その十五
厩番のじいさんに許可を取り付けて―――――― まあ、アレクの言う事に、此処で逆らう人間はいないんだけどさ。アレクの乗るいつもの馬と、もう一頭―――― 本来ならユーリーごときが乗っていいものかわからないぐらい立派なアレク所有の馬に鞍を置いて、外で待っているアレクの元へ引いて行く。
新緑の光りの中、木陰で待つアレクは本当に夢の中の王子様の様にキラキラで。
「ごくろうだったな、ユーリー」
ユーリーから手綱を渡されるやいなや、アレクはひらりと軽々馬に飛び乗ってしまう。慌てて、ユーリーも手綱を握り締めて、もう一頭に飛びかかる様にして乗り込んだ。
あたしたちが鞍に腰を落ちつけたのを見届けて、アレクは自分の馬に鞭を当てる。
「行くぞ! ついてこい!」
――――― え? いきなりのトップスピード!?
なに?ちょっと、いきなり、早いってば!! 心の準備… うわおっ!
わたわたしているあたしなんかほっといて、ユーリーも掛け声とともに馬を駆った。ぐん…と身体が後ろに引きずられる様な感覚。それを押さえつける様に、ユーリーは馬の背に身体を伏せて手綱をきつく握り締める。
……う…速い……! シャ、シャレになんないくらいに、速い!
いきなりこのスピードは……怖すぎます! すみません!止めていただけませんか!? ここに、初心者!初心者がいます!!っての!!
そんなあたしの叫びなんかやっぱり誰にも届かなくて。一瞬止まったのは、王宮の北の門の開門を頼む時だけ。後は、ただひたすらに走って走って…
ちょ、ちょっと待って! なんなのよ、これ! 前を走るアレクに置いて行かれない様に、必死でユーリーは馬を操ってるんだけど。
ひえ~~~~!!! た、たしか、馬って自動車より絶対遅い筈だよね! 百キロとか出てないよね?!なのに!
――――― なに? この速さ…!
体感速度が半端無く速過ぎる!
前に居る筈のアレクが、多分凄く飛ばしてるんだろうけど。
ついて行ってるって事? このスピードで、ついてってるって事だよね!?
な、慣れてるね? 慣れてるよね? 慣れてるんだよね、ユーリー!? 君、こんな速くて大丈夫なの!?
手綱を握る彼の手に迷いが無いから、大丈夫、と信じたいが… うわ~っ! ひえ~~~!!速いよぉ!! 今まで馬に乗ったこと、無かった訳じゃないけどさ! いっつも並足、速くったってギャロップ程度だったじゃない! こんなん、聞いてないぞ!速過ぎる!
ふっと一瞬、前を走るアレクが振り向いて笑った様な気がしたけど、こっちはそんなもん見てる余裕なんぞない!
こんなスピードの馬になんか、乗った事無いんだもん!これ、下手なジェットコースターより怖いって!!
一生懸命馬を駆るユーリーの、その中であたしはさんざっぱらに叫び声を上げ続け――――― どのくらい経ったかな… いい加減あたしも、叫びつつけるのに飽きてきて。
――――― 人間、どんなことでも慣れるもんなのね。しかも、けっこう短時間で。
あたしが思ってたよりユーリーの手綱さばきは正確で、なんかこう、安心感みたいなもんまで出てきちゃって。
ユーリーに全て預ける感じであたしは身体の力を抜く。確かにこの子は馬好きで、小さい頃から田舎の野っぱらで、自分ちの馬、乗り回してたって事は記憶をたどってわかってはいたけれど。
思っていた以上に馬に慣れている。これは少なからずの驚きだ。
馬も確かに良いんだろうけど、この子も思ってた以上にやるじゃんって感じ。
お陰で、あたしは少しだけ周囲を見渡す余裕が出てくる。あくまでも、ユーリーの視線の中に映るものだけだけど。
アスファルトなんて無い土埃の上がる道。雨上がりの碧の森。耳元を凄い勢いで通り過ぎて行く風。馬蹄の音が規則正しく耳を叩いて、目の前に、駿馬を駆る銀の髪。
――――― …これは、結構気持ちいいかも。
視界は揺れるし、まだ少なからず怖いけど。
有体に言えば、バイクを思いっきりかっ飛ばしてるような感じ? やった事無いからわかんないけどさ。
一種、何とも言えない爽快感が体全体を駆け巡る。
二頭の馬は、休むことなく走って走って…
一時間ぐらい走ったのかな…?
時計が無いからわかんないけど、ユーリーの感覚があたしにその事を告げてくれる頃、小高い丘を上り切った所でアレクが馬を止める。
それにならってユーリーも危なげなく馬を止めて、アレクの少し後ろに馬を寄せた。
「なかなか、上手いな」
「…ありがとう…ございます…」
でも、息が切れ気味なのは御愛嬌って事で。
ユーリーのその様子に、アレクは何故か凄く嬉しそうに微笑んでくれる。頑張ったって事だよね。うん。アレクが、認めてくれるぐらいには。凄いぞ、ユーリー!
