第25話 古の魔剣、暴走
大蔵の中心部にある宝物庫が、地獄の釜と化していた。
天井は吹き飛び、剥き出しになった空には、不気味な赤黒い渦が巻いている。
その直下、瓦礫の山の上に、異形の存在が立っていた。
かつて星川皇子と呼ばれた青年である。
だが、その美しい容貌は見る影もない。
右手には、枝分かれした七つの刃を持つ剣――「七支刀」が握りしめられている。いや、握っているのではない。剣から伸びた黒い血管のような触手が、星川の右腕に食い込み、肉体と融合しているのだ。
全身から噴き出す赤黒いオーラは、物理的な質量を持って周囲の空間を歪ませている。
「ア……ガァァァァッ!!」
星川の口から、人のものとは思えない咆哮がほとばしる。
それは威嚇の声ではない。魂が焼かれる苦痛の絶叫だった。
「素晴らしい! 見てごらんなさい、白髪! これが古から伝わる王の秘宝よ!」
瓦礫の陰で、吉備稚媛が狂喜乱舞していた。
彼女は息子の苦しみなど意に介さず、ただその破壊力に酔いしれていた。
「さあ星川、やりなさい! この国を焼き尽くし、更地にするのよ! 私の理想郷を作るために!」
白髪皇子は、歯を食いしばってその光景を睨みつけていた。
その瞳には、怒りと悲しみの炎が燃えている。
「……稚媛ッ! 貴様は、それでも人の親か!」
皇子が叫ぶが、声は暴風にかき消される。
星川が七支刀を振るった。
ブンッ!
剣圧だけでカマイタチが発生し、周囲の壁が豆腐のように切り裂かれる。
「危ない!」
皇子が渚を抱えて横に跳ぶ。
ドゴォォォン!!
二人がいた場所に、巨大な窪みが穿たれた。
凄まじい威力だ。まともに食らえば、いかに白銀の鎧といえど消し飛ぶだろう。
「皇子様……! 星川様の気配が、消えかけています!」
渚が蒼白な顔で叫ぶ。
彼女の指輪は、理力の流れを感じ取ることができる。
「あの剣が、星川様の命を吸い上げています! このままでは、魂まで食い尽くされてしまいます!」
「くっ……!」
白髪皇子は剣を構え直した。
倒すだけなら簡単だ。全力の「破壊」の理力を叩き込めばいい。
だが、それでは弟も死ぬ。
救わなければならない。母の呪縛から、魔剣の呪いから、あの不器用な弟を引き剥がさなければならない。
「渚。……私に力を貸してくれ」
皇子が静かに言った。
「私は奴の懐に飛び込み、魔剣を破壊する。だが、あの瘴気の中では、私の体が持たないかもしれない」
七支刀が放つ赤黒いオーラは、触れるだけで肉体を腐らせる猛毒のような高濃度の理力だ。
「私が守ります」
渚は即答した。
帯から黒曜石の短剣を抜き、指輪を嵌めた右手で握りしめる。
「この短剣と指輪で、結界を作ります。……私の命に代えても、皇子様をあそこまで届けます!」
「命に代えてはダメだ。……二人で生きて、あいつを連れて帰るぞ」
皇子は渚の手を強く握り、そして前を向いた。
「行くぞッ!!」
二人は駆け出した。
真正面から、暴走する怪物へと突っ込んでいく。
「ガァァァァッ!!」
星川が反応し、七支刀を突き出す。
切っ先から、黒い雷のようなエネルギー弾が放たれる。
「邪魔だァァッ!」
白髪皇子が剣を一閃させる。
キィィィン!
青白い「破壊」の光が、黒い雷を相殺し、弾き飛ばす。
だが、攻撃は止まらない。第二、第三の波状攻撃が襲いかかる。
「させません!」
渚が短剣を掲げる。
黒曜石が指輪の光と共鳴し、透明なドーム状の障壁を展開する。
ガガガガガッ!
エネルギー弾が障壁に当たり、激しい火花を散らす。
「うぐっ……!」
渚の足が止まりそうになる。重い。まるで巨大な岩に押し潰されるような圧力だ。
全身の骨が軋む。だが、彼女は一歩も引かなかった。
――これは、星川様がくれた短剣……。彼を守るために、彼がくれた力が助けてくれている!
