第3話 灼熱の治療と、皇子の秘密
香取宮での生活は、驚きとツッコミの連続だった。
渚が「拾われて」から十日が過ぎた。
あばら家で死にかけていたのが嘘のように、渚の体調は安定していた。それもこれも、白髪皇子による「理力」の治療のおかげである。
ただし、この治療には大きな欠点があった。
「――熱っ! 熱いです皇子様! 焦げます! 私が焼き魚になっちゃいます!」
「我慢しろ。毒を焼いているのだ。火加減は弱火にしているつもりだが、私の愛の炎が強すぎるのかもしれん」
「愛とかいいから火力を絞ってください!」
渚の絶叫が、早朝の香取宮に響き渡る。
毎朝の日課となったこの施術は、渚にとって拷問に近い。皇子が指輪をはめた手をかざすと、体内の黒痣病の因子が反応し、焼けるような熱を発するのだ。
「よし、今日はこのくらいにしておこう」
皇子が手を離すと、渚は汗だくになって寝台に突っ伏した。
「……はぁ、はぁ。殺す気ですか」
「人聞きが悪い。生かすためにやっているのだ」
皇子は涼しい顔で、侍女が持ってきた水を渚に手渡した。
「そもそも、その『理力』って何なんですか?」
水を一気飲みして人心地ついた渚は、忌々しげに皇子の右手の指輪を睨んだ。
黄金の指輪。そこには複雑な紋様が刻まれており、見ているだけで吸い込まれそうな不思議な輝きを放っている。
「ふむ。知りたいか?」
皇子は勿体ぶって、髪をファサッとかき上げた。逆光で髪が輝き、無駄に神々しい。
「理力とは、世界にあまねく満ちる『理』を操る力だ。火を起こし、水を操り、体を強化し、そして癒やす。神の御業に近い」
「まるで、お伽話に出てくる仙人様の術みたいですね」
「仙人などという浮世離れしたものと一緒にするな。もっと高尚な……そう、天地自然の真理だ」
「話が大きすぎて分かりません」
皇子は苦笑すると、自身の白い肌を指差した。
「私は生まれつき、色素が薄い。太陽の下に出れば肌が焼け爛れ、目も弱い。本来なら、幼いうちに死んでいた体だ。白髪という名前もこの特徴から父に付けられたものだ」
渚はハッとした。
確かに、この皇子は白すぎる。髪も肌も、透き通るような白磁の色だ。美しいが、それはどこか儚さを伴う美しさだった。
「だが、この指輪と理力が私を生かした。常に肌の表面に薄い『膜』を張り、陽光を遮断することで、私はこうして外を歩ける。お前の治療も同じ理屈だ。理力で強引に体の機能を補正し、病の進行を食い止めている」
皇子は慈しむように指輪を撫でた。
「だから、お前は私と同じなのだよ、渚。この力がなければ生きられぬ、欠けた器だ」
「……欠けた、器」
「悲観することはない。欠けているなら、埋めればいい。私が生きている限り、お前のその穴は私が埋めてやる」
皇子はニカッと笑った。その笑顔は、太陽よりも眩しく、そして少しだけ寂しそうに見えた。
渚は胸がトクンと鳴るのを感じた。
変人で、ナルシストで、暑苦しい人だが、この人は誰よりも「生きること」に執着し、そして他者を生かそうとしている。
「……ありがとうございます。でも、火加減はどうにかしてください」
「努力する」
そんな穏やかなやり取りをぶち壊すように、ドカドカと足音が近づいてきた。
「兄上! またそんなところで油を売って!」
戸が勢いよく開け放たれ、鬼の形相の栲幡皇女が現れた。
「今日は近隣の村長たちとの会合でしょう! さっさと着替えてください!」
「やあ、栲幡。今日の怒り顔も凛々しいね」
「世辞は結構です! ほら、行きますよ!」
皇女は兄の襟首を掴むと、ずるずると引きずっていった。
「あ、渚。あとはゆっくり休んでいなさい。……それと、洗濯物は溜めないように」
