その四十四
長くなったので、二つに分けました。同時に更新します。
めったに人なんて来ない筈の旧館の屋上。
いきなり現れた剛史から、ポスンと手の中に落とされたのは、まだ十分に暖かいココアの缶。
「あつ…っ…」
思わずそれを握りしめて、やっと、自分の体が思いのほか冷えていた事に気付く。
「―――― バーカ」
「は?」
「このおバカ」
「はあ?」
「この寒いのに、何時までこんなとこに居る気だよ。いくらお前がバカでも、風邪、引くだろうが」
ほれ、飲め。
そうぞんざいに言われて、かなりかじかんでしまっていた手で、少し苦労してココアのプルトップを開ける。
―――― あった、かい…
一口飲んだココアの暖かさと甘さが、夢に引き摺られかけていたあたしを現実に呼びもどしていくよう。
「…なんで、此処に居んの…?」
コクッ…と、もう一口飲みこんで。つい拗ねたような口調で問いかける。
いやね、確かに、このココアは有り難いんだけんど――――誰にも、見つからないと思ったから、あたし、此処に来たのに。
「お前ね、行動が近視眼過ぎ」
「は…?」
き、きんし… …なんだって?
「ああもう、つまり。短絡的?―――って言うか、場当たり過ぎ」
…なんかわかんないけど、褒めてはいないよね、それ。
「確かに、此処って結構盲点だけどな」
そう言うと、剛史はわざとのようにぐるりと周囲を見渡して、ある一点で視線を止める。
「ここ、実は、あっちの窓から丸見え」
「へ?」
そう言われて、剛史が親指で指示す方を見ると…
―――――げっ…
ヤバい… 何時の間に… ――――って言うより、なんなのよ、あれ。
隣の新館の五階。この屋上が唯一見下ろせる角部屋のベランダの窓。
「あそこ、今まで擦りガラスじゃなかったっけ!?」
「いや、違うし」
………あっさり、言うな~~~!!
「あ~…あれな。結露除けとかって、二週間前まで、なんかよくわかんないシート張ってたんだわ。あの、なんてったっけ? 包装に使うようなプチプチっとしたのが一杯ついてた半透明の奴みたいなでっかいの」
「…」
「ところが、この前、院長から急にお達しが来て、節電の為とかって、今度、ペアガラスにするとかで、三日前に全部一斉に取り外し。結構凄かったぞ~ こう、ばりばりっとな」
「…」
「でもって、あそこ、俺ら、整形外科の医局」
イッツ、アンダスタン?
…下手な、和製英語使ってんじゃないわよ!
――――― そうでした。その通りでした。
間違いなくあそこの窓は、アナタ様たちが日常居られる恐れ多い医局のある場所でしたよね。
でも…――――ってことは、今まであそこから丸見えだったって事?
ずっとここで、悶々としてたのが?
「……もしかして、見てた…?」
「な~にを?」
「なにって、その…」
「お前がお前らしからぬ行動をおもいっきりとってたりする件か?」
なんだ、そのもって回ったような言い方は! しかし…
「見てたな…?」
「え~と…」
「何時から…?」
「何時からって、その、まあ、なんだな…」
―――――あぁぁ…
今さら視線を逸らされたって、剛史の行動見たらわかっちゃうってのが、悲しいわよ!
…見てたね? 見てたわね?
おそらく、かなり前から、見てたよね、あんた!
空見上げて~、溜息吐いて~、思わせぶりに手すりなんかに凭れちゃって~…
「―――――…とかって思うんでしょ…」
「は?」
「どうせ、似合わね~とかって思ってんでしょ?!」
だ~れも見てないって思ったから、出来た事だってあるってのに!!
ああもう、やだ! ホントに、ヤダ!
なんかすっごくハズイじゃないか!
こう言うのって、なんか、こう、何て言うの? 人が見てないから出来る動作って言うか、仕草って言うか、そういうものが有るじゃない!
なんで、いつも、こう言う時にこいつに見つかるかな!?
「分かってんだからね! 言われなくったって!」
思わず言葉が口を吐いて出る。
「こんなの、あたしの柄じゃないし!」
先手必勝!
言われる前に言ってやる!
「別に、大したこと考えてた訳じゃないから!」
ああもう、考えてた内容は、この際どうでもいいのにさ。
この次振ってくるセリフが聞きたくなくて、口が音を繋いでいく。
わかってる。
わかってるもん。
どこぞの美女じゃあるまいし、あたしなんかにはどうやったって、『思い悩む』なんて高度な動作が似合う訳も無い。
『何時も明るい元気な有里ちゃん』があたしのトレードマークだかんね?
なんなら、そこに、ガサツで、女らしくないって入れようか?
