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作者打たれ弱いので、作品への誹謗中傷は一切見なかった事にします。酷い場合は警告無しに対処したりもしますのであしからず。
誤字脱字や引用の間違い指摘などはとてもありがたいので、知らせてやろうという奇特な方は宜しくお願い致します。
また、全ての作品において、暴力や流血などの残酷な描写、性的な表現がある可能性があります。不快に感じる方、苦手な方は読まないでください。
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4/4:行頭空白挿入(内容変更無し)
暫く吐き続けた後、私に訪れた精神的飽和状態は軽い現実逃避だったのだと思う。いくら吐こうが泣こうが現状は変わらないと諦めたか、単に吐きまくって体力を消耗しすぎたか。ただベッドの上で、胃液塗れで、再開された尋問にぼんやりと答えるしか出来なかった。臭い。気持ち悪い。
「落ち着いたか。名は」
「・・・・・香坂花蓮」
酷い声だ。生理食塩水の向こう側に、ぼんやり濃紺の影がある。それを見るとも無しに見ながら、「なんだって?」と聞き返して来たバリトンに答えた。
ああ、ファーストネームからだっけ。
「名前。花蓮・香坂」
「カレン・・コーサカ?」
訝る声質は一瞬。
「出自は」
「しゅ・・? ああ、日本。ジャパン。ジャポネ。実家はT県。自宅はK県」
「・・年齢と所属は」
低音が更に低く、冷ややかになった気はしたけど、もう考える気力が無い。アンナマリアが何か小さく言ったが、それも気に留められ無かった。
知らない。
優しくない。
たぶん、子供みたいな、拗ねたような気持ちにもなっていたんだと思う。
「31。Z社。総務」
「忍び込んだ目的は」
笑った。なんの笑いかは自分でも分からなかったけど、乾いた笑いが零れ出た。
「忍び込んでなんか、ない」
もう何も考えたく無いのに、こんな話題されちゃ、考えてしまう。あ、それが尋問ってことか。
しかも笑った拍子に頭痛が増してしまったじゃないか。私、腹痛より箪笥の角で小指打つより、何より頭痛が嫌いなタイプなのに。常備薬はもちろん、半分が優しさで出来てるアレだ。と、咄嗟に大嫌いな頭痛に集中してみても、ダメだ。脳みその端っこが考える事を止めてくれない。
・・・っあーもー、つまり、私は不法侵入者って事なのだ。そりゃ酷い目にも遭うわ。
要するに、皇居の皇后様のお部屋に突然現れた部外者、って感じの状態なんでしょうよ。平和ボケした日本ですら、そんなのとんでもない騒ぎ、超超超大事件だ。
って事に気が付かされて、ちょっとゾッとしたけど、私には何の後ろめたい事情も無い。
調べれば分かる事だ。
そう、正に平和ボケした頭で考えた。
「話にならん」
鋭い、怜悧な刃物を思わせるバリトンがそう吐き捨てるのを聞くまで、私は、ちゃんと調べてくれる、という一種の甘えた願望を当然のものとして持っていた。こんな訳の分からない状況で、自分の常識が通じると、まだどこかで信じていたのだ。
本当、お話にならない。
「拷問室を空けて来る。それまで見張っていろ」
・・・ごうもん?
当然の様に放たれた言葉の、その意味が遅れて脳に達する。理解した途端、全身の肌が粟立った。一瞬脳裏に過ぎったのは映画の1シーンだ。スパイアクション物の。
嘘でしょ?
脅しでしょ?
それはない。そう確信があるのに、必死に否定的な言葉を頭の中に巡らした。だけど、アンナマリアの「分かりました」というどこまでも事務的な肯定が聞こえて、私はまたパニックを起こしかけた。
拷問という言葉を理解した瞬間にクリアになっていた意識。背を向け扉を開けるあの男の姿を、愕然と視界に捉えた。
直後、ピクリと、男の短く刈り揃えられたホワイトゴールドの髪が動きを止める。
「・・・何用だ。リヒャルト」
バリトンが、開いた扉の向こうへそう声を掛ける。空気が変わった気配に目を凝らすと、傍らのアンナマリアが「なぜ・・」と独り言を漏らすのが聞こえた。その声が事務的じゃなかったので、思わず見遣りそうになった私を、引き止めるようなタイミング。
聞こえた声は、ゆいんと空気を撓ます、濃密なテノール。
「ヴァレンティヌス導師、と呼ぶが良いよ。ベーレンドルフ師団長閣下。 ああ、若しくはヴァレンティヌス伯でも結構だね、黎明の」
耳が・・・
軽い立ち眩みのような、ほろ酔いの時のような、クラリとする感覚。胸の奥の何かが、ざわりと蠢くような、不可思議な感じがする声だった。それが不快なのか、心地良いのか、それすら判別が付かない。
「何用かと聞いた」
打って変わって、苛立ち、という感情を滲ませたあの男の声。それへ私が気を引かれる間も無く、室内を隠すように男が後ろ手に扉を閉めようとするのが見えたが、それをまた不思議な声が止めた。
「妃殿下のご用命でね。カレン様とやらを引き取りに来たのだよ」
「断る」
ぴしゃりと返したバリトンはしかし、さっき私に向けたあの冷徹さも、威圧感も、半減していた。どこか飄々とした口調のテノールは、笑ったようだ。
「陛下のご命令で、かね?」
「そうだ」
「そうかね。確かに、妃殿下より、陛下のご命令の方が、強く正しい訳だね」
私だってそんな事、分かる。「殿下」と「陛下」だ。が、随分揶揄っぽい言葉だった所為で、折角窮地を脱せそうなのに聞き耳を立てて様子伺いなどしてしまった。
あの男が、返答しない。
広い背中が戸惑っているように見えたのは、私の勘違い?
