表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/29

第4話 血塗れの指輪と不穏な影

「……ひどい血ですね」


 渚がおずおずと言うと、白髪皇子は自分の鎧を見下ろし、「おっと」と肩をすくめた。


「汚いところを見せたな。心配するな、これは私の血ではない。賊の血だ」


 皇子は事もなげに言った。まるで服に泥が跳ねた、とでも言うように。


「賊……ですか?」


「ああ。近くの村で略奪を働いていた不届き者がいてな。少しばかり『お説教』をしてきた」


 後ろに控える従者の三盾みたてが、疲れた顔で補足した。


「皇子様のお説教は物理的すぎるのです。素手で兜を叩き割るのはやめてください。後片付けが大変なんですから」


「仕方あるまい。言葉で分からぬ獣には、拳で語るしかない」


 皇子は兜を脱ぎ、従者に渡した。その顔には、人を殺めたことへの躊躇いや苦悩の色は微塵もなかった。


 渚は背筋が寒くなるのを感じた。


 この人は優しい。自分のような捨て子を拾い、病を治し、家族として迎えてくれた。


 だが同時に、敵とみなした相手には容赦がない。その二面性が、渚にはまだ受け止めきれなかった。


「あ、そうだ。渚、手を出せ」


「え? はい」


 言われるままに両手を差し出すと、皇子は懐から何かを取り出し、渚の手のひらに落とした。


 チャリ、と硬質な音がした。


 それは、血に汚れた金色の指輪だった。


「ひっ……!」


 渚は思わず手を引っ込めそうになったが、皇子がそれを許さなかった。


「受け取れ。戦利品だ」


「せ、戦利品って……これ、死んだ人の……」


「そうだ。賊の中に『指輪持ち』がいてな。なかなか威勢が良かったが、私が斬った」


 皇子の声は淡々としていた。


「指輪持ち……皇子様と同じ、不思議な術を使う人ですか?」


「うむ。本来、指輪は大王家おおきみけに連なる者、あるいは特別な許可を得た高位の豪族しか持てぬものだ。だが最近は、どこからか流出し、野盗ごときが持っていることもある」


 皇子は指輪を指差し、続けた。


「それは本物だ。おそらく、どこかの遺跡から掘り出したか、高貴な人間を殺して奪ったものだろう。……まあ、持ち主は死んだ。今は私のものだ。そして、お前にやる」


「い、いりません! 呪われそうです!」


「馬鹿者。これはお前が生きていくために必要なものだ」


 皇子の表情が真剣なものに変わった。


「私の治療だけでは、いつか限界が来る。私が遠征で長く留守にすることもあるだろう。その時、病状が重くなったらどうする? 死ぬぞ」


 渚は言葉に詰まった。


「この指輪があれば、お前自身で理力を使い、病を抑え込むことができるようになる。……まあ、使いこなすにはセンスが必要だがな」


 皇子はニッと笑い、渚の手に指輪を握らせた。


「広子、その指輪を洗って清めてやってくれ。あと、塩もな」


「かしこまりました。……渚様、おめでとうございます。これで晴れて皇子様とおそろいの指輪ですねぇ」


 広子が茶化すが、渚には笑う余裕がなかった。


 手の中にある冷たい金属の塊が、ずしりと重く感じられた。


 これは、誰かの命と引き換えに手に入ったものだ。それを身につけるということは、皇子と同じ「血の世界」に足を踏み入れることのような気がした。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 その夜、渚は広子に手伝ってもらい、指輪の泥と血を洗い落とした。


