第24話 王の帰還、大蔵決戦
路地裏に舞い上がった土煙が、風に流されていく。
新羅の暗殺部隊「夜叉」たちは、壁に叩きつけられ、ピクリとも動かない。
一撃だった。
白髪皇子が放った理力の衝撃波は、正確無比に敵だけを薙ぎ払い、渚と咲には掠り傷ひとつ負わせなかった。
馬上の皇子が、静かに地に降り立つ。
白銀の鎧がカチャリと鳴る。
「……渚」
その声を聞いた瞬間、渚の張り詰めていた糸が切れた。
「皇子様……ッ!」
渚は駆け出し、皇子の胸に飛び込んだ。
冷たい鎧の感触。けれど、そこから伝わる体温は、懐かしくて愛おしい人のものだった。
「遅くなって、すまない。……怖かっただろう」
皇子の大きな手が、渚の頭を優しく包み込む。
「いいえ……信じていました。必ず来てくださると」
渚は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、皇子の袴を握りしめた。
泥と血の匂いがする。彼は、戦場を駆け抜けてきたのだ。
「……おや、お熱いことですね」
後ろで咲が、肩の傷を押さえながら苦笑した。
皇子は咲に向き直り、深く頭を下げた。
「秦の者だな。……私の大切な人を守ってくれて、感謝する」
「もったいないお言葉。……ですが、感動の再会はそこまでに。本隊が来ます」
咲の言葉通り、大通りの向こうから、地響きのような行軍の音が近づいてきた。
現れたのは、緋色の旗印を掲げた一団。
先頭を行くのは、巨大な槍を担いだ女傑――飯豊皇女だった。
「まったく、待たせるじゃないのよ、バカ甥っ子!」
飯豊皇女は、馬から飛び降りるなり、白髪皇子の背中をバシッと叩いた。
「ぐっ……相変わらずの剛腕ですね、叔母上」
「うるさいわね。アンタが安芸でいじけてる間、誰が持ちこたえたと思ってるの?」
飯豊皇女はニカッと笑った。
「でもまあ……いい顔になったじゃない。ようやく『王の顔』になったわね」
「……叔母上のおかげです」
白髪皇子は微笑み、そして表情を引き締めた。
「状況は?」
「大蔵を包囲しているわ。稚媛と星川、そして新羅の残党が立てこもっている。……まさに袋の鼠よ」
「行こう。……決着をつける」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
大和の国庫であり、王権の象徴でもある巨大な倉庫群「大蔵」。
高い石垣と堀に囲まれたその要塞は今、白髪・葛城・秦氏の連合軍によって完全に包囲されていた。
その数、およそ三千。
対する大蔵の守備兵は五百にも満たない。勝敗は火を見るより明らかだった。
白髪皇子は、正門の前に進み出た。
背後には、秦氏が開発した最新鋭の弩部隊が控えている。
「……星川皇子、そして吉備稚媛に告ぐ!」
皇子の声が、理力によって増幅され、大蔵全体に響き渡った。
「無益な戦いは望まない。投降せよ! 今なら命までは取らぬ!」
静寂。
やがて、城壁の上に一人の女性が姿を現した。
豪奢な衣装を身にまとった稚媛だ。その顔は怒りと恐怖で歪み、化粧が崩れて鬼婆のようになっている。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」
稚媛が絶叫した。
「反逆者は貴様の方よ! 私が国母だ! この国は私のものよ!」
「母上……もう、やめましょう」
稚媛の後ろに、星川皇子の姿が見えた。彼は虚ろな目で、母を止めようとしていた。
「星川! お前が大王なのよ! シャキッとしなさい!」
稚媛は息子を突き飛ばし、城壁から身を乗り出した。
「白髪ァ! ここには国の宝があるのよ! 攻撃すれば、宝ごと燃やしてやるわ!」
自らの欲望のために、国の財産すら人質にする。その醜悪な姿に、包囲軍の兵士たちからもどよめきが起こった。
白髪皇子は、悲しげに目を伏せた。
そして、腰の剣に手をかけた。
「……分かった。ならば、私が扉をこじ開ける」
皇子は右手を前に突き出した。
ブォンッ!
