表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31

第7話 隠れ家の宴と、毒入りの酒

 香取宮が紅蓮の炎に包まれ、その歴史に幕を下ろしてから数日が経過した。


 白髪皇子しらかのみこの一行は、すぐに大和やまとへの帰路につくのではなく、香取の山中深くへと足を踏み入れていた。


 目的は「掃除」である。


 香取の乱を引き起こした張本人であり、戦況が不利になるや否や真っ先に逃げ出した卑怯者、豪族・杖部諸手はせべのいで。彼が近隣の山奥にある別邸――通称「隠れ砦」に潜伏しているという情報を、皇子の従者たちが掴んだからだ。


「……で、皇子様。なんで私たちは今、その敵の隠れ家のど真ん中で、こんな豪華な食事を前にしているんですか?」


 なぎさは、目の前に並べられた豪勢な山海の珍味を見つめながら、ひきつった笑みを浮かべていた。


 場所は、断崖絶壁の上に建つ堅牢な館。


 通された広間には、香取の山奥とは思えないほど贅沢な調度品が並び、高価な絹の敷物が敷かれている。


 その上座には、脂ぎった笑顔を浮かべる初老の男――杖部諸手が座っていた。


「いやぁ、白髪皇子様! ご無事で何よりです! まさか私の部下が暴走して、あのような不始末をしでかすとは……。魔が差したとはいえ、皇子様に弓引くなどとんでもない。こうして詫びの宴を設けさせていただきました!」


 諸手は揉み手をしながら、卑屈な笑みを浮かべている。その額には玉のような脂汗が滲み、目は泳いでいた。


 渚は小声で隣の皇子に囁いた。


「皇子様、こいつ絶対クロですよね? 『部下の暴走』って言い訳、苦しすぎませんか?」


 隣に座る白髪皇子は、優雅に扇子を仰いだ。その態度は、敵陣にいるとは思えないほどリラックスしている。


「フッ、渚よ。私の美しさは罪深き者をも改心させるのだよ。それに、逃げ回る鼠を山狩りで追いかけるより、向こうから『ごめんなさい』と顔を出したところを叩く方が楽だろう?」


「合理的ですけど、リスク管理どうなってるんですか! 毒とか盛られたらどうするんです!」


 反対隣の栲幡皇女たくはたのひめみこも、涼しい顔で茶を啜っている。


「ご安心を、渚。この館の周囲には、すでに三盾みたて率いる精鋭たちが伏せています。私の合図一つで制圧可能です」


「いつの間に……準備万端でしたか」


 この兄妹、抜けているようで締めるところは締めるからたちが悪い。


 諸手は、そんな皇子たちのひそひそ話が聞こえていないのか、あるいは聞こえないふりをしているのか、大げさに手を叩いた。


「さあさあ、積もる話もございましょうが、まずは乾杯といきましょう! 我が領土自慢の特製醴あまざけです。甘くて口当たりが良いと評判でしてな、皇子様のために特別に仕込ませたのです」