そんなあたしが珍しくも、真剣に色々考えようとしてんじゃないのよ! 少しぐらいはほっといて―――― 見て見ぬフリぐらいはしてくれても、いいんじゃないの!
こっちはわざわざ、見られたくないからこんなとこまで来てんじゃないのよ!
おとなしく見て見ぬ振りの一つもするのが大人の男ってもんで―――――
「――――― 大した事なんだろ?」
「…へ?」
「お前が、こんなとこに一人で来るぐらいには、重要な事、なんだろうが」
「……」
ええ、まあ、そうなんだけど…
――――― どうしたの?
なんか変な感じするんだけど。
今までの剛史だったら、絶対に、『バカが悩んでも絵に何ねぇぞ』とか、『悩むだけ無駄なんだから』とかって言ってくるよね。
こんな風に、あたしの言う事に共感する…というか、同意する?…ああ、もう、何て言うのかな。いつもの奴と言う事が違いすぎて、なんだか戸惑う。
「――――― 奴の、事か?」
「へ?」
「…お前が、悩んでるのって、例の奴の事か?」
「例の…?」
えっと、誰の事ですか?
「だから、その、…前に、言ってた、お前の、その、好きだって、言った…」
あ、それってアレク?
「あ、違う」
「は? 違う?」
「うん、違う」
思わずきっぱり良い子のお返事。
うん、違う。違うよね。
今、悩んでるのって、確かにアレクの事じゃない。
「…そうか、違うのか…」
そうか…――――― もしも~し。剛史さ~ん。あなた、なんか、凄くホッとしてませんか?
―――― 一体、なんで?
「じゃあ、なんだよ」と、今まで逸らしていた視線をあたしに向け直して問うてくる。それが、どっか真剣に、こっちを見てくれてるのがわかっちゃったから…どうしよう?
「う~~ん…」
なんだよと言われて、しっかり全部、話せるような内容だったらいいんだけどね~
「俺には、言えねーのかよ…」
そう言った、剛史の顔が、なんか、少しだけすねてるみたいで――――― で、なんだか、本当に、答えてくれそうな気がしちゃったもんだから、思わず、こう、聞いてみた。
「あのさ」
「ん?」
「…凄く、凄く、カッコよくて頼りになる人が居るんだけど」
「―――― おまえやっぱり、それって例の…」
た、剛史さん!ちょっと、目が、怖いんですが!
「いや、違うって!」
「どう違うんだよ」
「だから…!」
え~とえ~と… な、何間違えた? どう言えば良いのかな?
「えっとね、先輩。そう!すごく、頼りになる先輩が居るんだけど!」
「先輩?」
「そう先輩」
「そいつ女?」
「うんにゃ、男」
「……やっぱり、お前…」
「…! だ~から、別の人だってば!」
なんで、そこにそんなにこだわる!
「あのね!これって、恋愛ごとじゃないから!」
「…違うのか?」
「違うにきまってんでしょうか!」
そもそも、あたしは、そっち方面で今さら悩むつもりはない!
「これ以上、そっち方面、追求すんなら、もうなんにも言わないから!」
恋愛の話題は、剛史との間じゃタブーなんだよ、あたしにとって。なんか、訳わかんなくなるんだもの。
「分かった…」
ようやく納得してくれたみたいで、少し、ホッ… ―――――そう言えば、この話題の時って、なんか剛史が絡んでくること多いよな…
……ととと、今はそう言う話じゃない。
「あのね、凄く、尊敬してる先輩が居て… その人、仕事もできるし、性格も良いし、ものすごくみんなに頼りにされて、凄く良い感じだったんだけど…」
…間違って、ないよね?
ユーリーから見た、ガイって、こんな…感じだよね?
ちら見した剛史の顔が、そのまま話の先を促してきてるから、改めて、ガイの状況説明、続ける事にする。
「ものすごく、良い職場だったのに、今、その人の周りが変な事になってて」
「変な事?」
「うん。何て言うか… 難癖?…と言うか、濡れ衣? ――――ともかく、その人、今、もの凄く悪く言われだしたの」
難癖――――で済むのかな? あれってもう、謀略とか、姦計とかってレベルのような気もするけど。
一般的な日本人のお付き合いの関係で、そんな言葉、使えないしね~
「…なんか、えらく、きな臭い話だな」
「そう。ものすごくきな臭い話なの!」
「…この病院の内部の話か?」
「いや!それは違うから!」
そっち行く!?――――― と、突っ込んじゃいけないよね。
「絶対に、この病院の話じゃないからね! そこは間違えないでよ!」
こんな話、たとえ冗談でも言って御覧なさいな! 明日っからのあたしの未来が!
「りょーかい」
片手上げて了承の意を示した剛史に安堵する。
今、あたし、今日一番冷や汗かきましたよ、まったく…