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第9話 大和の魔女と、恐怖の面接試験

 長い旅路の末、一行はようやく大和やまとの地へと足を踏み入れた。


 そこは、なぎさが生まれ育った香取の寒村とは、まるで別世界だった。


 整備された広い街道。行き交う人々は色鮮やかな服をまとい、活気に満ちている。遠くには、天を突くような立派な山々が連なり、盆地全体が神聖な空気に包まれていた。


「す、すごいです……。人がゴミのようです……!」


 渚は馬の上で目を回していた。


「渚、その表現は高所から見下ろした時に使うものだ。今は単に『人混みに酔った』と言え」


 白髪皇子しらかのみこが呆れたように訂正する。


「皇子様、ここがこの国の中心なんですね」


「うむ。そしてここが、伏魔殿への入り口だ」


 皇子はニヤリと笑ったが、その目は笑っていなかった。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 一行が最初に訪れたのは、皇子の実家である「泊瀬朝倉宮はつせのあさくらのみや」ではなく、葛城かつらぎにある「角刺宮つのさしのみや」だった。


 ここは、皇子たちの母方の実家であり、現在は皇子の叔母にあたる女性が管理しているという。


「いいか渚。ここには『魔女』が住んでいる。食われないように気をつけろ」


「ま、魔女ですか!?」


 渚が身構えたその時、屋敷の奥からドタドタという足音が響き、一人の女性が飛び出してきた。


「きゃーーーっ! 白髪ちゃーーーん! 生きてたのねーーーっ!」


 ドゴォッ!!


 女性はタックルのような勢いで白髪皇子に抱きついた。


 あまりの勢いに、さしもの皇子も受け止めきれず、二人重なって廊下に倒れ込む。


「ぐえっ……! い、飯豊いいとよ叔母上、相変わらずの瞬発力で……」


「もう! 心配したんだから! 東国で野垂れ死んだって噂が流れてたのよ!」


 女性――飯豊皇女いいとよのひめみこは、皇子の上に乗ったまま頬ずりを始めた。


 見た目は三十路手前くらいの美女だが、そのテンションは女子高生のようだ。


「あら? そっちにいるのは?」


 飯豊皇女は、ようやく渚の存在に気づいたようで、皇子の上から退くと、興味津々といった様子で渚に顔を近づけてきた。


「えっと、はじめまして。香取から参りました、渚と申します」


 渚が緊張して挨拶すると、飯豊皇女は目を輝かせた。


「まあ! あなたが噂の! 白髪が拾ってきたという『愛人』ね!」


「ち、違います! 養女です! ……予定では!」


 渚は全力で否定した。


「あら、つまんない。白髪ったら奥手なんだから。私なんて若い頃はねぇ……」


 飯豊皇女が武勇伝を語り始めようとしたところで、後ろから栲幡皇女たくはたのひめみこが咳払いをした。


「飯豊様。渚に変な話を吹き込まないでください。大体、飯豊様は語れるようなご経験もないでしょう? あんなことは二度と嫌だといつもおっしゃっているではありませんか」


「ぐ……栲幡ちゃん相変わらず痛いところを突くわねぇ。……で? この子をどうするつもり?」


 飯豊皇女の目が、スッと鋭くなった。先ほどまでの陽気な雰囲気とは一転、底知れぬ知性を感じさせる眼差しだ。


大王おおきみに謁見させます。私の養女として」


 栲幡皇女が答えると、飯豊皇女は扇子で口元を隠し、ニヤリと笑った。


「なるほどね。あの大魔王の前に、こんな小鹿のような子を放り込む気? ……面白いわ、協力してあげる」


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 その日から、渚の地獄……いや、花嫁修業ならぬ「皇女修業」が始まった。


 場所は角刺宮の一室。教官は、鬼軍曹こと栲幡皇女である。


「渚! 背筋が曲がっています! 皇族たるもの、いついかなる時も凛としていなければなりません!」


 ビシッ!


 皇女の持った竹の棒が、渚の背中を叩く。


「いっ、痛いですお母様!」


「誰がお母様ですか! 今は『姉上』と呼びなさいと言ったでしょう!」


「キャラ設定がブレてて難しいです!」


 歩き方、座り方、箸の上げ下げから、言葉遣いに至るまで。


 田舎娘の渚にとって、宮中の作法は未知の領域だった。


「いいですか渚。大王様の前で粗相をすれば、即座に首が飛びます。物理的に」


「ひぃっ!?」


「脅しではありません。あの方は、気に入らないことがあるとすぐ『斬れ』とおっしゃる方です。貴女が生き残るためには、完璧な『高貴な娘』を演じきるしかないのです」


 皇女の指導は厳しかったが、それは渚の命を守るための必死の想いからだった。


 一方、白髪皇子は何をしているかといえば。


「いやー、今日の私の輝きも素晴らしいな。大和の空気は肌に合う」


 庭で優雅に茶を飲みながら、渚の特訓を高みの見物である。


「兄上! ちょっとは手伝ってください!」


 栲幡皇女が抗議すると、皇子は涼しい顔で言った。


「私は心のケア担当だ。頑張れ渚、君ならできる。……たぶん」


「たぶんって言いました!?」


 そんな日々が半月ほど続いたある日。


 ついに、その時は来た。


 大王からの呼び出しである。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 泊瀬朝倉宮はつせのあさくらのみや


