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その二十四

夜の街を剛史と歩く。

てくてくてくてく…ただひたすら歩く。

すぐ傍にいるのに、なんにもしゃべらずに。

てくてくてくてく…

ただひたすらに二人して歩く。


世間ではもう夏休みも終盤で。真夏の暑さはまだまだ空気の中に残っているけれど、時々流れる風の中に微かに秋の涼しさが混じっている様な気がする。夏は別に好きじゃないけど、こんな時は無性に夏が惜しくなる。


夏の終わりの宵闇の中を、ただ二人して歩く。


――――― 話が有るって言ってたのにな…


何ひとつしゃべってくれない剛史にいつもと違う気づまりな、居心地の悪さを感じてしまう。歩いている内に、あれほど飲んだ酔いもあらかた冷めて、妙に冴えた頭だけがこの事態を変に冷静に捕らえている。


そう言えば、剛史と並んで街を歩くなんて初めてかも。病院の中でだって、同じ方向むいて歩くなんて無かったもんね。

いっつも、怒鳴り合って、ののしり合って。ケンカ腰の言い争いばっかしだったから、こんな風に沈黙が続くと、困る。


――――― 気まずい…


何とも言えず、気まずい空気が、あたしを落ち着かなくさせる。

そんな空気に改めて考えてみれば、いつも切っ掛けを造るのは剛史の方で、あたしはそれに反発してさえいればよかったから。だから奴に黙りこまれると、あたしはもう、どうしていいか解らなくなる。

だからと言って、あたしから話しかけるには剛史の顔が余りにも険しくて、今は声をかける事が良い事なのかすらわからない。


…おこってる? ――――― 怒ってるね。

でも、なんに? あたしに?

あたしに、おこってんのかなぁ… この状況だとそうみたいだけど、でも何で?

だって、今日はさっきとっ捕まるまで、職場でだって会う事無かったし。この前のケンカって言っても… いつもの事しか思い浮かばない。


そうこうするうちに、余りにも見慣れた道筋にぶちあたる。

何時の間にか二十分経ってたみたい―――――― この角を、曲がればあたしんちだ。


「有里」

「は、はい!」


いきなり低く呼ばれた声に、条件反射で返事してしまう。


「やめろ」

「は?」

「やめろと言った」


―――――― な、なに? 何を言ってるんだ? この男は。


「眼ェ覚ませ。くだらない事に捕われるのをやめろ」


低く告げられる言葉に見返したあたしを、向きを変え真正面から見据えて、奴は吐き捨てる様に怒鳴りつけた。


「いい加減大人になったらどうだ! お前、もう二十五だろうが!」

「な…!」


なに!なんなの! いきなり…いきなりなによ!


「なに… 何の話よ、いったい! あたしは、あんたにそんな事言われるような筋合いは…」

「何が金髪だ!青い眼だ! 何時までも、子供みたいな夢見てんじゃねぇよ! 俳優だかなんだか知らねぇが、現実に居ない架空の人間追い駆けてどうする! そんなもん疑似恋愛してるだけだろうが!」

「――――!」


――――― ま、まさか…


「あんた… 何言って…」

「いい加減、現実を見ろ!このばか!」

「な、何で…! どこで!」


思わず叫んだ途端に気付く。

『其処で呑んでた』

其処で――――― おなじ、店で。


かーっ!と頬に血が上るのが解る。居たんだ… あそこに、あの店に居たんだ…!

初めて、真由美にだけ打ち明けたあたしの秘密。聞いてた…? 聞いてた! ひどい… ひどいひどいひどい!


「盗み聞き… 盗み聞きしたのね!? ひどい…ひどいじゃない!」

「あんな大声でしゃべってて、聞こえないはずないだろうが!」

「それでも、盗み聞きは盗み聞きよ!」


そう! 絶対に絶対に、誰にも聞かれたく無かったのに…

誰にも、知られたく無かったのに、寄りにも寄って、なんで―――――!!


「卑怯者! セクハラ! 卑劣漢! そんなの… そんなの男のする事じゃない!!」

「聞こえてきただけだって言っただろうが! 聞いて良かったよ! まさか、まさかお前がまだそんなガキだったなんてな!」


強く――――強く、両方の腕を掴まれる。

けれどその痛みは、今はあたしには届かない。ただひたすらに卑怯な奴の顔を――――― 見たくもない剛史を顔を見あげる。


「そんなモノ、どうせ、本気じゃないんだろ? そんな、見てるだけで良いなんて生半可な感情、本物なんかじゃねぇよ! いつまで、そんな夢みたいな事言ってんだ! バカか!お前は!」


本気? 本物? 生半可… ばか?