あたしたちの息がようやく整いかけた頃、アレクの落ちついた声があたしたちを促す。
「――――― 見てみろ」
―――――― うわ……!
アレクが、手にした鞭で指し示したもの。それは色付いた麦の穂が見渡すかぎりに揺れる大地。
緩やかに傾斜を繰り返しながら、なだらかに何処までも続いて行く麦の波。ところどころに点在する森の碧は青く、こうして目にするだけで、その大地の豊かさが解る。
「…こ、ここは…?」
「パンドア平原だ」
パンドア平原…?! ここが?
ユーリーはおろか、あたしでさえ聞いたことが有るそれは、余りに有名なこの国の北方に広がる肥沃な大地の名。この国だけでなく、近隣諸国からも垂涎されるほどの一大穀倉地の事だ。
「初めて見るか?」
「は、はい!」
「素晴らしいものだろう。これが我が国の宝の一つだ」
淡々としたアレクの声に、思わずユーリーの身が引き締まる。
「我がスーベニアが、アランドア大陸一の国力を誇っていられるのは、国王陛下のそのお力に寄る所が確かに大きい。 ――――― しかしそれを支えるのは、多くの民の食料を賄えるこの豊かな大地が有ってこそ」
「……」
「民を飢えさせて、どうしてその国が立ち行ける。この大地は、神が我らに与えた大いなる恩寵だ」
それが今、目の前に有る。
「この大地の向こうにイアニスがある」
手にした鞭で、アレクが指し示す彼方。
イアニス―――――― スーベニアの北方に位置する巨大な軍事国家。昔から、色々な因縁でこの国の歴史に名を刻む隣国。どうしてもきな臭さを覚えるその名を、アレクがどうして此処で口にするのか。
「…取られる訳にはいかない」
此処を、渡す訳にはいかない。
「絶対に、だ」
「…団長…?」
強く――――― アレクにしては珍しいその口調に、思わず端正なその顔を見返してしまう。いつもなら、日に透けて煙るようなその紫の瞳が、強く、意志を秘めて、遥かな何かを見晴るかす。めったに見せない、堅く引きしまったその表情は、何処かあたしたちをざわめかせる厳しさを其処に宿していて。
……何か、あった…?
何か、あたしの――――― ユーリーの知らない所で、起こっているの?
こんな時は、ユーリーの目線でしかこの世界を知ることのできない自分が恨めしい。何が有っても、何が起こっていても、あたしたちはそれを知る様な立場には無いから。
……そう言えば、前もどっかで聞いたよね、イアニスって…
『イアニスの竜酒』
そうだ。前にガイが来た時の…
ツキン…
思い出して、少しだけ心臓が痛い。
あの日起こった出来事は、まだあたしの中に微かな棘となって残っている。
聞きたい。
アレクに聞きたい。
何を聞きたいのか解らないくらい聞きたいことは山ほどあって―――――― でも、絶対に聞けなくて。
――――― あの…!
「…団長!」
「―――― どうした?」
どうした…?
聞き返されて、一瞬、この子の意識が白くなったのを感じる。
……ユーリー。
ユーリー。あなたは何を聞きたかったの?
その時のユーリーの心の中は面白いぐらいに何も無くて、無意識に言葉を発していたんだってあたしは状況を理解する。
無意識… 無意識?
確かに、この子は無意識だったけど。けれど、その中で、言葉を発しようとしていたのは―――――
―――――― まさか…
まさか、ね。
まさか、あたしの意思が、この子を動かす筈は無い。
「いえ、なんでも」
何でもありません。
「…おかしな奴だな。白昼夢でも見たのか?」
「いえ、あの…!」
微かに、笑いを含んだ様なアレクの声音に、ハッと、我に返ったユーリーの頬が、かーっと赤くなっていく。
「す、すみません… 僕…いえ、わたしは…えっと…」
「ああ、いい。何の予告も無く引っ張ってきたからな。悪かった。疲れたか?」
「いえ! 連れてきていただいて嬉しかったです!」
ありがとうございます!
そう、すんごく嬉しかった。あたしもユーリーも――――― ほら、今、あたしはアレクと二人っきりだもの。
これって……デート…かな? デート、だよね。
アレクはそのつもり全然ないだろうけど―――――― あ~… …凄く、嬉しいかも。
「素晴らしい所ですね!」
「…ああ」
「がんばります! もっと、がんばって、団長と一緒に、この国を守れるようになります!」
―――――― もう… まったく…!
ユーリーってば、真っ直ぐ過ぎ。
自分の妄想に浮かれ切ってるおねーさんが、落ち込んでしまうではないの。
アレクも、一瞬だけ息を止めて。
その後、声を上げて楽しそうに笑いだした。
「期待していいな?」
「はい!」
何度目かの、それはユーリーとあたしがアレクに惚れ直した瞬間だった。
なんとか、一週間以内に更新出来ました。
よかった、よかった…って、まだ終わってません。こっから先が長いです。
どこまで、このペースでいけるのか。
まだまだ、不定期のままだと思いますが、どうか気長にお付き合いください。