その九
やがて、ゆっくりと夕闇が王宮に押し寄せて。
「じゃ、門まで、お見送り致します。今、松明を…」
今日はガイと一緒に私邸へ帰ると言うアレクの為に、大急ぎで夜番の宿舎へ行って松明を二つ用意する。
この頃では、見る見るうちに夜が深くなるから、執務室に戻った時には、もう辺りは宵闇に包まれていた。
「やあ、来たな」
「ああ、すまない、ユーリー」
こちらには電気なんてこれっぽっちも存在しないから、回廊に設けられた灯り取りの松明のうっすらとした焔を受けて、薄暗いオレンジ色の世界の中、アレクの銀の髪が色を増して浮かび上がる。
そしてそれを支える様に立つ、闇から溶け出した黒衣の影。
――――― なんて、絵になるんだろう…
もう、何回惚れぼれと見返せば気が済むのかって感じ。
『恋すりゃ犬も詩人』とかって言うけれど、アレクを表現するには、あたしの語彙力は少な過ぎる。
ああ、写真… ここにケータイが有れば良いのに!
アレクとガイ。
二人が並んで歩き始めるから、あたしは―――――もとい、ユーリーは、一歩下がってその後に付いて行く。
聞くともなしに聞こえる会話は、軍事から政治、経済から外交… あまりにも多岐に渡るから、あたしはついて行くのが大変だ――――― と、これは、ユーリーにとっても言えることなんだけど。
こうやって聞いていると、国を本気で動かすのには色々な要素が複雑に絡み合っていて、国王と言う存在のこの国での大きさを実感する。それを支えている、宰相とか、アレクとか…側近って言われる人たちの博識にもだ。
どちらかと言えば軍事に偏りがちなガイでさえ、大まかな外交や、経済の行方は頭に入ってるみたいだし、自分の領地を治めているアレクはもっといろんな事を考えている――――― きっと、あたしたちが知らない事まで。
「―――― それで、その後の状態は?」
「ああ。市街の警備を少し増やした。特に、西を重点的に」
「西?あの辺りは大きな屋敷ばかりだろう」
「だから…かな? なんとなく大物が引っかかったりして」
う…なんか、難しそうな話になってる。
こうなってくるとユーリーとしては黙ってついて行くしかないんだよね。まだまだわからない事ばかりだから。
れっきとした大人の筈のあたしですら、この二人の会話には付いて行くのが大変だ。半分解れば良い方。下手したら、何言ってるのかチンプンカンプンの時だってある。ましてやユーリーは。
でも、こうやって傍に居て、話を聞きながら自分で学んでいくのがこちらでのやり方だ。この世界には、学校とか教師とかって、ほっといても教育してくれる様な機関は無い。知識や教養、身の処しからから剣の使い方。全て親や身近な人が手本になり、小さい時から自分の力や身分にふさわしいやり方で大人から直接教わったり、傍に居ることで盗む様に学んでいく。
だから、みんな結構子供のうちから、親元を離れて行くみたい。特に、男の子はね。
ユーリーは、本当に辺境の小さな貴族の出身だけど、今、はっきり言ってもの凄く恵まれた位置に居る。国の中枢に近い立場の人と直に話せる環境なんて、本来ほんの一握りの人間にしか与えられないものだから。
まだまだユーリー自身は、日々の訓練や細々とした仕事をこなすだけで精一杯みたいだけど、ぜひ、この環境を生かして、有能な人材になって欲しいと思ってるんです。こうやって中に居るおねーさんとしては。
すっかり暮れて、あちらこちらの松明以外灯りの無い道を、一の郭の門の傍まで来た時だ。
「誰!」
いきなり誰何する声に、三人の足が止まる。
「…姫…」
「アレク様?」
鈴を転がす様な、高い綺麗な声にびっくりした。
―――― 女の人?
こんな暗くなってから、いくら王宮の中とは言え、女の人が歩いてるなんて…
おまけに、さっき、アレクってばなんて言った?
「どうして、貴女がこんな所に」
「一の郭のお友達の所に。うっかりして遅くなってしまって…」
アレクとガイの姿が影になって、あたしからは見えないけど、その先に何人かの気配が有る。馴染みのない衣擦れの音は二人…かな? 王宮の女官かしら?
