解かれた枷
翌朝、俺がまたいつも通り仕事をしていると、向こうからババァが近付いてきた。
「有也、最近あまり見掛けなかったけど、どこか悪くしていたのかい?」
ババァの言うとおり、ここ最近ババァとは会っていなかった。いや、会おうともしていなかった。だが・・この様子だと、まだ当分くたばりそうにもないって事だよな。まだくたばるには早すぎるからな・・安心したぜ。
そう内心思いながらも、俺はババァに笑いかけると、
「大丈夫だよバアちゃん、バアちゃんこそ体に気ぃ付けろよ」
ババァはうんうんと頷くと、持っていた手さげ袋から2,3個和菓子を取り出すと俺に与えた・・。だから、俺は和菓子とかはダメなんだってばよ・・!
しかし、目の前に出された物を無視する訳にもいかない・・。しぶしぶそれを受け取ると、ジーッと俺を見るババァの前で俺は、和菓子を口に入れた・・グェっ・・。
「おいしいだろ?また持ってきてやるからね」
そう言うと、ババァは自分の部屋へと帰っていった。その姿が見えなくなると、俺は飲み込まず口に入ったままの和菓子をゴミ箱に吐き出した。
水原の登場によって、一度は狂った俺のシナリオも何とか無事に持ち直しているし・・今の俺には昨日までと違って、余裕さえ見られた。
「煙草吸いてぇな・・」
しかし、この時間患者共がたくさんうろついていやがる・・。仕方なく俺は屋上へと上がっていった。
扉を開けると、もうすぐ12月になるだけあって冷たい風が吹いていた。フェンスの方まで行き、煙草を吸っていると俺の他に何人か患者がいる事に気付いた。一瞬、煙草を捨てようとしたが・・ここは外なんだ。別に吸っていても構わないという気持ちが出てきた為、さらに何本も吸い続けた。
空が赤くなるまで俺はここにいた。周りの奴等はとっくに下へと降りていた。
一人でうつむき煙草を吸いながらボーっとしていた俺の前に、誰か人が立っている気配がしたので上を見上げると、それは“葉山美岬”だった。また・・会ってしまった。
「何だよ・・また何かうるさく言いに来たのかよ」
俺の問いに“葉山美岬”はただ首を横に振っていた。今日はいつもと様子が違うな。大人しいし、一体何を考えているのやら・・。
そしてガキは俺の顔をジッと見ると、
「耳のケガ・・もう大丈夫なの?」
と、小さな声で尋ねてきた。
「ああ・・これ。別に慣れているから平気デス。どうも・・」
そう冷たく言うと、こいつは何かホッとした表情を見せていた。
「ちょっと心配してたんだ。そのケガ、ストレスによる物だったら、私の一言・・一言じゃないか、たくさんの言葉も原因の一つかなって。この間、あなたが運ばれているのを見た時そう思ってしまって。反省してる・・」
おいおい・・?本当に今日はどうしたんだこの女は。変なクスリでも飲んだか。
こいつがこんな態度だと、こっちまで何か調子狂うぜ・・。
「別に、あんたが原因じゃないから安心しろよ」
そう言い放つと、俺は再びボーっとし始めた。
「ねぇ、あなたって好きな人いる?」
「あっ?」
突然の質問に俺はただガキを睨んでいた。イキナリ何を言うんだこの女は・・。しかし、ガキはずっと俺を見ていた。
「あーっはいはい!いました、いましたよ!好きな人いました。」
そう答えると、今度は“どんな人?”と聞いてきた。どうして今更こんな事話さなければいけないのか・・。
俺は真砂の事をガキに話してやった。どんな女だったか、どうして今は付き合っていないのか・・など。そう話しているうちに、だんだんと俺は自分がむなしくなっていた。
俺の話が終わると、“葉山美岬”はホーッと息を吐くと、俺の方を見て
「私も、その真砂さんだったら同じ事してる・・」
と、一言呟いた。同じ事というのは事故った後、俺と別れた事を言っているのか?何言ってんだ。
「だって、縛り付けたくないもの・・。それにあなたは気付いてなかったかもしれないけど、真砂さんかなり苦しんでいたかも知れない。大好きな人に支えてもらえるのはとても幸せだけど・・本人は幸せだけど、じゃあ支えている方は?私は幸せ・・じゃあ、あなたは?そういう気持ちがだんだんと支配してきて、締め付けられてとても苦しくなるの・・。支えられれば支えられるほど、それはひどくなるの。」
こいつの言葉次第では、いつもみたいに“何も知らないくせに”と言ってやるつもりだったのに、今回は何も言えなかった。何もかもこの女の言う通りだった。
真砂が事故に遭って、俺は変わらず彼女のそばにい続けた。それだけで、俺は嬉しかった。
しかし、真砂は?俺の前では笑顔を見せていたが、俺がいなくなった時は?もしかしたら・・いや絶対苦しんでいた筈だ。
俺が優しくする程、彼女にとっては重荷になってきて・・。そんな事も俺は気付いてやれなかった。
“葉山美岬”はそんな俺を見ながらさらに話を続けた。
「そして、だんだん思うようになるの。“このまま頼っていたらダメだ”って。弱くなった自分から抜け出す為に1番辛い事をしなければならないの。それが真砂さんの場合で言うと、あなたに黙ってアメリカへ行き、足を治す事だったと思うの。別れたのも、きっと縛り付けたくなかったんじゃないかな・・」
これはあくまで、この女のたわ言だ。だが、俺は真砂本人もそういう気持ちで・・と密かに信じようとしていた。
“葉山美岬”が話し終わった頃には、空もうす暗くなっていた。
「あー長い事お話しちゃった。ごめんね、また生意気な事ベラベラしゃべって。」
「いや・・ありがと・・」
今回は、不覚にも礼を言ってしまう結果になった。けど、こいつのおかげでつっかえていた何かが取れた気がした。
“葉山美岬”は一度頷くと、下へ降りていった。それを見届けた後も俺は屋上に残り、煙草を吸っていた。そして携帯でケイゴに、
「今日は行かない・・」
と、一言だけ伝えると再び空を見上げた。
−ごめんな、真砂−
第18部分更新いたしました。作品を読んで下さり本当にありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。次回はカオルが久々に登場します。