 諸手の合図で戸が静かに開いた。


 一人の女性が、盆に載せた朱塗りのさかずきを持って現れた。


 うつむき加減の女性は、小刻みに震える手で、皇子の前に盃を置く。


「……どうぞ、お召し上がりください」


 女性の声は細く、顔色は死人のように青白い。額には脂汗が滲み、呼吸が浅い。


 渚は直感した。


 ――あ、これ毒入ってるやつだ。


 あまりにも分かりやすすぎる。


 白髪皇子はニッコリと微笑んだ。


「ほう、芳醇な香りだ。美味そうな酒ではないか」


「そ、そうでしょう! さあ、どうぞグイッと!」


 諸手が身を乗り出す。


 皇子は盃を手に取った。そして、口元へ運ぶ――と見せかけて、ピタリと止めた。


「だが、私は下々の人間を重んじる主義でね」


 皇子はくるりと盃の向きを変えると、それを運んできた女性に差し出した。


「お前が先に飲むといい。美しい女性に酌をさせるだけでは、私の道徳に反する。これは毒見……ではなく、感謝の印だ」


「えっ……い、いえ! 滅相もございません! 皇子様の盃に口をつけるなど、そのような無礼は……!」


 女性は激しく首を振った。その反応は、謙遜というよりは、明確な恐怖そのものだった。


「遠慮するな。私の愛だ」


「ひっ……!」


 皇子の笑顔が、氷点下の冷たさを帯びる。その青い瞳の奥に、絶対零度の光が宿った。


 諸手の顔から、サーッと血の気が引いていくのが見えた。


「ど、どうされましたかな皇子様? 酒がお気に召しませんか? 女などに飲ませずとも……」


「いやいや、気に入ったとも。だからこそ、皆で分かち合いたいのだ」


 皇子は立ち上がると、盃を持って諸手の方へ、ゆっくりと歩み寄った。


 その足取りは優雅だが、圧力が凄まじい。


「諸手、お前が飲め」


「は、はあ!?」


「私の無事を祝ってくれるのだろう? なら、この酒で乾杯しようではないか。ほら、口を開けろ」


 皇子は無理やり諸手の口に盃を押し付けた。


「お、おやめください! 私は酒が飲めぬ体質で……!」


「嘘をつけ。先月、私の屋敷に来たときは樽ごと飲んでいたではないか。……それとも何か? この酒には、飲めない『何か』が入っているのか?」


「……ッ!」


 皇子の言葉が、鋭い刃となって諸手を追い詰める。


 その瞬間、諸手の表情が崩れた。


 貼り付けていた愛想笑いが剥がれ落ち、醜悪な本性が露わになる。


「……っ、ば、バレたなら仕方ねぇ! やれ! 殺せ!!」


 諸手が絶叫した。


 同時に、四方の戸が勢いよく開け放たれ、隠れていた武装兵たちがなだれ込んでくる。その数、およそ二十。狭い広間は一瞬で殺気立った戦場と化した。


「やっぱり罠かーッ!」


 渚が叫ぶと同時に、栲幡皇女が懐に隠し持っていた短剣を抜き放った。


「渚、私の後ろへ!」


 皇女が渚を庇うように立つ。

 だが、一番冷静だったのは、やはりこの男だった。


「興醒めだな。せっかくの料理が冷める」


 皇子は持っていた盃を、諸手の顔面に全力で投げつけた。


「ぐあぁっ!」


 液体が目に入り、諸手がのけぞる。


 次の瞬間、皇子の右手がカッと光った。


 理力の発動。


 皇子の手元にあった机――分厚い一枚板の重厚な卓が、見えない巨人に蹴り上げられたかのように宙を舞った。


 ドォォォン!!


 高速回転する机が、襲いかかってきた兵士たちを薙ぎ倒していく。


「ぐげぇっ!」


「な、なんだこの威力は!?」


 兵士たちが宙を舞い、壁に激突する。


「うむ、良い芸ではないか」


 皇子は満足げに呟くと、腰の剣を抜いた。その剣身が、理力の光を帯びて青白く輝く。


「さて、諸手よ。お説教の時間だ」


 諸手は腰を抜かして後ずさった。


 自慢の兵士たちは、机一枚によって壊滅状態だ。


「ひ、ひぃぃ! 助けてくれ! ち、違うんだ! 俺はただ命令されただけで……!」


「命令? 誰にだ」


 皇子が眉をひそめ、剣先を諸手の鼻先に突きつける。


「あ、あれは、あれは大和の『稚媛わかひめ』様の命令で……!」


「稚媛? どこの稚媛だそれは」


吉備稚媛きびのわかひめ様だ……大王のお妃の一人の……!」


 皇女が兵士をいなしながら、冷静に分析をはじめる。


「……なるほど、やはり黒幕は中央にいましたか。地方豪族ごときが単独で皇子暗殺を企てるには、少々荷が重いと思っていましたが……ここで諸手を捕らえて証言させれば、大和での切り札になりますね」


「そらもそうだな……おい諸手、大和へ来てもらうぞ」


「待て待て待て! 全部話す! 証言もする! だから命だけは……!」


 諸手は額を床に擦り付けて命乞いをした。


 だが、その背後で、先ほどの給仕の女性が懐から短剣を抜いていた。


 彼女の目は、恐怖ではなく、狂信的な光を宿していた。


「裏切り者には死を!」


「ぬ?」


 皇子が気づいた時には、遅かった。


 女性は皇子ではなく、諸手に襲いかかった。


 ザシュッ!


 短剣が諸手の首筋を深々と切り裂く。


「が……っ」


 諸手は血飛沫を上げて倒れた。目は見開かれたまま、何が起きたのか理解できていないようだった。


「なっ……!?」


 渚は息を呑んだ。


 女性は返り血を浴びたまま、狂ったように笑った。


「あはは! これで任務完了……稚媛様、万歳……!」


 彼女はそのまま、躊躇なく自らの喉に短剣を突き立てた。


 ドサリ。


 二つの死体が重なり合う。


 静寂が訪れる。


 残されたのは、血の海と、豪華な料理の残骸だけ。


「……おいおい」


 皇子は剣を納め、冷めた目で見下ろした。


「口封じか。稚媛は随分と用意周到なことだ。自分の配下すら信用せず、監視役をつけていたとはな」


 渚は震えながら、その光景を見ていた。


 これが、権力争い。


 失敗すれば死。裏切っても死。成功しても、口封じで死ぬかもしれない。


 自分が足を踏み入れた世界は、想像以上にドロドロとしていて、救いようがない。


 外から、三盾たちが突入してくる音が聞こえた。館の制圧は終わったようだ。


「行くぞ、渚」


 皇子の声に、ハッと顔を上げる。


「ここでの用事は済んだ。……次は大和だ。喧嘩を売ってきた相手に、挨拶に行かねばならんな」


 皇子は自嘲気味に笑った。


 館の外に出ると、東国の空には不気味なほど赤い月が浮かんでいた。


 ここから大和への旅路は長い。そしてその道は、血で舗装されているのかもしれない。渚は身震いしながら、皇子の背中を追った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくださってありがとうございます!
良かったらブックマーク・ポイントで応援していただけると嬉しいです!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