その四十九 知っていいことわるいこと
…大変、お待たせいたしました…
長くなったので二つに分けます。
夜。
夜が暗いのは当たり前なのに。
闇。
闇が、深い。
月も無く、天上の星明かりさえも無い深い夜。暗い森の樹の陰にあたしたちは一人座り込んでいる。
――――― …なんで…?
何故、あたしは、こんなところに居るんだろう。
アレクとの再会を果たしながらも覚醒し、あたしが朝っぱらから狂喜乱舞しまくったのは、あっちの時間で言うならば、二週間ほど前の事。
るんたったとした気分のままに仕事をこなし、残業もしないで即効帰宅。いそいそとして、眠りに付いてこちらに来たあたしを待っていたのは、確かにそんな浮ついた状況ではなかった。
あの日。
騒ぐなと言われながら、耐え切れなくなったかのようにユーリーの口からこぼれた、聞こえるか聞こえないかの掠れた声。
『――――だ、団長…』
『しっ…!』
声を、出すな。
その声はすぐさま背後からの低い声に遮られて。
『グレル、外の様子は?』
『…今のところ、室内に他の人影は有りません』
声をひそめる為か、すぐ傍まで顔を寄せたアレクに応える声は男のもの。この時もまだその左の手はユーリーの右手を後ろ手に拘束し、右手はユーリーの顔のその前に置かれている。
『気付かれてはいないか?』
『気配も感じられませんので、近くには誰もいなかったものと思われます』
『…最小限の失態で留められたか… まあ、気付いたのがこの子だったのは不幸中の幸い…かも、しれん』
アレクのこの呟きも、まるで闇に溶けそうなくらい重く、暗い。
これは、あの後――――― 夢ではその次の日に、改めてひょっこりとこっちにやって来れたあたしが、ユーリーの頭の中から引っ張り出した記憶の中にあったもの。流石にとんでもない非常事態だったからか、ユーリーもその時の事は、記憶を共有したあたしが驚くほど鮮明に覚えていてくれた。
長く不在だった上司との邂逅。誰よりも慕う相手との久しぶりの逢瀬。でも…
――――― これって、とてもじゃないけど、感動のご対面って訳じゃないよね~
なんてお気楽なことを、その時はまだ、あたしは考えたりなんかしていた。そして、
『アレクシード様。では…』
『一人。どうしても欲しいと思っていた。…それがこの子であることは、むしろこちらにとっては有利になったかも知れぬ』
巻き込むつもりは、無かったのだが…
その一言は、もしかしたらユーリーの聞き間違いだったかも知れないけれど。
『こうなった以上仕方有るまい』
ちょうど、誰か一人、動ける人間が欲しかった。
そう言って、アレクが徐にユーリーに差しだしてきたのは一本の短剣。
『本来なら、長剣にて行うものだが、今、私の傍に、長剣は無い』
ひた…と、ユーリーと目線を合わせて、アレクが告げる。
強く、命じるものの声。
一瞬でユーリーの背筋が伸びる。
『ユーリー・コールター』
『はい』
『この日、この場にて卿に問う。わが剣に誓えるか』
『――――!』
―――― え? え、ええっ!?
アレクを見つめていたユーリーの視線が、茫然とした顔で目の前の短剣に注がれる。
――――― これってまさか『剣の誓い』?
聞いたことは有ったけど、あたしもユーリーもそれを見た事はまだなかったそれは。
剣の誓い。
それはこの世界に有る一つの誓約の形。
本来、それぞれの国の騎士は、皆、その国の国王に忠誠を誓うものだけれど。それ以外に一つ、国王へのそれよりも重んじられている誓約がこの世界には存在する。
誰かに――――― この人、って決めた誰かに、その騎士の一生涯の忠誠は捧げられる。一生に一度。たった一人の誰かに、絶対の忠誠を誓う権利が騎士にはある。
捧げる相手に制限はない。大人でも子供でも、それこそ男でも女でも、国も身分も性別も何一つ制限が無いそれは、その特殊性ゆえ様々な問題を孕んでいるから、公に宣言する必要はないし、どこかへ届け出たりすることもない。
けれどただ一つだけ。必要なのは双方の合意。
捧げる方と受け取る方の、両方の合意がないと決して誓約は成り立たない。
――――― え?まさか…
ここで、それ、やったの?