 磨き上げられた指輪は、皇子のものとよく似た、美しい輝きを放っていた。


 試しに指にはめてみる。ぶかぶかだったが、親指ならなんとか引っかかった。


「……何も起きませんね」


「最初はそんなものです」


 様子を見に来た栲幡皇女が言った。彼女は松葉杖をついていた。昼間の訓練で足を挫いたらしい。


「兄上のように、はめた瞬間から爆発を起こすような人は異常なのです。凡人は、まず指輪の声を聞くところから始めなければなりません」


「指輪の声?」


「ええ。理力とは、世界との対話です。指輪はその翻訳機のようなもの。……まあ、渚に才能があるかどうかは分かりませんが」


 皇女は厳しい顔で渚を見つめた。


「渚。その指輪を持つということは、ただの居候ではいられないということです。戦う力を持つ者は、戦う義務を負う。その覚悟はありますか?」


「……戦うなんて、私には」


「今はなくても、いずれ必要になります。この国は今、荒れていますから」


 皇女の言葉は予言のように重く響いた。


 北の蝦夷だけでなく、西の豪族たちも不穏な動きを見せているという噂は、渚の耳にも届いていた。


「兄上は、強くあろうとしています。でも、お一人では限界がある。……もし渚が理力を使いこなせるようになれば、兄上の助けになるかもしれません」


 皇女は少しだけ寂しそうな顔をした。


「私は弓は引けますが、指輪の適性は低いのです。兄上の隣に立つには、力が足りない」


 いつも兄を怒鳴りつけている強い皇女の、ふと見せた弱気な一面。


 渚は指輪を握りしめた。


 あの変な皇子。自分を拾ってくれた命の恩人。


 彼が血にまみれて戦っている時、自分はただ守られているだけでいいのだろうか。


「……やってみます。私、役に立ちたいです」


 渚の言葉に、皇女はふっと表情を緩めた。


「そうですか。なら、明日から特訓ですね。兄上流の『愛のスパルタ指導』ではなく、私がきっちり基礎から叩き込みます」


「え、お手柔らかにお願いします……」


「戦場に手加減はありませんよ?」


 皇女の目が怪しく光った気がした。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 翌日から、渚の地獄の特訓が始まった。


 まずは「瞑想」である。指輪をはめ、精神を統一し、体の中の理力を感じる訓練だ。


「雑念が多い! もっと無になりなさい!」


 皇女のハリセン(硬い麻布をまとめて作ったもの)が渚の頭を叩く。


「無になれと言われても、お腹が空いて……」


「煩悩の塊ですね。滝に打たれますか?」


「死んじゃいます!」


 そんなやり取りを繰り返すこと数日。


 ある日の夕暮れ。


 渚が指輪に意識を集中していると、ふと、指先が熱くなる感覚があった。


 皇子に治療された時のような、焼けるような熱さではない。もっと優しい、じんわりとした温かさ。


「……あ」


 渚の目の前で、枯れかけた野花が、ふわりと頭をもたげた。


 茶色くなっていた葉が緑を取り戻し、萎れていた花弁が瑞々しく開く。


「こ、これ……私がやったんですか?」


「ほう」


 見ていた皇女が感心したように声を上げた。


「『治癒』の適性があるようですね。それも、植物を蘇らせるほどとは。兄上は破壊と強化専門ですから、これは貴重ですよ」


「私、怪我を治す『薬師くすし』様になれるってことですか!?」


「薬師? まあ、似たようなものでしょう。人を癒やす力なら、戦場でも重宝されます」


 渚は嬉しくなった。これなら、人を傷つけずに、皇子の役に立てるかもしれない。


 だが、そのささやかな希望は、すぐに打ち砕かれることとなる。


 カンカンカンカンッ!


 またしても、警鐘が鳴り響いた。


 今度は、前回のような小規模な襲撃ではない。


 地響きのような音が近づいてくる。


 数百、いや数千の軍勢が、香取宮を取り囲もうとしていた。


「栲幡はいるか」


 武装した白髪皇子が、部屋に入ってきた。その顔には、いつものふざけた笑みはなかった。


「渚、広子。身を隠す準備をしろ。……今回は、遊びではないぞ。栲幡は私に続け」


 香取宮の運命を決める、「香取の乱」の幕開けだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくださってありがとうございます!
良かったらブックマーク・ポイントで応援していただけると嬉しいです!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