その十七
もうしばらく、夢の中です。
王宮内を、ガイと二人で歩く。
一応、ユーリーがガイを案内する形だけど、ガイ本人も何回となく通っている道だろうからその足取りには何の不安も無い。いや正直、案内なんていらないんじゃないかと思うんだけどさ。
「お前はお使いの帰りだろうが」
返事を持たずにどうやって帰るつもりだ。
なんとなくユーリーも気になった様で、そう問いかけた時のガイの答えがこれ。
完全に面白がってますね、ちくしょ~~~!!
頭上に張り出してくる、枝の緑が目に眩しいじゃないの。こうやって有名人―――― ガイのことね―――― と一緒に歩いてるトコを目撃されるのは、出来れば避けたいんだけどね。いろんな意味で。
王宮内とは言え、此処は建物の中では無い。まるで、森の中の道の様に周りは木で一杯だ。でも、この道で正しいの。
実は、スーベニアの王宮って王族方がお住まいになっている奥の宮を中心に二重構造になっている。あたしたち、日本人の感覚で言う所の『王宮』はこの奥の宮の方が近いと思う。堅牢で華やかな、本当にお城って感じなのが奥宮の方。それ自体の大きさも結構なものなんだけどね。
その奥宮を、もう一回り程高い石造りの塀がぐるりと取り囲むように造られている。門とか見張り台があるこの塀の中が、こちらでは全て王宮と呼ばれてるの。
この王宮、実は半端無い程の広さが有る。
入っちゃいけない所とかもあるし、奥宮を守る形で色々な建物が入り組む様に建てられてたりするから、正直あたしにもその広さは今一把握できていない。現実では当たり前の航空写真でもあれば簡単に見取り図でも作れるんだろうけど、ただ、地面を歩きながらの計測だからね。ある程度の目星が付けられるぐらいかな。
でも、まあ一つの大きな街が有る様な感じ――――― と思ってもらったらいいかも。
大貴族と呼ばれる人たちの屋敷なんかも此処にはあるし、それこそ練兵場とか、我が第一騎士団の隊舎も丸ごとこの中に入ってるくらいだから。
だから、基本王宮内を歩くと言うと、その建物へ続く回遊式みたいな回廊を通るか、結構しっかりと整えられた庭を通って行くことになる。アレクが居るだろう第一騎士団の隊舎は、他の建物からは少し離れた場所に立っているから、あたし――――― ユーリーとガイは、針葉樹が人の高さほどに整えられた庭を、二人して歩くことになっている。此処を通って行くのが、一番隊舎に近いんだもの。
そろそろ初夏の風も一層熱を帯びて、本格的な夏の気配がこんな閉鎖された庭にも感じられる様に思う。
こちらの世界にも一応四季が有る様で、常春とか、常夏とか、そんなとんでもない気候じゃ無かったってのはあたしにとってはもっけの幸いだったね。あんまり違和感無く馴染めたもの。でも、日本よりはもう少し四季の温度変化は緩やかな感じかな? 結構過ごしやすくって、これはこれでとってもありがたい。
もうすぐ、隊舎の建物が見える―――― と思った所で、その、見慣れたその建物の前に、不釣り合いな柔らかな色彩が有ることに気が付いた。明るい夏の日差しに光り輝く金の髪。緩やかで華やかな薄いブルーのドレスがサラっと動いて…
「…姫…」
思わずと言う感じでガイの口から零れ出た言葉に、ユーリーは彼を見あげて、さらに慌てて前方にもう一度目線を合わせる。
「ヒューバー様…!」
こちらに気が付いたのだろう、ぱっと顔を輝かせて、その体が軽やかにこちらに一歩を踏み出す―――――
その途端、ざっと跪き掛けたガイにあわててあたしたちも見習おうとしたんだけど、それをまるでくい止めるかのように声が降ってくる。
「どうか…!」
ああ、この声…
間違いない、ミルヴァーナ姫の声だ。
「どうか、そのような礼は取らないでください。ヒューバー様。ここは正式な場では無いのです。わたくしは、今日はあなたに助けていただいた唯の娘として此処に居るのですから」
「…姫…しかし…」
「貴方が、あくまでも臣下としての礼を取られるなら、わたくしは王族として貴方に『礼を取らぬように』との命令を出さねばならなくなります。どうか、わたくしにそのような命を出させないでください」
言っている事は、結構強引な様な気もするけど、ミルヴァーナ姫のその声音は、どこか懇願する様な必死な声で…
綺麗な人の、この声を無視できる奴がいるならお目に掛りたいわね。
女のあたしでも、今クラっときかけたもん。
改めて日の光りの中で見たミルヴァーナ姫の、その綺麗な事と言ったら… もう、どうしよう…って感じ。輝く様な金の髪は、前に思った通りアレクのそれよりはもっと濃い本当に鮮やかな金の色。真っ直ぐにこちらを見るその瞳の青さと言ったら――――― スーベニアの青の宝玉とは良く言ったものだ。サファイアよりももう少し青い…ブルートパーズかな?この色は。
なんてうらやましい… 本当に本当のお姫様が此処にいらっしゃるわ。この間、夜にお会いした時も綺麗だと思ったけど、こうやって明るい光の中で拝見すると、もう溜息しか出なくなる。
ほら、流石のガイも、しぶしぶだけど、膝を折る事を諦めたみたい。この瞳には…なんか逆らえそうにないな~ 美人って、それだけで威力があるよね。
ガイが立ったままって事はあたしも立ってて良いのかな? でも、あたしはまた立場が違うよね…
やっぱりしゃがんだままの方がいいのかな? う~ん。ユーリーも迷っちゃってるよ。どうする?
