始の章-2
「へぇ。ルカ、引き取り親が見つかったんだ。よかったね」
「えへへ。ありがとう、シラン」
比灘町立生染小学校。町で一番大きな小学校である。
ある昼休み、五年三組の教室で前後の席の男の子と女の子が何やら話していた。
女の子は前髪をピンで留めている愛らしい印象の子。晴れやかな笑顔で語る彼女は双見縷霞という。対する前の席の男の子は市瀬枝嵐。かなりの近眼らしく、目の大きさが違って見えるほどの眼鏡をかけている。
「それで、新しい苗字は?」
「双見っていうの。でも、学校では三月いっぱいまで虹の瀬かな」
「へぇ、フタミさんねぇ。随分印象が変わるなあ。俺のときなんかは虹の瀬と市瀬で音が似てたから代わり映えしなかった。はっきり言ってつまんなかった」
無表情に近い顔を僅かにしかめ、シランが言う。その一言にルカは苦笑した。
「名前がつまらないって……せっかく引き取ってくれた親御さんに失礼でしょ」
「いや、今の両親に感謝はしているよ?」
二人の会話の端々から読み取れるかもしれないが、ルカもシランも元々は孤児だった。二人共同じ"虹の瀬孤児院"で育った所謂幼なじみのようなものだ。
二人共、両親は不明で、赤ん坊の頃捨てられた。わかったのは名前だけ。よって二人共苗字は孤児院の名称である"虹の瀬"を名乗っていた。
けれどシランは一年前、ルカはつい先日、引き取り手が見つかったのである。もっとも、ルカはまだ便宜上"虹の瀬ルカ"だが。
「それで、"双見"さんはどんな人?」
「えーっとね、とっても優しい人だよ。わたしを本当の子どもみたいに可愛がってくれる。孤児院のお下がりの鞄がぼろぼろだからって新しいランドセル買ってくれるくらい」
「あと一年しか使わないのにねぇ」
シランはルカの話に肩を竦めた。ルカは悩ましげに眉をひそめる。
「わたしもそう言った。けど、いいんだって言ってたよ。なんでも、双見さん夫妻って奥さんが病気で、子ども産めないんだって。だからずっと、子どもが欲しかったんだって……言ってた」
「そう……」
シランの静かな頷きを最後に、しばし二人は沈黙する。会話がなくなってからしばらくして、ルカが何かに気づいたように窓の方に振り向く。二月末のまだ寒さが残る空の下、子どもは風の子と言わんばかりに元気に走り回っている男の子たちがいた。サッカーをしているようだ。
見ると、一人が勢いよく蹴飛ばしたボールがキーパーの手前でディフェンスをしていた男の子の肩に直撃し、その男の子が倒れる。
慌てて周りの子どもたちが駆け寄る。周りの子どもと比べると、倒れたその子は一回り小さく見えた。
周りは心配してその男の子に手を貸す。「大丈夫か?」「うん、大丈夫」などと言葉を交わしているのだろう。見ていたシランが組んだ手の人差し指でとんとんと二の腕を叩いた。苛々しているのだ、と付き合いの長いルカにはわかった。
起き上がった男の子は走り出そうとしてすぐよろける。その様子にルカは顔を歪めた。痛ましいものを見るような目。それを眼鏡の奥から見やって、シランは盛大に溜め息を吐く。
「どんな事情があるにせよ、引き取ってくれた人がいい人でよかったね、ルカ。引き取り手が出てきても、幸せになれないやつがいる。それを思えば俺たちは充分恵まれているよ」
「……そうだね」
幸せになれないやつ──シランが暗に示した校庭の男の子もまた、ルカたちと同じ"虹の瀬孤児院"の出だった。
ルカやシランよりも先に孤児院を出たその子どもの名は塔藤詩音。現在小学三年生の彼が五年前に引き取られてからずっと家庭内暴力に苦しんでいるのは、小学生の間では有名な話だった。