かに。
自分たちよりも年下の子どもたちの鋭さに心中で舌を巻きつつ、シランはルカを見やる。
ルカは凍りついたままだった。
「……ルカ?」
シランは声をかけてみる。するとじわっとルカの目から涙が溢れてきた。
「わー、シラン兄ちゃんルカ姉泣かしたー」
「えっ、俺?」
「女の子泣かすとか、悪いんだー」
「ルカ姉、大丈夫?」
何故かシランに矛先が向きつつ、ルカを慰める子どもたち。ルカはその優しさに更に涙を流すのだった。