あれ? 少し向こうに、紺色の地味目のドレスを着た黒髪の女の人がこちらを見守る様に立ってらっしゃる… え~と、この状況からして、あれってきっと姫の侍女サンだよね。
彼女が立ってるって事は、あたしたちも立ってて良いのかな?
ようやっとユーリーもどうするか決めた様で、ガイと姫から二メートルほど離れた場所に、立ったままで控える事にした。なんかお邪魔の様な気もするけど、此処通んなきゃ隊舎に行けないし。ここに二人っきりでほっておくのも、それはそれで問題があるのではないだろうか…―――― いや、ユーリーは其処まで、考えてやってる訳じゃ無いんだけどね。
少し距離はとったけれど、ガイとミルヴァーナ姫の声はしっかりと聞こえる場所。まるで何かに急かれるように姫の声が言葉を綴り始める。
「お忙しい所をお引き留めして申し訳ありません。けれど、どうしてもお会いしてお返ししなければならないものが…」
そう言って、彼女がガイに差し出したのは小さな布――――― あれって、ハンカチかな?
「いつか必ずお返ししなければ、と思いながら、こんなにも時間が経ってしまいました。申し訳ありません」
「…返して頂く様なものではありません。それだけの為にわざわざ…?」
差し出された布を、困惑したように見詰めるガイの口から言葉が零れ出る。無意識だろうか、少しだけ後ろに下がろうとしたガイを、引き止める様に姫が一歩を踏み出して。
「いえ… いいえ」
ギュ…と一度、手の中の布を握り締めて、もう一度その青い瞳が真っ直ぐにガイを見あげる。
「これも、あなたにお返しするべきものではないでしょうか…?」
そっと、その白い細い指が掌の布をめくって。
その中から出てきたのは――――― 石?
宝石、かな? 碧色の鈍く光る親指ほどの大きさの石。一つだけ開けられた穴に皮の紐の様なモノが通されて、ネックレスのように見える。
それを目にした途端、ガイの顔が真剣なものに変わったのがわかる。
「これは…!」
ガイは思わず手を伸ばしかけて、慌てたようにその手を握り締める。
「やはり、ヒューバー様の物でしたでしょうか?」
「……失くしたと思っておりました。これを何処で?」
「…あの折、このハンカチをお借りした時に落とされたのだと…」
「ああ…そうですね…」
――――― あの折?
あの折って、どの折だ?
「紐が切れてしまっていましたので、勝手ですが取り返させて頂きました。…きっとあなたの大切なものだと… 早くお返ししなければと思いながら、こんなにも遅くなってしまいました。申し訳ありません」
そっと…
本当に、どう言ったらいいのか。
そっと、まるで名残が惜しい様にハンカチごと石がガイに手渡される。そっとそっと、その布の手触りすら惜しむ様に。
―――― ああ、やっぱり。何が有ったのかは知らないけど。
ミルヴァーナ姫は、ガイの事が好きなんだ。こんなにもこんなにも――――― その人の、持ち物にすら思いを込める程。
渡されて、そのまま離れ掛けた姫の手をガイの大きな手が包み込む。
「…お持ちください」
「え…?」
「貴女が持っておられた方が良いでしょう」
もう一度、石を布ごと姫の手にしっかりと握らせてガイが告げる。
「南の――――― アドリアスの海の先に有る、トーラの国から伝わる守り石です。これがあなたと…―――― あなたと、コルフィー子爵のこれからを守ってくれる筈です」
「……」
「一足早い、結婚祝いとでも思っていただければ光栄です」
コルフィー子爵って…確か、アレクの事だよね。まだ、正式に公爵家を継いだ訳じゃないから、公の場では確かにアレクはこう呼ばれるけど。
ガイが、アレクの事を、この名で呼ぶのは初めて聞いた。瞬きすらしないでガイを見ているミルヴァーナ姫から、一歩で大きく距離を取ってガイは深く首を下げる。
「わざわざ、ありがとうございました。もうお会いすることも無いかもしれませんがどうか、お健やかで有られますよう… ――――― それでは、御前、失礼いたします」
まるで、何かに打たれたかのように身動き一つしない姫の横を、擦り抜ける様にしてガイが歩き出す。
ユーリーは慌ててそれを追い駆けるしか無くて。
お付きの侍女の傍を通る時、ガイが確かに言った、「姫を頼む」その言葉だけが妙に心に残って離れなかった。
七月最初の更新です。
前よりは…早かったかな? とはいえ、いつも通りのムラ更新で申しわけありません。
少しずつ少しずつ、一応お話は動いて行っております。
最後まで、なんとか頑張っていきたいと思っています。