その二 こちらのあたし
ジリリリリリリリリリリリ!!!!!!
大音響のベルが鳴る。
「有里!うるせーぞ!!」
止めろ!ばっかやろー!!
隣の部屋から聞こえるのは壁を蹴飛ばす音と、が鳴りたてる兄貴の声。
「わかってるってば!! 」
そっちの方が、うるさいよ!
怒鳴り返して、枕もとの目覚まし時計を止める。
自分の寝起きの悪さを考慮して買った『冬眠している熊でも起きる』と言うのが謳い文句の時計だが、毎朝毎朝、確かに心臓に悪いったらない。
特に、この一年。
特定の夢を見だしてからからは、この音が文字通り『夢』の世界から自分を切り離す悪魔の様な気がして理不尽な殺意を持ってしまったりする。
「有里~! 起きたの~! 顔洗って、ご飯だよ~!!」
階段の下から、母さんの声がする。
「今行く~!」
そう言い捨てて、パジャマのまま洗面所へ駆けこんで寝起きの顔を冷たい水でバシャバシャと洗いあげる。滴り落ちる水を拭いもせずに目の前にある鏡を見る。
こちらを向いて眠そうにしているのは見慣れた平凡なあたしの顔。
けっして、ふた目と見られぬご面相と言う訳じゃないけれど、良く言って十人並み。悪く言えば何の変哲もないありふれた顔がじっとあたしを見詰めている。
夢の中のユーリーはその設定に相応しく茶色の髪に薄青い瞳を持つ少年なんだけど、現実のあたしはどっから見ても当り前の日本人。寝ぐせのついた髪は一度も染めた事の無い黒のままだし、カラーコンタクトなんてとんでもないあたしの眼は普通にまっ黒いまんまだ。
平凡な顔の両親から生まれてきてるんだから当たり前だが、何処と言って取り柄の無い顔に決して良いとはいえないスタイル。
自分を綺麗に見せる事が殊のほか苦手な母親に似てしまったあたしは、化粧も下手だし、それを一生懸命学ぼうと思うほどの情熱も無かったから、薄化粧とは名ばかりのいい加減な化粧しかしない女となり果ててしまっている。
まあそれで、何の不都合もないって言ったらなかったんだけど。
これがあたし。
現実世界のあたしは、神部有里と言う極々一般的な二十五歳の日本人。
職業は管理栄養士。職場は病院。
この年まで浮いた噂一つなく、品行方正とは名ばかりの、ぶっちゃけめんどくさいから恋愛とかって無理だよな~との妙な達観を貫いて、この年になるまで、その手の話とはとんと縁の無いままに来たって言うのに…
―――――― なんで、夢で落ちるかな~…
いや、恋愛が自分の思う様にならないってのは友達からもよ~く聞かされてきたんだけども。
まさか、現実以外で初恋を経験するなんて。しかも、相手はとびっきりのイケメンと来た。
この時まで自分があんな面食いだとは思ってもみなかったってのに、こうしているとまざまざと思い出せる夢の中の住人のその姿。
銀の髪に紫の瞳。
すらっとした長身に、整い過ぎるほど整ったその顔だち。
――――― 夢は、自分の願望って言うけどな~…
それにしたって、あれはやり過ぎではないだろうか?
本来、あたしはどっちかって言うとおじさま系の渋い年上がタイプだった筈なのに、こうやって落ちてしまえば何の事はない、初恋がとびっきりのイケメンだったなんてねぇ?
もう、笑い話にもなりゃしないわね。これまでの常識さんさようなら~って奴?
ついでに、二十五にして初恋って何よ、初恋って!
あの妙にリアルな夢を見だしたのは一年ほど前から。
あっちでは、ユーリーが故郷を出て騎士団に入隊する直前のことだった。
生来あんまり物事にこだわんないし、夢だって解ってからは思いっきりその世界を楽しむことにしたから、それまでは本当に初めて見る街の様子とか、王宮のたたずまいとかに見とれたり感心したりで結構お気楽に過ごしていたんだけど。
なのに、光栄にも第一騎士団に配属され(見習い兼従僕だけど)団長に会った途端に一目ぼれ――――― ってなによ! ついでに、その途端に失恋が確定したっておまけつきだ。
男同士だから?――――― いや、それも大事な要素なんだけど。
実は、この夢には根本的にどうしようもないお約束って奴が有りまして。
あたしはユーリーの中には居るが、あたしはユーリーでは有り得ないのです、実は。
どう言う事かって?
えっとね、つまり、夢の中のユーリーは間違いなくあたし自身であるのだが(何しろ、彼の目線でしかあたしはあの世界を覗けない)ユーリーの意識とあたしの意識とはまるで別のものなのだ。
わからない? ……う~ん…どう言ったらいいのかな…
映画を見てる感覚?