なんで…なんで、こんな…


「いいか。気持ちなんてもん、相手にわかってもらってこそのもんだ! 見込みがねぇってわかってて、いつまでもそのまんまで構わないなんて嘘だ! 見てるだけなんて、そんな綺麗ごとが言えるような気持ちが本物だと!? まやかしだ! そんなもん、本当の恋愛なんかじゃねぇ!」



声が、でなかった。






……いたい…


いたい、いたい…


からだが、きしむ… こころが、きしむ…


ゆがむ…


なにもかも、ゆがんでいく…


あつい…


あたまが…からだが…むねが…


あたしのぜんぶが、しんじられないほどあつくなって…






「――――― ゆり…?」


ぽた…

てのひらに、こぼれおちた雫で気付いた。

涙が。

涙が、あたしの眼から流れ落ちていく。


「…どうして…」

「…有里…」

「どうして、わかるの…?」


あたしの気持ちが嘘だって。

あたしの想いがまやかしだって。


「…どうして、決めつけるの…?」


どうして、あんたが…


「どうして、あんたが、あたしの気持ちが嘘だって決めつけるの!!!」


有り得ないほどの感情があたしの中で渦を巻く。

悲しいとか、辛いとか、苦しいとか、そんな言葉では言い表せない感情。ぐるぐる渦を巻いて、あたしの中で爆発するように熱くなる。


「わかってる…」

「有…」

「言われなくたってわかってるわよ、そんなこと!!」


こんな不毛なことない。こんな意味の無い気持ち、きっと恋なんて言っちゃいけない。


あたしが好きな人は、あたしの存在さえ知らない。

あたしは好きな人に、声をかける事も、触る事も、何ひとつ出来はしない。

俳優? 現実に居ない架空の人間に疑似恋愛してるだけ?

じゃあ、この気持ちはなに!この、どうしようもない気持ちはなんなの!!


あったかくて、嬉しくて、哀しくて苦しくて切なくて。

心の奥底からどうしようもなく溢れ出してくるこの気持ちは幻だと? あたしの体すら支配する感情を、無かった事にして忘れろとでも!


出来ない…

もうそんなこと、あたしに出来る訳がない!!


「好き…」


「好きなの…」


あたしは、ただ、あの人が好きなの。

それだけ… 

ただ、それだけなのに…


「わかるもんか…」


「あんたなんかに、わかるもんか!!」


涙で歪む視界を、振り払う事もせず目の前の剛史を睨みあげる。何時の間にかこんなにも高くなった視線。でも今は、そんなことも構ってなんかいられない。


わかる訳が無い。

この一年余りの時間、あたしがたった一人で育んできたもの。

何度も何度も、振り返って、バカみたいだって自分で自分を罵倒して、それでもどうしても捨てられなかった思い。

諦められなかった。失くせなかった。大事な、大事な感情。


「あたしは、アレクが好き!」


好き――――― そうよ、好き、だけじゃない。

甘やかな感情の裏にあった、大きな不安と焦燥。抉りだされた認めたく無かった感情。

あんたに…


「あんたなんかに、言われるまでもない…」


ギリッ…と強く唇を噛む。そうしないと、もう、立ってなんかいられない。


わかってるんだ。

何もかも… 何もかも、わかってるんだ、あたしには―――――!


「はなしてよ…」

「有里…!」

「放せ… 放せ放せ放せ!!」


泣き叫ぶあたしは剛史の大きな身体を渾身の力で押しのける。引き剥がした力をそのままに家へ―――――自分の逃げ場所へ走る。

慣れた仕草が動揺を押さえつけて、迷うことなく鍵を開けられた事に感謝する。

ピシャ!

振り返る暇なんてないまま、引き戸を思いっきり音を立てて閉めた。

ガタっ!

戸に外から手が当たるのを感じて大急ぎで鍵を掛ける。


「帰れ!」

「有里!」

「帰れ帰れ帰れ!!」


何度も何度も剛史があたしの名を呼ぶ声がしたけれど、あたしは無視して階段を駆け上がる。

勢いよくドアを開けて、飛び込んだ部屋にも鍵を掛ける。夜の夜中だって事も、家族の迷惑も考えれない。逃げる… ただ、逃げたい…

ドンドンと打ち付けるのは、自分の心臓の音なのか、剛史があたしを呼ぶ声なのか。荒れた息もそのままに、声が喉の奥から込み上げた。


悔しかった。

情けなかった。

悲しかった。

辛かった。

今まで抱えてきた全ての感情を爆発させるようにあたしは大声を上げる。涙が、後から後から流れ落ちてくる。


好き。

アレクが好き。


否定なんてしない。

無かった事になんか出来ない。

あたしの感情を、あたしが認めてあげなかったら、いったいあたしはどうなってしまうのか…!


「アレ…ク… アレク、アレクアレク…」


呼んでも、決して応えてはくれない、この世界にすらいてくれない人の名前を呼ぶ。


閉じたドアの前にずるずるとしゃがみこんで。

あたしはただ、アレクの名前だけを呼びながら、泣き続けた。






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