でも、さっき、アレクってば『姫』って…
「不用心ですね。いくら、王宮内とはいえ、侍女と二人で外出とは」
「サーシャは、これでも護衛を兼ねておりますから… アレク様こそ、何故こちらに?いつもは隊舎に居られるとお聞きしておりますのに。それに、あの、そちらは…」
「ああ、ご存じでしょう。第二騎士団の団長を務めるガイ・ヒューバー。ガイ。確か貴殿は姫とは初めてではない筈だったな」
「…以前、北の離宮でお目にかかった事がございます」
ザッ…
ガイが、その大きな身体を折って膝を付く。ユーリーも慌てて同じ様に膝を付いて頭を垂れた。
「お久しぶりでございます。ミルヴァーナ様…」
ミルヴァーナ姫?
この人が…!
「お二人とも、顔を上げてください。今は正式の場では無いのです。そのように為されると、わたくしのほうが困ってしまいます」
軽やかな、優しい声、思わず見あげてしまったそこに有ったのは、
――――― うわ~~~~… 本物だ…
本物のお姫様って、きっとこういう方を言うんだろう。
アレクも非の打ちどころのない美貌だけれど、この方の面差しは本当に優しげな、昔見たおとぎ話の中のお姫様の様なたおやかな美しさで。
松明の赤みを帯びた光の中に、まるで陽炎のように揺れる金の髪。横に並ぶアレクとは色合いが違うから、日の光りの下ではもっともっと明るい―――― おそらくは正真正銘の金髪なのだと思う。
瞳は確か、青。『スーベニアの蒼玉』とかって言われてなかったっけ…? 御年、芳紀十七。背は、アレクの胸のあたり。
横に並ぶと、まるであつらえた様に収まる一対のカップル…
ツキン…
胸が痛む。
美しい人だと、確かに聞いてはいたけれど。
この人がミルヴァーナ姫。
国王の、年の離れたたった一人の妹君にして――――― あたしの、アレクの、婚約者。
ユーリーみたいな下っ端が、王族にお会いする事なんて有るはずもないから、今まで、どんな人かもわからないままだったけど。
この人が、アレクの婚約者。
……勝てる訳ないよな~… …勝つ気なんて、はなっからないけどさ。
此処まで綺麗な人だとは思ってもみなかった。
ここまで、お似合いだとは思ってなかったよ。
ツキン…ツキン…
小さく小さく、心臓が痛い。
ユーリーには伝わらない、これは、きっとあたしだけの感情。
決して叶わないって解っていても、やっぱり、好きな人の婚約者なんてものを目の当たりにするのは辛い。
届かないよ。
気持ちさえ、届いたりなんかしないのにね。
「―――― アレク。この闇夜だ。やはりお供の方々だけでは不安だろう。姫を送って差し上げろ」
不意に、聞こえてきたガイの声に我に返る。
今一瞬、あたしの意識はユーリーから離れてたみたい。
「…そうだな。では、ガイ。先に行っていてくれるか? すぐに帰るから」
「何を言ってる。折角、姫とお会いしたんだ。送ってそのままってのは婚約者としてどうなんだ? 俺はこのまま自分の隊舎に失礼する。竜酒はまた、次の機会に」
「そうか? …わかった。お言葉に甘えよう」
「いえ!そんな。わたくしは…」
「いえ、是非そうなさってください。…それでは、私はこれで… アレク、坊主を門まで借りるぞ」
「ああ。ユーリー、頼めるか?」
「は、はい!」
「それでは、御前を失礼いたします、姫」
もう一度、深く首を垂れて。
ガイはそのまま、踵を返す。
「さあ、坊主。邪魔ものはさっさと帰るぞ」
それにならって一礼してから、あたしも慌ててガイの後に続いてその場を離れようとする。
――――― あれ…? なにか、変…
何だろう、この感じ…
何か、空気に違和感が有る。
その時、思わず振り返ってしまったのは、ユーリーだったのか、それともあたしだったのか。
松明の灯り。オレンジ色の頼りないその明りの中で、同じ様に振り返ってこちらを見ている人の存在にその時気付く。
闇に揺れる金の髪。その視線の先は――――
――――― え…?
見てはいけないものを見てしまった様な気がして、慌てて前に向き直る。横を歩くガイは、真っ直ぐその眼を正面に向けたまま、早足に歩いて行く。
―――― 変だ… 変だよ…
らしくない。
こんなガイは、絶対にらしくない。
思わず聞こうとして、絶対に聞いてはいけない事だと悟る。
ミルヴァーナ姫が振りかえって見詰めた先。
それは間違いなく、ガイの背中だった。
やっとこさ、更新です…
少し、話が動いたかな…? ええ。動きました。
本当はまとめて一話にするつもりだったのですが、長くなりすぎましたので二分割。これで、こっちの世界の主要な方々は出そろったのでは…と、思います。
読んで頂いてありがとうございます。
次は現実の世界の話。しばらく、あちらにかかりきり…かな? これからもお付き合い頂けると本当に嬉しいです。