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第8話 旅の空と、消えない罪

 諸手の隠れ家を後にした一行は、夜道を急いでいた。


 いよいよ、東国を離れ、大和やまとを目指す旅の始まりだ。


 馬上の渚は、手綱を握る自分の手を見つめていた。


 暗闇の中でも、指輪の冷たい感触だけが鮮明だ。


 香取宮で自分が放った炎。そして、先ほどの館での惨劇。


 目を閉じると、炭化した死体と、広子の遺体、そして血を噴き出して倒れる諸手の姿が交互にフラッシュバックする。


 ――私、人殺しなんだ……


 吐き気がする。


 食欲はない。眠るのも怖い。目を閉じれば、燃え盛る炎の中で助けを求める兵士たちの声が聞こえるような気がした。


「渚、顔色が悪いぞ。餓鬼のようだ」


 隣を並走する白髪皇子が、能天気な声をかけてきた。月明かりに照らされたその横顔は、相変わらず無駄に美しい。


「……放っておいてください」


「そうか。なら、私の美しい顔を見て元気を出せ。拝観料は特別にタダにしてやろう」


「余計に具合が悪くなります」


 いつもの軽口すら、今の渚には鉛のように重かった。


 皇子はふっと息を吐くと、馬を渚に寄せた。


「……広子のことか」


 ズバリと言い当てられ、渚は肩を震わせた。


「……私が、殺したようなものです」


「違うと言ったはずだ」


「でも! 私がもっと強ければ! あるいは、私がこの指輪を使わなければ……!」


 渚の声が湿り気を帯びる。


「あの時、私が炎を使わなければ、広子さんは殺されずに済んだかもしれない。あんなに残酷な殺し方をしなくて済んだかもしれない。私の手が汚れている気がして……洗っても洗っても、血の匂いが消えないんです」


 皇子は何も言わず、ただ前を見ていた。彼自身、多くの血を流してきた人間だ。安易な慰めが逆効果になることを知っているのだろう。


 代わりに、後ろから栲幡皇女が馬を進めてきた。


「渚。自分を責めても、死人は生き返りません」


 皇女の声は厳しかった。だが、そこには彼女なりの、不器用な気遣いがあった。


「広子は、宮家みやけの人間として、その職務を全うしたのです。貴女を守ることが彼女の使命でした。それを『私のせいだ』と嘆くのは、彼女の誇りへの冒涜ですよ」


「……誇り、ですか」


「ええ。それに、貴女が敵を焼かなければ、私たちも全滅していたでしょう。貴女の炎は、私たちを生かしたのです」


 皇女は馬を寄せ、渚の頭に手を置いた。


「罪悪感は消えないでしょう。でも、それに押しつぶされて立ち止まってはいけません。広子が命を賭して守ったその命を、無駄にする気ですか? そんなことをすれば、私が広子に代わって説教しますよ」


 渚は唇を噛んだ。


 厳しい。けれど、温かい。


 この人たちは、こうして幾多の死を乗り越えてきたのだ。


「……わかりました。私、生きます」


 渚は涙を拭った。


「よろしい。……まあ、私も広子の煮物がもう食べられないと思うと、少し寂しいですが」


 皇女がぽつりと言った。その横顔は、月明かりの下で少しだけ滲んで見えた。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 夜が明け、一行は川沿いの開けた場所で休息を取ることにした。