「仕方がないね。ならば、そのように妃殿下へお伝えしてこよう。 そうするとどうなさるだろうか」
不思議な声が、一層含みを持たせて濃いテノールを吐いた。これは絶対に笑っている。それも爽やかさと真逆の笑い方だ。どんな人なのか強烈に興味が沸くが、次の言葉には、流石にぼかんと口が開いた。
「ゲイルお兄様の人でなし。陛下なんて二度とお目にかかりたくありません。わたくしの大事な人に酷い事なさって・・」
「止せ!気色の悪い!」
遮るように言ったあの男の、その心底気持ち悪そうな声色で気が付いた。いきなりオネエ言葉になったテノールに驚いちゃったが、今のはどうやら、クリスティーナのモノマネだったらしい。余りにもそれまでと同じ声色、同じテンポ、同じ抑揚でスラスラ言うもんだから、ぜんっぜん気付けなかった。
そうか、モノマネが下手な人なのか。
って、違うよ。そんな納得してる場合じゃないよ。
「陛下とはもうやっていけませ・・」
「不敬罪で斬り捨てるぞ」
そう言ったバリトンは、全く鋭さが無かった。むしろ呆れたような、力の抜けた声だった。
でも、私にとって、それは空恐ろしい言葉で。あの男が、その言葉を言うって事が、とんでもなく恐ろしくて。
一瞬和みかけた自分が、またギシリと強張るのを感じた。
けれど、扉の外の彼は今度こそ、はっきりと、笑い声を響かせた。それはもう、どん底に陰湿な美声。
「構わん。斬れ。この首一つでクリスが救われるのなら、いくらでも」
「リヒャルト」
咎めるようにバリトンが言っても、クツクツと嗤って続ける。
「考える事を放棄したお馬鹿には分かるまい。あの子の絶望も、その先の覚悟も。 ああ、無論私もその馬鹿の一人だがね。 だからこそ、これ以上間違いたくは無い」
独特なリズムと音階を持つ、歌のような話し方だからか、不思議と黙って聞く姿勢になってしまう。次は何を言うんだろうと、息を凝らして待つ。男も黙った。一呼吸たっぷり待ってから。
「さて、では師団長閣下に分かるように話そうか。 カレン様とやらに関する一切の責任は私が負う。彼女は私の所属だ。そのように曙光へ報告に行くが良いよ。 ほれ、さっさと行きたまえ、愚図。木偶。朴念仁。暗愚。下種。サディスト。真性。童貞。」
えっ!童貞!?
あ、しまった、変な所に引っかかってしまった。
聞き入っていたせいで、不思議口調の人の最後の言いっぷりに思いっきり動揺してしまった。あの男に向かって言ってたんだよね?あの男20代後半くらいだったよね?ゴツくてイカつい感じだったけど、一部の女子に死ぬほどモテそうな感じだったよね?むっちゃエラそうだったよね?
えっ!童貞!?
2度びっくり。失礼か。
でもおかげで何か、急に恐怖心が薄れていった。しかも話の流れ的に拷問部屋行きが延期になりそうだ。なんて考えていたら、すぐ横手から冷ややかな気配。見遣ればアンナマリアがこれ以上無く冷たい眼差しになってこちらを見下ろしていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
十中八九、見透かされてますね。今にも「余裕だなゴラ」系の言葉が降ってきそうだ。なんて冷静で的確な観察眼。私が20歳くらいの時は完全なるチャランポランだった記憶だ。とりあえず目を逸らしておこう。
逸らした先、男が今度こそ扉を閉めて立ち去った。その際「同行しろ」的な声が漏れ聞こえたので、たぶん不思議口調の人も一緒に去ったのだろう。途端、それほど広くない空間が男性の居ない密室となる。少しほっとして、強張っていた体を横たえた。
ゲロシーツに。
「・・・っ」
すえた臭いに、自分で自分から貰いゲロしそうだが、それ以上に体が言う事を効かない。というより痛い。聞き耳を立ててた間薄らいでいた頭痛もカムバック。そしてここにきて尋常じゃないダルさも感じ始めた。インフルエンザ並の寒気も・・・って、完全に発熱したなこれ。しんどい。痛い。
傍に居るアンナマリアに介抱を期待しようとして、失敗した。駄目だ。期待する前に絶対無理だと察してしまった。ここまでの彼女の態度を顧みれば、このまま放置プレイに決まってる。痛み止めがどうとか言ってたが、たぶん、尋問の為の方便だ。
やばい。精神的に泣きたくなってきてしまった。
自分が可哀想で無くと、後で絶対後悔して更にへこむから我慢だ。よし、何か気を紛らわす事を考えよう。あの男が童貞とか、童貞とか、童貞とか。
飽きた!
・・・・・・仕方ない。
これはちょっとちゃんと考えるか。この状況について。もちろん夢オチ待ちだけど、こんだけ痛いんだから、それはそれとしてしっかりしなきゃ、また、もっと痛い目に遭うかも知れない。てゆーか混乱し過ぎだ。整理しなきゃ。
「・・・・・・・・・」
目を閉じてゆっくり深呼吸3回。気持ちを落ち着ける自己暗示。
どんなに有り得ない状況だろうと、どんなにリアルな苦痛に苛まれようと、考えようとするのが人間だ。痛みで眠れない内は、発狂してない内は、考えるしかないんだ。
例え並み以下の思考回路しか持ち合わせが無くても。
お読み下さった皆様、本当にありがとうございます。
・・・いつかほんとに誰かに読んで貰える日が来ますように。