激走《はし》る
サーキットに奴が姿を現した。黄色い歓声があがる。
奴が現れたのは1年前。瞬く間に頭角を現し、「スピードスター」の称号を手にした。
無敗のスピードキングとして君臨していた俺の牙城を崩すのではないかという噂を聞く度、奴の存在を苦々しく思っていた。
今日は、最初にして最後の直接対決になるかもしれない。奴もそれを分かっているのだろう。俺をチラリと見て、不敵な笑みを浮かべた。
今日だけは絶対に負けるわけにはいかない!たとえどんな手を使う事になっても!俺は覚悟のもと、スタートラインに向かった。
クルーたちが俺の愛車の最終点検をしている。真紅なボディーに刻印された「Speed King」の文字。それは俺のアイデンティティを支えて続けてきたものでもある。
隣のピットには奴の蒼いマシン。ボディーには俺を挑発するかのように刻印された「Speed Star」の文字。
あれを見る度に俺のアドレナリンが放出され、頭に血が登る。
今日の決勝には8台が参加するが、事実上は俺と奴の一対一になるだろう。ギャラリーの目も、俺たちだけに向けられている。
「今日も頼むぜ!相棒!」俺は愛車のボディーを優しく撫でながら語りかける。もしもの時のための秘密兵器はポケットの中にある。負ける訳がない。
スタートを告げるチャイムが鳴った。
先手を取ったのはやはり俺だった。得意の先手必勝で奴を引き離す。このままリードを保ち、走り抜ける!勝てる!俺は確信していた。第1コーナー、第2コーナーも俺の前を走るマシンはいない。いつもと同じ、誰もいない風景に俺の何処かにスキが生まれていたのは否定できない。
一瞬の油断だった。S字コーナー途中で、俺の横を蒼い疾風が走り抜けた。
奴の風圧を感じながら、俺は初めて奴のレースを見た時の事を思い出していた。
あの時、俺は生まれて初めて他人の走りに目を奪われた。他のマシンを薙ぎ倒すかのような「剛」の俺のスタイルに対し、コーナーを華麗に駆け抜ける「柔」のスタイル。その姿は正に「舞姫」。こいつは俺の所まで登ってくる。そう確信していた。
そして今、奴は俺の前を疾走している。華麗なるハングオン。俺は奴の背中に、舞い踊る蒼い乙女の姿を見た。
負ける?俺が負ける?
そう考えた時、俺の中で何かが切れた。心の中でナニカが囁きかける。
「チカラガホシイカ?」
「ワレヲカイホウセヨ」
俺はそのナニカに身を委ねた。負けたくない!その焦りに鬼が漬け込んだのだ。
真紅な鬼が俺の中に入ってくる。それは今までに感じたことの無い力となり、俺は赤い弾丸となって奴を追随する。ぶつからんばかりに接近するマシン。闘いは互角だった。
闘いの最中、俺は忍ばせた秘密兵器の事を考えていた。ドス黒い感情が、俺の中の鬼と融合し、再び俺に囁きかける。
「ソレ、ツカエヨ」
「マケタクナイダロ?」
確かにコレを使えばたやすく勝てるだろう。
でも、それでいいのか?
それで、奴に勝ったと笑えるのか?
そんなもんじゃないだろ!俺が目指した疾走の極みは!
「使わねーよ!」
俺が叫ぶと同時に、俺の中の鬼は霧散した。いや、正確には違う。全てを勝負に賭ける者のみが手にする事ができる意志の強さが鬼の力を取り込んだのだ。
秘密兵器はいらない!王の称号は伊達じゃない!
真に覚醒した「真紅の鬼」と「蒼い舞姫」の互角の攻防は続いた。2台は抜きつ抜かれつの攻防のまま、最終LAPに突入していく。
かつてない緊張感に俺の感覚は極限にまで研ぎ澄まされ、時間が、そして空間が捻じ曲がり凝縮される。
これがスピードの向こう側なのか?
周りの動きが停止しているかのように見え、俺と奴の2人だけがこの世に存在している。奴の心が俺の中に入ってくる。おそらく奴もそうなのだろう。俺たちの意識は完全に同調し、奴と融合したかのように感じた。俺たちは産まれて初めての快感に陶酔し、2人だけの時間を走り続けていた。一生このまま疾走り続けていたい。そう思った。
奴の動きに無意識に反応し、俺はスリップストリームを狙う。考えるのではない。これまで身体に刻み込まれた数えきれない程の経験だけが俺の肉体を支配していた。奴も承知の上で俺を迎え入れる。数え切れないほどの攻防が爆音となって俺たちの間を無数に飛び交った。
しかし、至福の時間は突然終わりを迎えた。
周回遅れのマシンが進行を防ぐかのように前方に見えた刹那。奴のマシンのバランスが大きく崩れた。コマ送りの世界の中、スピードに乗った奴のマシンはゆっくりと転倒した。蒼い舞姫が俺の眼前に迫ってくるのを俺は事態を他人事のように観ていた。
奴のマシンに貼り付けられた黄色の「Speed Star」の黄色の刻印が俺の憶えているレースの最後の記憶だった。
※※※※※※※※
「今日でこのサーキットからもお別れか」
俺は年少組を振り払い、感傷に浸りながら一人サーキットを眺めていた。やはりここは落ち着く。
デビュー、初勝利から頂点へ、そして、強敵との出会い。これまでの俺の人生は常にこのサーキットと共にあった。
結局、最後の勝負はお預けとなった。幸いにも、俺たちはかすり傷で済んだ。
事故った原因を責めても仕方が無い。不幸と踊っちまった。ただそれだけのことだ。先生にはこっぴどく叱られたのであるが……。
サーキットの出口では奴が肩まで伸びた黒髪をなびかせながら立っていた。結局、奴とは一度も話すことは無かった。
俺は奴に話し掛けようとしてやめた。何を言っても陳腐な言葉にしかならないと分かっていた。あの時に交わした何百、何千もの駆け引き。それ以外に余計な言葉はいらない。
「マイちゃーん。帰るわよー」
奴を呼ぶ声が聞こえる。
奴は何も言わず、俺に背中を向けた。長い黒髪がクルリと半円を描き、「舞姫」が踊るのが見えた。
奴の言いたい事は俺の心に響いている。
「次は自転車でやろう!」
去っていく強敵の背中に、俺も語りかけた。
「ああ。次は新しい小学校でな!」
キーンコーンカーンコーン
下校のチャイムが鳴っている。
そろそろ帰らないと…ママに怒られるな。
俺は、最後に、俺の愛車に別れを告げた。
真紅の三輪車は夕陽を浴びて、金色に輝いていた。
最後までお読み頂きありがとうございます。
最近の幼稚園には、三輪車専用のコースがあるところもあるみたいです。
二人の初めての激闘はまだまだ続くのでしょうね。
重度のスランプ中で、半ばヤケクソで書いています。いろいろな所からパクっていますが、分かった方も、分からなかった方も感想いただけると嬉しいです。