そう――――― もの凄くリアルな映画を、体験しながら見ている感じ…とでも言うのだろうか。
あたしの意識は確かに有るのに、ユーリーの行動をあたしは制御出来ないし、彼の意識を乗っ取ることも無い。だから、あたしが何を感じても、何かをしたいともっても、あちらの世界に一切干渉は出来ないようになっている。
あたしが夢を見ない間でも、確実にあちらでは時間が流れている様子なので、言わば寝いっている間だけあたしの意識がユーリーの中にお邪魔してそれを共有させてもらっているだけの様なそんな感じ――――― もう、これって夢って言わないのかもしれないが。
だから、あたしの恋心は実は決してユーリーのものではない。
ユーリーの中の団長への感情は、唯のあこがれの気持ちだけ。
アレクシーズ――――― もう、めんどくさいからアレクね。その、アレクへのあたしの想いはあたしの、あたしだけのものなのだ。つまり、決して伝える事も叶える事も出来ない、最初っから失恋確定の恋心ってやつなんです。
「―――――って、あんまりだよね~…」
そうよ。あんまりにもあんまり過ぎる。
あんなにも近くに居て、ユーリーを通してだけど話して触れて感じる事は出来るのに、あたしからは話しかける事も問いかける事も触れる事だって出来はしない。
全て、ユーリーの行動次第。彼が動いてくれないと、あたしは何も見れないし触れない。
理不尽だ。余りにも理不尽な事態だと思うのに。
それでも、アレクがユーリーに話しかけると、頭を撫でて笑いかけると。
ユーリーの中であたしは悲しいほどに嬉しくて震えるほどに泣きたくなって。
―――――― なんだって、あんな、話しかける事も出来ない相手にこんな気持ちになるかな~
夢は、あたしの思い通りにはならないけれど、あたしは彼に会える事をこんなにも心の底から望んでいる。
「―――― な~に、百面相してんだ、ボケ!」
ゲイン!と音さえ立つほどの勢いを付けて後ろからあたしの頭を叩き倒したのは、朝一であたしの目ざましに文句を付けやがったあたしの兄貴―――― ユウキ、こと、神部祐樹だ。
「痛いな~ 仮にも大事な妹の頭、思いっきり殴る? しかもグーで!」
「はん!お前みたいに女捨ててる奴に払う優しさなんざこれっぽっちもないわ! 文句が有るなら、彼氏の一人も連れてこい!」
「あ…あ~っつ…! …人の一番気にしてる事突いてくるな! このバカ、兄貴! てめーこそ、彼女の一人も連れてきやがれ!このへたれ!」
「なにを~!? 妹の分際で生意気な!」
「おうよ!やる気!?」
「おお!受けて立ってやる!!」
「―――― いい加減にしなってんだ!このバカチンどもが!!」
ばこっ!ぼこっ!!
二発ぶっ続けの叩き倒す音は、我らがおふくろ様の丸めた雑誌から放たれた。
「~~~~~……」
「…おふくろ~~~… 頼むから、通販のカタログはやめてくれ…」
頭を押さえて泣き入る兄貴に心の底から同意しつつ、本日二度目の衝撃にあたしは声すら出やしない。
普通殴るか?あの分厚い奴で。
「ほら!さっさとご飯食べちまいな! 有里、あんた、今日早番だっていってなかったっけ?」
「うわっ!やばい! 母さん!ごはん!」
「出来てるよ! ほれ、祐樹もいつまでも妹相手に遊んでんじゃないよ! さっさと嫁さん連れてきなって言われたいのかい!?」
「それを言うか…? お~れに、それをいうか! …いじめか…? おふくろ、それは俺へのいじめなのか?」
どうせ、俺はもてねーよ!!
叫ぶ兄貴を後目に、あたしはテーブルに用意されていた朝ごはんの前に座って両手を合わせる。
「いただきます」
ギャーギャーとまだ騒いでる兄貴の声が聞こえるが、実の所、兄貴は決してモテテない訳ではないとあたしは思ってるんだけどね。
とりあえず、いつもながらの騒々しい朝の風景に、残っていた夢へのあたしの感傷は少しづつ消えて行く。
決して無くなりはしないけれど、「今日は話せただけラッキー!」と思い返せるぐらいに、あたしの思考は現実の世界へと対応していった。
今回で夢の中の状況の説明は終了…かな? しばらくは現実の有里の方のお話になります。
えっと… こんなエセファンタジーですが、よろしければこれからもお付き合いください。多分、不定期更新になると思います。でも、結構楽しんで書けますので頑張りたいと思っています。楽しんでいただければ嬉しく思います。