しかも、捧げられる方―――― アレクの方から。
『まだ、正式な騎士では無いものと軽んじている訳では無い。此処に、我が愛用の剣が有ったなら今は迷わずこの場に差しだそう。―――――それだけのものを賭けて、卿に問う。私の剣に誓えるか』
――――― まさか、この場で、こんなシーンがあったなんて…
誓いを捧げたものは、その相手に一生の忠誠を誓う。それこそ、その人が白と言ったら黒いカラスでも白だと言い張らなきゃならない、らしい。だから、一歩間違ったら、誓った相手共々、変な方向にだって行きかねない凄く大事なコトな筈だ。
それなのに―――――
『はい。誓えます』
―――――― ユーリー~~~~~!!!
やっぱりと言うかなんというか。
ユーリーは、何の迷いもなくその場でアレクと誓約を交わしてしまっていた。
―――――― あの時。
アレクに問われて、何の迷いもなく『誓う』と言い切ったユーリーの選択が正しかったのかどうなのか、今でもあたしにはわからない。
けれど、それからの日々は、まるで、何か現実味のない夢の中に居るようで――――― いや、此処にいる事自体が夢の中なんだけど。
なし崩しにアレクと誓約を交わし、その証の短剣を受け取って、ユーリーは一度執務室へ戻された。
『此処で話すには時間がない』
そう告げられて。
その時、グレルとも引き合わされてる。グレルは、ユーリーとアレクと、もう一人だけその場にいた、ユーリーを片手で拘束していた男。名前だけ教えられ、これからはこのグレルを通して指示を出すことをアレクから告げられた。
次にユーリーがアレクと会えたのは、次の日の夜。
そう。有難い事に、あたしはまだ、こっちの世界に留まっている状態だったから、いつも通りに過ごすようアレクから強く言われていたこの子が、改めてアレクからの連絡を受けて出向いた先で、あたしはユーリーと一緒にアレク本人の口から、これまでのいきさつを聞くことが出来た。
部外者は立ち入れない筈の隊舎のユーリーの部屋に、いつの間にか現れたグレルに案内されて、再び執務室からの秘密の通路(文字通り、秘密の通路だった!)から連れて行かれたのは、周囲を石で堅牢に守られた何処かの一室。そこで、再び相まみえることが出来たアレクから告げられたのは、ユーリーを―――――と言うより、誰もが驚愕してしまうような秘められた事実。
北の大国、イアニス。
昔から、スーベニアとは因縁浅からぬ国だけど、その牙が、真っ向から、この国に向けられているのだとアレクはユーリーに告げた。
まず、最初に語られたのはアレクが永の不在を強いられた理由。
アレクは、視察に赴いた領地で、暗殺者による襲撃を受けていた。
命に別状はなかったものの、随員のほとんどを倒されアレク自身も深手を負って。
『一月ほどの間、私は身動きが取れなかった』
その間は、周囲もアレクの不在を取り繕うだけで精一杯で、気付いた時にはもう、事態は進み過ぎていた。
イアニスの暴論や、スーベニアへの飽くなき野心。それに伴う国境での暗躍。周辺国との共闘―――――恐ろしいことだけど、それらは、ずっと言われ続けていたイアニスの脅威。
それが今、此処へ来て、真の敵となりつつある。
『既に、我が国への包囲は確実に危ういところまで進んでいる』
スーベニアは、一歩も二歩も、出遅れてしまった。
『このままでは、我が国は―――――』
それ以上をアレクは言葉にしなかった。だから、一層その緊迫感が、あたしたちの体内を巡る。
食い止めなければ。
此処で食い止めなければ、スーベニアに未来は無い。
『力を貸してくれ』
お前の力を―――――― そんなこと言われて、この子がアレクに逆らえるわけがないのだ。
『及ばずながら…』
この命、存分にお使いください。
その言葉と共に、片膝を地面に付いて頭を垂れて誓いの言葉を言っちゃうユーリーに―――――― その時、あたしは、変に感動してしまっていた。
だって、なんかカッコよくない? ホントの騎士!みたいでさ。
今までだって十分どっかのファンタジーみたいに、ウキウキワクワクだったけど、此処へ持ってきて、正真正銘の『騎士物語』って感じになってきた。
今まで、どこか子供扱いしてたユーリーも、こうなってくると、なんかカッコよくなったみたいで、中に入ってるあたしはそれをプチ自慢、みたくなって浮かれてた。その誓いの真の意味もわからずに。
『期待している』
頼むぞ。
アレクの言ったその言葉に、一体、どんな意味が含まれているか。
あたしは、まだ、何もわかってはいなかった。
そして―――――