 大和まではまだ日数がかかる。


「腹が減っては戦はできぬ。飯にしよう」


 皇子が号令をかけると、従者の三盾が荷物から携帯食を取り出した。

 干し肉と、「干飯かれいい」と呼ばれるものだった。


 蒸した米を乾燥させた保存食だ。水で戻して食べるのが一般的だが、旅の空ではそのままかじったり、少量の湯でふやかして食べたりする。


「……また、これですか」


 渚がげんなりした顔で、手のひらに乗せられたカチカチの米粒を見つめる。


 行軍の最中、食事はずっとこれだ。味気ないことこの上ない。


「文句を言うな。栄養はある。噛めば噛むほど味が出るぞ。顎も鍛えられて一石二鳥だ」


 皇子は硬い干飯をガリガリと音を立ててかじりながら、川面を見つめた。


 渚も仕方なく口に放り込む。石を噛んでいるようだ。水で流し込み、なんとか空腹を紛らわせる。


「……渚、お前に話がある」


「なんですか? 改まって」


「大和に入ったら、お前には新しい身分が必要になる」


 皇子は真剣な顔で言った。


「身分?」


「ああ。今のままでは、お前はただの『拾われた村娘』だ。それでは、宮中での立場が弱すぎる。今回の黒幕である稚媛のような輩に、真っ先に狙われるぞ」


「……確かに」


 敵は皇族の妃だ。村娘一人を消すことなど、雑草を抜くより簡単だろう。


「それに、私との結婚も認められん」


「け、結婚って突然なんですか! というかお断りです!」


 渚は顔を赤くして反論したが、皇子はスルーした。


「そこでだ。お前を、栲幡の養女にしようと思う」


「ぶっ!!」


 渚と皇女が同時に、口に含んだ水を噴き出した。


「ちょっと待ってください兄上! 私、まだ独身ですよ!? なんでいきなり自分と歳も近い娘を持たなきゃいけないんですか! 私の青春はどうなるんですか!」


 皇女が猛抗議する。顔を真っ赤にして怒る姿は、先ほどの冷静な武人とは別人のようだ。


「戸籍上の話だ。それに、お前なら渚のしつけ係として適任だろう? スパルタ教育はお手の物だしな」


「しつけ係と母親は違います! 私の婚期が遠のくじゃないですか! ただでさえ『氷の皇女』とか陰口を叩かれているのに!」


「それに、渚。あなたも嫌でしょう? こんな口うるさい女が母親なんて」


 皇女が渚に同意を求める。


「いえ、それは別に……皇女様は綺麗ですし、頼りになりますから」


「あら、そう? ……まあ、渚がどうしてもと言うなら、考えてあげなくもありませんけど」


 皇女が満更でもない顔をした。チョロい。


「ですが皇子様、養女になったら、私は皇子様のめいってことになりますよね? 結婚できなくなりませんか?」


「我らのような高貴な血族では、近しき者同士の婚姻など珍しくもない。むしろ血の純潔を守るためには推奨されることだ。私の愛は法や血縁をも超越するのだ」


「倫理観が独特すぎる!」


 渚は頭を抱えた。この人たちはどこまで本気なのか分からない。


 だが、皇子の目は真剣だった。


「渚。大和は、香取とは違う。煌びやかな宮殿の裏で、陰謀と裏切りが渦巻く伏魔殿だ。今回の黒幕・稚媛のような輩がうようよしている。お前を守るためには、盤石な後ろ盾が必要なのだ」


 皇子は渚の手を取り、指輪に触れた。


「この指輪の力も、大和では隠しておけ。切り札は最後まで見せないものだ。お前はただの、病弱で可憐な『栲幡の養女』を演じろ。能ある鷹は爪を隠すというだろう?」


「……はい、わかりました」


 渚は頷いた。


 この変な皇子は、いつもふざけているようで、誰よりも渚のことを考えてくれている。


 広子の死で負った心の傷は、まだ癒えない。


 けれど、一人ではない。


「よし、話はまとまったな! では栲幡、今日からママになる練習だ。渚、これからは栲幡をママと呼ぶんだぞ」


「ママ」


「誰がママですか! せめて姉上と呼びなさい、姉上と!」


「じゃあ私は、お義兄様おにいさまか? 禁断の響きだな」


「気持ち悪いです、兄上!」


 騒がしいやり取りを見ながら、渚は小さく笑った。


 久しぶりに、心から笑えた気がした。


 川の水面が朝日でキラキラと輝いている。


 その光の先には、まだ見ぬ都、大和が待っている。


 そこには、どんな運命が待ち受けているのだろうか。


 不安はある。恐怖もある。


 でも、この人たちとなら、きっと乗り越えられる。


 渚は硬い干飯を一口かじった。


 やっぱり味気なかったけれど、生きている味がした。


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