去り際にしっかり小言を残していくあたり、さすがは栲幡皇女である。
嵐が去った部屋で、渚は一人、自分の手のひらを見つめた。
黒い痣は薄くなっている。
生きている。
捨てられ、死ぬはずだった命が、あの不思議な皇子によって繋ぎ止められている。
「……変な人」
渚は小さく呟き、そして少しだけ笑った。
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その日の午後、渚はリハビリを兼ねて屋敷の庭を歩いていた。
香取宮の敷地は意外と広い。建物自体は質素だが、敷地内には厩や鍛冶場、そして兵士たちの詰め所まである。ちょっとした要塞のようだ。
庭の隅で、一人の女性が洗濯物を干していた。
年齢は四十くらいだろうか。ふくよかで、見るからに人の良さそうな女性だ。
「あら、渚様。もう歩いても平気なのですか?」
女性は渚に気づくと、人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。
「あ、はい。おかげさまで」
「良かったわぁ。最初に連れてこられた時は、もうダメかと思ったもの。皇子様が死体を拾ってきたのかと思って、腰を抜かしそうになりましたよ」
ケラケラと笑うこの女性は、広子という。香取宮の家事全般を取り仕切る古株の侍女だ。
「広子さん、敬語じゃなくていいですよ。私なんてただの居候ですし」
「あら、そうはいきませんよ。皇子様が『家族』だとおっしゃったのですから。それに……」
広子は声を潜め、ニヤニヤしながら渚の顔を覗き込んだ。
「もしかしたら、将来の『お妃様』になるかもしれませんしねぇ?」
「ぶっ!」
渚は噴き出した。
「な、ないないない! 絶対ないです! あんな変な人!」
「おや、そうですか? 皇子様は確かに少々……いえ、かなり変わり者ですが、お顔はよろしいですし、何よりお優しいですよ。拾ってきた犬猫にも名前をつけて、毎日話しかけてますから」
「犬猫と同列……」
「渚様を見る目も、その犬猫を見る目と同じくらい慈愛に満ちてますよ」
「全然嬉しくないです!」
広子は楽しそうに笑った。
「まあ、冗談はさておき。ここでの生活には慣れましたか?」
「はい、なんとか。……栲幡皇女様が怖いですけど」
「あの方も根はお優しいのですよ。ただ、皇子様がアレなもので、苦労が絶えないのです。昔はもっと素直で可愛らしい姫様だったのですが……今ではすっかり小姑ですね」
広子は懐かしそうに目を細めた。
この屋敷の人々は、皆どこか温かい。皇族という雲の上の存在なのに、土の匂いがするような親しみやすさがある。
渚は、捨てられた村のことを思い出した。自分を厄介払いした村人たち。
ここには、自分を必要としてくれる(少なくとも、洗濯係やツッコミ役として)人たちがいる。
「……広子さん。私、ここで役に立ちたいです」
「あらあら。十分お役に立ってますよ。皇子様の奇行を止める役目は、渚様にしかできませんから」
その時、屋敷の入り口が騒がしくなった。
遠征に出ていた兵たちが戻ってきたようだ。
「おや、皇子様がお戻りのようですね」
広子と一緒に門の方へ向かうと、そこには白馬に跨った白髪皇子の姿があった。
だが、その姿を見て、渚は息を呑んだ。
皇子の白い鎧が、どす黒く汚れていたからだ。
返り血だ。
皇子は馬から降りると、出迎えた渚を見て、いつものようにニカッと笑った。
「やあ、渚。いい子にしていたか?」
その笑顔は爽やかだったが、頬には一筋の血がこびりついていた。
渚は初めて、この人が「皇子」であり、同時に「武人」であることを実感した。
平和な日常の裏側には、常に血生臭い戦いがあるのだということを。




