その五 -2
このやたらガタイのいい男が、兄貴を介してあたしの生活圏内に入りこんできたのはもう十五年も前の事。
あたしが住んでるこの街は、一応市とはいえ、県内でもすこ~しばかり知名度って点で見劣りがする場所にある。県の中心から少し離れている事もあってか、結構交通網が発達していると言われる中で、『此処だけは車がないと生活できないわよね~』などと、真面目な顔して囁かれたりする結構な小都市だ。
けれど、市の中を一本だけ通っている電車の便は、そのまま中心部へ直通出来る事もあり、時間が少しばかり掛る事さえ我慢すれば、結構何処へでも通いやすい場所ではある。
だからかもしれないが、あたしはこの二十五年間、自分の家以外の場所で住み暮らすことなく生きてきた。高校も大学も、通える場所にそれなりのいい学校が有ったから、余裕の無い家計を圧迫してまで無理して下宿探す必要も方向性も持たなかった。
ぬるま湯とかって言われるかもしれないが… だって、考えるのもめんどくさかったし。
親とか先生とかと、そーゆー方面で逆らおうと思わなかったんだな~これが。
でも、そんないい子ちゃんって訳でもなかったぞ。成績だってどっちつかずの中の中…いや、下、の方かも。反抗期だって人並みぐらいはあったしね。
そんなあたしとは裏腹に、剛史は、本来なら親の希望通り公務員とか教師とか、そっち方面の仕事に就く予定だった筈なのに、ある日突然医学部を志望した挙句、皆からあれほどやいのやいのと言われながらも地方の国立の医学部にあっさりこんと現役で合格をしてのけて、その後六年間、ここから、三百キロも離れた大学へ入学するためこの街を出て行った。
『あのバカ、上手い事やりやがって…』
と、その時呟いたのは、地元の大学の教育学部に合格していた兄貴だったかな…?
なんとなく、なんとなく… 兄貴の言葉の意味は、あたしにもわかっちゃった。
剛史がやってのけた事は、あたしたちには出来ない事だったから。
そしてその時思ったんだ。ああ、これであいつとの縁も終わったな…って。
なのに。
なのに、だ。
八年以上も経ってから、研修を終えた途端こいつはこの街に舞い戻ってきやがった。
それも、寄りにも寄ってあたしが勤めてる病院に!
しかも、ご丁寧にも、赴任して来るその当日まで、あの兄貴の口にまで緘口令を引きやがった。
新任の挨拶で、剛史の顔を見た時のあたしの驚きや推して知るべし!
それを見たこいつの、『してやったり』とした笑い顔――――― あ、思い出したら、また、腹が立ってきた。
「つくづくむかつく…」
「誰が?」
「もちろんあんた」
自覚がないんか、おのれには。
「…それは全く心外な… このタッパもあって顔も良くて、頭も良くて性格も良い、おまけに将来有望なお医者様に向かって、それを言うのか、お前はよ」
「異議あり! 異議をたんこもり言い立てるぞ、あたしは! だいたい、あんた程度の顔で威張るな! ついでにあんたの場合、性格でお釣りが来るわよ!」
「お前にそれを言われたくない」
「そっくりそのまま返してやる!」
こちとら、十年越しなんだ。恨み既に骨髄に徹っしてる。
「初めて会ったあの日あの時、いったいなんておっしゃいましたっけ?山本剛史さん」
「……」
「よもや、お忘れではありませんよねぇ?」
「…古い話を…」
ちっと舌打ちをしてあっちの方向を向いている。ふん! 少しは悪かったって思ってんのか?このやろう。
こいつと初めて会った時、あたしはまだ、小学の五年生で。
167センチというあたしの身長は、いま、この年になっても女としたら大きめなのに。
あたしの身長の伸びのピークはあろうことか小学校の高学年。五年生の終わり頃には、もう既に160を超えていた。それは同学年の女子は元より、二つ年上の中学生になっていた剛史よりも、その頃のあたしは背が高くって。
それなりにコンプレックスを持っていた、当時十歳だったいたいけなあたしに、初対面でこいつはこう言ってのけたのだ。
『可愛くねェ、ノッポなガキ』
「――――― いい加減、その古い話を忘れねぇか? …こうして同じ職場になったのも何かの縁って奴だと思ってさ。昔馴染みなんだし、もうちょっと可愛げのある顔してくれても良いじゃねぇか」
「あんたに見せる愛嬌はない」
もう、どきっぱりと言ってやる。
あたしに、そんなもんはなから期待する方が間違ってると思わないかい?
「そんなに愛嬌のある顔が見たかったら、他、当たんなさいよ。ほかを。あんたがにっこり笑って見せれば、満面の笑みで応えてくださる綺麗どころがあっちこっちに満載よ?」
いや、これは本当に誇張でも何でもなく。
さっき本人も言ってたが、医者で独身。狙ってるお嬢様方って結構居るんじゃないだろうか。
うちの病院内だってねぇ? それでなくても、女性が多い職場なんだから。
「今から、バレンタインが楽しみね~ 山本センセ」
「…嫌味か、それは」
「いや、本音。あんたが、久しぶりの優良物件ってのはホントだもんね。盛り上がるわよ~きっと」
自分に関らない、こういうお祭り騒ぎは大好きだ。
がくっ…と肩を落とす剛史を横目で見て、少しだけ溜飲を下げる。
ほっほっほっ… あんた、甘いもの苦手だったもんね、気の毒に。あ~本当に楽しみだ!
