第27話 灰の王冠と、白髪の帝
大蔵の爆発から一夜が明けた。
大和の空は、突き抜けるような青空だった。昨日の嵐と惨劇が嘘のように、穏やかな光が降り注いでいる。
だが、地上には深い爪痕が残されていた。
王権の象徴であった大蔵は消滅し、巨大な窪みだけが黒々と口を開けている。
その縁に、白髪皇子は立っていた。
白銀の鎧は煤で汚れ、緋色の袴はあちこちが焦げている。
彼は無言で、弟と義母が消えた虚空を見つめていた。
「……何も、残らなかったか」
皇子がポツリと呟く。
遺体はおろか、遺品の一つも見つからなかった。古の魔剣が放ったエネルギーは、物質だけでなく、そこにいた痕跡さえも彼方へ消し去ってしまったようだ。
「皇子様」
後ろから、渚がそっと歩み寄った。
彼女もまた、煤だらけの顔をしている。だが、その瞳は皇子を気遣う優しさに満ちていた。
「お休みください。……お顔色が優れません」
「大丈夫だ。……まだ、やるべきことが残っている」
皇子は気丈に振る舞ったが、その足元は微かにふらついていた。
そこへ、飯豊皇女が大股で歩いてきた。
「白髪。……いえ、これからは大王とお呼びすべきかしらね」
飯豊は、いつもの豪快な笑みを消し、神妙な面持ちで言った。
「残党狩りは順調よ。新羅の連中は蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ったわ。日和見をしていた豪族たちも、手のひらを返して擦り寄ってきている」
「……叔母上。事後処理は任せてもよろしいですか」
「ええ、泥仕事は私が引き受けるわ。アンタは『王』として、座るべき場所に座りなさい」
飯豊は皇子の肩に手を置いた。
「……辛いでしょうけど、しっかりなさい。生き残った者の義務よ」
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数日後。大極殿。
煤払いが済んだ広間に、百官が集められた。
空気は張り詰めている。
星川皇子側に付いていた貴族たちは、粛清を恐れてガタガタと震え、勝ち馬に乗った者たちは誇らしげに胸を張っている。
その中央を、白髪皇子が歩いてくる。
清廉な白の祭服。頭には冠。
玉座の前に立つと、彼は静かに振り返り、群臣を見下ろした。
その瞳には、かつての「お調子者」の面影はない。悲しみを乗り越え、すべてを背負う覚悟を決めた、冷徹なまでの威厳が宿っていた。
「聞け」
静かな声が、広間の隅々まで響き渡る。
「此度の戦乱。……その責は、すべて吉備稚媛と、新羅の干渉にある」
皇子は断言した。
「星川皇子は、母の野心と異国の魔術に操られた、哀れな被害者である。よって、星川を逆賊とはなさず、皇族としての礼をもって弔うこととする」
ざわめきが広がる。
勝者が敗者を「逆賊」として断罪し、一族郎党を根絶やしにするのが世の習いだ。それを、被害者として扱い、名誉を守るというのか。
「へ、陛下! それはあまりに温情が過ぎます!」
一人の貴族が声を上げた。
「星川は軍を動かし、大蔵を破壊したのですぞ! これを許しては示しが……」
「黙れ」
皇子の一喝が飛んだ。
理力を纏ったその声に、貴族は腰を抜かして平伏した。
「弟は、最期に自らの命を賭して、都を崩壊から救った。……その真実を知る者は私だけでいい。だが、死者に鞭打つことは、この私が許さぬ」
皇子の目には、誰も寄せ付けない気迫があった。
「そして、もう一つ。……亡き栲幡皇女の名誉回復を行う」
皇子は懐から、焼け焦げた木簡の束を取り出した。
これは、飯豊皇女が押収した、朝日郎邸の隠し文書だ。
「ここには、稚媛と朝日郎が結託し、栲幡を陥れるために恋文を捏造した証拠が記されている。……私の妹は、無実だ」
皇子の声が、わずかに震えた。
「彼女は、誰よりもこの国を愛し、守ろうとして散った。……その汚名を雪ぐことこそが、私の最初の政である」
群臣たちは、一斉に平伏した。
誰一人、異論を唱える者はいなかった。
その姿に、彼らは見たのだ。
慈悲と厳しさ、そして深い愛を併せ持つ、真の王の姿を。
「清寧天皇陛下、万歳! 万歳!」
歓呼の声が湧き上がる。
だが、玉座の上の皇子は、微かに微笑むだけで、その顔色は蝋人形のように白かった。
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儀式が終わった後の控えの間。
人払いを済ませた部屋で、白髪皇子は椅子に崩れ落ちた。
「陛下!」
控えていた渚が駆け寄る。
皇子の呼吸は浅く、額には脂汗が滲んでいる。
「……大丈夫だ。少し、目眩がしただけだ」
「嘘です」
渚は皇子の手首を掴み、脈を診た。
トク……トク……
弱く、不規則なリズム。
まるで、燃え尽きる寸前の蝋燭の炎のように頼りない。
「やはり……大蔵での無理が……」
渚の顔が歪む。
あの時、皇子は弟を救うために、自身の許容量を遥かに超える理力を行使した。
元々、生まれつき体が弱く、理力で生命活動を補っていた皇子だ。魂の器とも言える肉体に、決定的な亀裂が入ってしまったのだ。
「渚」
皇子が、弱々しく笑って渚の頬に触れた。その手は冷たい。
「私の体は、私が一番よく知っている。……器が、壊れたのだ」
「治します! 秦氏の薬草も、私の理力もあります! どんな手を使っても……!」
「無駄だ。これは寿命だ」
皇子は静かに首を横に振った。
「……長くはない。一年か、あるいはもっと短いか」
「そんな……嫌です、置いていかないで……!」
渚は皇子の膝にすがりつき、涙を流した。
ようやく戦いが終わったのに。
これから平和な世界を生きていけると思ったのに。
運命は、どこまで残酷なのか。
「泣かないでくれ、渚。……私は、幸せなんだ」
皇子は渚の髪を撫でた。
「星川と栲幡の想いを継いで、王になれた。そして何より……最期の時間を、君と共に過ごせる」
皇子は渚の手を取り、そこに口づけを落とした。
「残された命のすべてを、この国の復興と、君への愛に捧げよう。……だから、そばにいてくれないか」
それは、死への宣告であり、同時に永遠の愛の誓いだった。
渚は涙を拭い、顔を上げた。
泣いていてはいけない。
この人は、命を削って王座に座り続けるのだ。ならば、私はその光が消える瞬間まで、支え続けなければならない。
「……はい」
渚は力強く頷いた。
「私は、貴方様の妃です。……貴方様の命の炎が消えるその時まで、片時も離れません」
窓の外では、夕陽が沈もうとしていた。
赤く染まる都の空。
復興の槌音が聞こえ始めている。
新しい時代が始まった。
それは、「清寧天皇」と呼ばれる、優しくも儚い王が治める、束の間の、しかし美しい平和の時代の幕開けだった。