 大王の住まうその宮殿は、威圧感の塊だった。


 朱塗りの柱、見上げるような高い天井。そして、廊下に立ち並ぶ武装した兵士たち。


 渚は、栲幡皇女によって着付けられた最高級の衣をまとい、ガチガチに震えながら廊下を歩いていた。


「落ち着け、渚。深呼吸だ」


 隣を歩く白髪皇子が小声で囁く。彼もまた、正装に身を包み、いつになく真剣な表情をしていた。


「……もし失敗したら、どうなりますか?」


「私が全力で土下座して、その隙に逃がしてやる」


「皇子様が土下座……それはそれで見たいかも」


 少しだけ緊張が和らいだ。


 大広間の重厚な扉が開かれる。


 一番奥、一段高い場所に設けられた玉座(高御座)に、その男は座っていた。


 雄略天皇ゆうりゃくてんのう。別名、大悪天皇だいあくてんのう


 この国において、最強かつ最恐と謳われる専制君主である。


 渚は息を呑んだ。


 怖い。


 理屈ではない。生物としての本能が、この男には逆らうなと警鐘を鳴らしている。


 白髪皇子をさらに厳つくし、目力を5倍にして、全身から覇気を放出したようなオジサマだった。


「……面を上げよ」


 腹の底に響くような低い声。


 渚はおそるおそる顔を上げた。


 大王の鋭い視線が、渚を射抜く。まるで値踏みをするような、冷徹な目だ。


「白髪よ。これが、例の『拾い物』か」


「はい、父上。香取の地で見出した、稀有な才能の持ち主でございます。名は渚。現在は栲幡の養女として教育を施しております」


 皇子が恭しく答える。


 大王は鼻を鳴らした。


「ふん。栲幡の養女だと? どうせお前の入れ知恵だろう。身分の低い娘を側近くに置くためのカモフラージュか」


 全部お見通しだった。


 大王は渚を睨みつけた。


「香取の舞姫、とかいう二つ名がついているそうだな」


「は、はい……?」


 渚は困惑した。そんな二つ名、今初めて聞いた。おそらく、飯豊皇女あたりが適当に流した噂だろう。


「舞姫と言うからには、さぞ見事な舞を見せてくれるのだろうな?」


 大王がニヤリと笑った。その笑顔は、猛獣が獲物をいたぶる前のそれに似ていた。


「舞え。今ここで」


「えっ」


 渚は絶句した。舞など、特訓の合間に少しかじった程度だ。とても人に見せられるレベルではない。


「どうした? 舞えぬのか? ……舞えぬなら、その首、胴と繋がっている必要はないな」


 大王が傍らの剣に手をかけた。


 本気だ。この人は、本気で斬る気だ。


 渚の心臓が早鐘を打つ。足がすくむ。


 隣で、白髪皇子が動こうとした。彼が庇ってくれれば助かるかもしれない。だが、それでは皇子の立場が悪くなる。


 ――やるしかない……!


 渚は覚悟を決めた。


 ここで逃げれば死ぬ。ならば、踊って死ぬ方がマシだ。


 渚は前に進み出た。


 深呼吸をする。


 思い出すのは、栲幡皇女のスパルタ指導。


 ――渚、舞とは祈りです。神に、あるいは世界に、自分の意志を伝えるための言葉です。


 音楽はない。


 静寂の中で、渚はゆっくりと袖を翻した。


 それは、舞と呼べるほど洗練されたものではなかったかもしれない。


 だが、必死だった。


 生きたい。


 この場所で、皇子たちと共に生きていきたい。


 その想いを込めて、指輪の力を微かに解放する。


 渚の周囲に、小さな光の粒が舞った。理力の視覚効果だ。演出過剰かもしれないが、今は使えるものは何でも使う。


 光をまとい、渚は回った。


 自分を捨てた村への決別。


 広子を失った悲しみ。


 そして、新しい家族への感謝。


 すべての感情を乗せて、渚は舞った。


 やがて、動きを止める。


 静寂が戻った。


 渚は肩で息をしながら、大王を見上げた。


 大王は……無表情だった。


 ただ、じっと渚を見つめている。


 ――だ、だめだった……?


 冷や汗が背中を伝う。


 数秒が、数時間にも感じられた。


 やがて、大王の口元が、わずかに歪んだ。


「……ククッ」


 喉の奥で笑う声。


「ハッハッハッハッ!!」


 大王は膝を叩いて大笑いした。


「面白い! 技は未熟だが、気迫は買う! あのような殺気立った舞は初めて見たわ!」


 渚はへなへなと座り込みそうになった。


「気に入ったぞ、白髪。その娘、お前の嫁にでもしておけ」


「……は?」


 渚は耳を疑った。


 白髪皇子も目を丸くしている。


「父上、それは……」


「文句があるのか? 栲幡の養女ならば、家柄も問題なかろう。それに、その娘の目はいい。俺と同じ、修羅の目をしている」


 大王は愉快そうに言った。


「励めよ。俺を楽しませるような面白い子を産め」


 こうして、恐怖の面接試験は、予想外の結末を迎えた。


 部屋を出た後、渚は廊下でへたり込んだ。


「し、死ぬかと思いました……」


「よくやったぞ、渚!」


 白髪皇子が渚を抱き上げた。


「お前、最高だ! あの父上を笑わせるとは!」


「もう二度とやりたくないです……」


 渚はぐったりと皇子の胸に顔を埋めた。


 とりあえず、首は繋がった。


 そして、なぜか「皇子の婚約者」という既成事実まで出来上がってしまった。


 大和での生活は、前途多難である。


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