そうこうしている内に、頼んだ注文はあらかたお互いの胃袋に収まりかえり、お酒も…おお、ちょうどよく、ほろ酔いってとこですかね。
あ~… これで今日は良い夢が見れそう…
うん! 今日はアレクに会えそうだ!
よし。そうと決まったら、さっさと家に帰って風呂に入って寝ないとね。剛史の方もどうやら、お開きにして大丈夫そうだし、さりげなく置いていたバックを手にとって伝票に手を伸ばす…
と、その前に、その伝票を大きな手にかっさらわれる。
「え?あれ…ちょっと…」
そのまま、すたすたと出口へ向けて歩き出した剛史を慌てて追いかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ。お勘定…」
「今日はいい」
「いいってあんた」
あたしにおごらせるために来たんでしょうが。もちろん、会計さんに頼んで割り勘にしてもらっちゃう気満々だけど。(ここのお店は、珍しくも割り勘での清算を引き受けてくれる珍しいサービス付きの居酒屋なのだ)
そんなあたしを無視する様に、会計を済ませ店の外へ出て、二人きりになった所で奴がいきなり立ち止る。
くるっと振り向いて、じっとあたしを見降ろした後、ニヤッと笑って剛史は言った。
「今度、もっと高いとこでねだってやることにした。首洗って待ってろ。破産させてやる」
ゲッ…
な、なんつー脅迫を…
「だ~れが付き合うか!」
「ふふん。俺は自分の決めた事を一度たりとも諦めた事はない」
「いや、それ、自慢じゃないし!」
だいたい、あたしは何の約束もしてないし!
「ばっか言ってんじゃないわよ! だ~れが、あんたとなんか…」
頭に来て怒鳴りかけたあたしの腕を、いきなり強い力が拘束する。
「つっ…」
思わず発した言葉を拾い取る様に顔を近づけて、
「逃げられると思うなよ…」
――――― えっと、剛史さん…?
どうかなさいましたか?いきなり…
少しばかり、なんだか目がマジなんですが…
そのまま、通りかかったタクシーに押し込まれ、何だかお互いに無言のまま、シートにもたれかかる。
う~ん…何だろ…?
なにか、いつもと違う感じはするのだが…
ちらっと、横に座った昔馴染みの顔を見る。
前だけをみて、柄にもなく真面目な顔をして…
――――― な、なんか話しかけてみようかな…?
いやいや、藪をつついて蛇を出すなんてとんでもない。ここはさっさと退散するに限る。
うん。絶対そうにきまってる。
やがて、ありがたくも前方に我が家の屋根が見えてくる。
なんとなく、ホッとするのは何故だろう。
「有里」
「え?」
「約束したからな」
「は…?」
「はいって言え。それだけでいいから」
…それ言っちゃたら、何させられるかわかんないから言えませんって、言っちゃ駄目?
きーっとブレーキの音がして、タクシーが止まる。あたしはドアが開くのも待ちきれないままにバックを引っつかんで外に飛び出す。
「残念ながら、時間切れ。お約束などしておりませんから。おやすみなさい、山本センセ。ごちそうさまでした~」
バタンとドアが閉まってスモークのガラスがあいつの顔を隠す。
そのまま。うん。そのまま、タクシーはゆっくりと走りだしていって…
あ~あ、やっと帰った…
角を曲がって、その車体が見えなくなってからやっと落ち着いて息を吐き出す。
この所、や~けにからむよな~あいつ。
――――― 更年期障害? いやいや、誰かに振られたとか?
…いずれにしてもそれってば、しっかりくっきり八つ当たりじゃん。
良い迷惑だわよこっちには。
それでも、また、明日になれば同じ職場で顔を合わせる事になるし…
こうなったら、一日でも早い奴の精神の回復を切に祈ろう。
「は~やく、別の八つ当たりの場所作ってくれりゃーいいのに…」
ぽつんと一つ、そこいら辺の屋根の影から見える星にそっと呟いて、あたしは玄関のドアを開けた。
その五、ここで終了です。思っていた以上に分量が増えたので、一番分けやすいところで二つに分けました。連続と、どっちがいいか迷ったのですが…
一応内容の捕捉を。
文中に出てくる『つかや』と言うお魚は、もしかしたら一般的ではないかもしれませんが、黒っぽい体の、煮つけにすると本当においしいお魚です。値段もお手頃なので、わたしは大好き。日本海の方で採れる事が多いかもしれません。
『恋愛遊牧民』様に登録して頂いてから、来て下さる方がぐぐっと増えて、びっくりしています。お気に入り登録も、驚くほど… 本当にありがとうございます。
次の回は、間違いなくあっちの夢の方へ参ります。
今週中には更新出来たらいいな~ 出たとこ勝負ですが、これからもよろしくお願いいたします。