皮肉で、そして悲しい因果。
黒曜石の魔除けの力が、暴走する主人の力から、渚たちを守っていた。
二人の接近に気づいた稚媛が、瓦礫の上から叫んだ。
「小賢しい! 星川、何をしているの! 全力で潰しなさい! そいつらを殺せば、お前を愛してあげるわよ!」
その言葉が、理性の消えかけている星川の脳髄に刺さったらしい。
「ハハ……ウエ……」
星川の動きが止まり、七支刀が不気味に脈動を始めた。
周囲の空気が急速に冷え込み、すべての光が剣に吸い込まれていく。
最大出力の放出攻撃が来る。
「まずい……!」
白髪皇子が焦る。あの規模の攻撃は、相殺しきれない。
その時だった。
ミシッ、ミシッ……
稚媛の立っていた足元の瓦礫が、エネルギーの余波で崩れ始めた。
「え?」
稚媛が間抜けな声を上げる。
星川の放つ重力波が、周囲の構造物を限界まで破壊していたのだ。
「きゃああああッ!?」
足場が崩落し、稚媛は瓦礫の雪崩に巻き込まれ、落下した。
そして、運悪く崩れてきた巨大な柱の下敷きになった。
「い、痛い! 足が、足がぁぁ!」
稚媛の絶叫が響く。
だが、暴走した星川には、もう母の声は届かない。
彼はただ、目の前の敵――最も愛し、最も憎んだ兄を消滅させることだけに集中していた。
ゴオオォォォォ……!
七支刀から、極太の闇の奔流が放たれた。
それはビームなどという生易しいものではない。空間そのものを削り取る、滅びの波動だ。
「渚、後ろへ!」
「いいえ!」
渚は前に出た。
彼女は黒曜の短剣を、迫りくる闇の中心に突き出した。
「お願い、星川様……! 思い出して!」
指輪が砕けんばかりに輝く。
浄化の光と、黒曜石の魔を吸う力が、闇の奔流を受け止める。
ギギギギギ……!
拮抗する力。
渚の口から血が溢れる。限界だ。
だが、その一瞬の拮抗が、白髪皇子に道を作った。
「うおおおおおおッ!!」
白髪皇子が光の波を突き破り、飛んだ。
白銀の流星となって、闇を切り裂く。
目の前には、異形と化した弟の顔。
その瞳から、一筋の涙が流れているのが見えた。
――助けて、兄上……
声なき声が聞こえた気がした。
「星川ァァァァァーーッ!!」
皇子は剣を振り上げた。
狙うは心臓ではない。
星川の腕と、七支刀を繋ぐ、あの忌まわしい黒い触手だ。
自身の持つ「破壊」の理力を、極限まで細く、鋭く研ぎ澄ます。
物質ではなく、概念を、呪いを断ち切る一撃。
ザンッ!!
閃光が奔った。
時が止まったかのような静寂。
次の瞬間、耳をつんざくような金属音が響き渡った。
バキィィィィン!!
古の魔剣、七支刀が、根元から砕け散った。
同時に、星川の体を縛っていた黒い触手が霧散する。
「ガ、ア……」
星川の体から、憑き物が落ちたように力が抜けた。
赤黒いオーラが消滅し、彼は糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。
「星川!」
皇子が剣を捨て、落下する弟の体を抱き留めた。
二人はもつれ合うようにして、瓦礫の上に転がった。
暴風が止んだ。
舞い上がっていた粉塵が、静かに降り積もっていく。
大蔵の天井の大穴から、夕陽が差し込んでいた。
その光の中に、三人の姿があった。
膝をつき、弟を抱きかかえる白髪皇子。
肩で息をしながら、短剣を握りしめて駆け寄る渚。
そして、皇子の腕の中で、ぐったりと目を閉じている星川皇子。
彼の顔からは、あのどす黒い紋様は消え、元の美しい、しかし透けるように白い顔に戻っていた。
「……星川、おい、しっかりしろ!」
皇子が声をかけ、体を揺する。
星川の瞼が、微かに震えた。
ゆっくりと、薄く目が開かれる。
その瞳の色は、もう濁っていなかった。
「……あに、うえ……?」
蚊の鳴くような声。
白髪皇子は、涙を堪えて頷いた。
「ああ。……私だ。終わったんだ、星川」
星川の視線が、ゆっくりと横に動く。
そこには、心配そうに覗き込む渚の顔があった。
「……なぎさ、ちゃん……」
「はい。……はい、ここにいます」
渚が彼の手を握る。その手は氷のように冷たかった。
星川の口元が、微かに緩んだ。
それは、いつもの皮肉な笑みでも、仮面の笑顔でもない。
憑き物が落ちた少年の、無邪気で、そしてどこか寂しげな微笑みだった。
だが、白髪皇子は気づいていた。
抱きしめた弟の体が、羽のように軽いことに。
そして、その命の灯火が、今まさに燃え尽きようとしていることに。
魔剣の暴走は止まった。
しかし、その代償はあまりにも大きかったのだ。