大気が震える。
彼の指輪から、青白い光が奔流となって噴き出した。
それは「破壊」の理力。だが、かつてのように感情に任せた暴力的な力ではない。
研ぎ澄まされ、制御された、精密な分解の力。
「開け」
皇子が手首を捻る。
ギギギ……ガギンッ!!
大蔵の巨大な扉が、悲鳴を上げた。
見えない巨人がねじ切ったかのように、分厚い鉄の閂が飴細工のように捻じ曲がり、蝶番が弾け飛ぶ。
ズドォォォン!!
人力では到底持ち上げられない扉が、轟音と共に内側へ倒れ込んだ。
「な……ッ!?」
城壁の上の稚媛が腰を抜かす。
人の業を超えた力。これが、真の王の力。
「突入せよ!!」
飯豊皇女の号令と共に、連合軍が一斉に雪崩れ込む。
「ひぃぃぃ! 降参だ! 降参する!」
新羅の傭兵たちは武器を捨てて逃げ惑う。勝負にならなかった。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
渚は、皇子の背中を見つめていた。
強くなった。けれど、その横顔には深い哀しみが刻まれている。
ふと、帯に差した黒曜の短剣が冷たく脈打った気がした。
――星川様……
渚は短剣を取り出し、皇子に見せた。
「皇子様。……これを」
白髪皇子は短剣を見て、目を見開いた。
「黒曜の……。これは、星川が?」
「はい。脱出する時、彼が私にくれました。『魔除けだ』と言って、私を逃がしてくれたのです」
皇子は短剣を受け取り、その刃をじっと見つめた。
黒い石の中に、弟の不器用な想いが封じ込められている。
「……あいつは、分かっていたのか」
自分の敗北を。そして、兄が必ず戻ってくることを。
皇子は短剣を強く握りしめた。
「行くぞ、渚。……弟を迎えに行かねばならん」
「はい!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
大蔵の最深部。
逃げ込んだ稚媛は、錯乱状態にあった。
「負けない……私は負けないわ……!」
薄暗い宝物庫。金銀財宝が山積みになったその奥に、禍々しい祭壇があった。
そこに安置されているのは、異様な形状の剣。
刀身から六つの枝刃が突き出した、七つの刃を持つ剣。
古の魔剣「七支刀」。
「母上、もう終わりにしましょう。……降伏すれば、兄上ならきっと」
星川が懇願する。
だが、稚媛は星川の腕を掴み、祭壇の前へ引きずり出した。
「降伏? 誰がするものですか! まだ手はあるわ!」
稚媛は七支刀を指差した。
「これを使いなさい、星川。この剣には、国をも焼き尽くす古の理力が秘められていると聞くわ」
「ダメです! あれは呪われた剣だ! 人の扱える代物じゃない!」
星川が拒絶する。
だが、稚媛は懐から短剣を取り出し、星川の喉元に突きつけた。
「握りなさい! 握って、白髪を殺すのよ! さもないと、私がここで死ぬわよ!」
「母上……!」
星川は絶句した。
命を盾にしてまで人を動かそうとする。この期に及んで、この女は息子を道具としか見ていない。
外から、白髪皇子の軍勢が近づく音がする。
もう時間がない。
星川は、震える手で七支刀の柄に手を伸ばした。
――兄上……ごめん。俺は最後まで、母上の人形だ。
指が剣に触れた瞬間。
ドクンッ!!
心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走り、星川の意識は闇に塗りつぶされた。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
宝物庫の外にいた白髪と渚は、突如として噴き出した赤黒い光を見た。
大気が軋み、地面が揺れる。
「なんだ……この禍々しい気配は!?」
皇子が顔をしかめる。
渚の指輪が、危険を知らせるように激しく熱を発した。
「皇子様! 中から、すごい力が……! これは、悲鳴です!」
ズズズ……と、大蔵の屋根が内側から溶解し始めた。
中から現れたのは、赤黒いオーラを纏い、異形の姿に変貌しつつある星川皇子だった。
手には七支刀。その瞳からは理性の光が消え、ただ破壊衝動だけが渦巻いている。
「ア、アアアァァァッ!!」
獣のような咆哮。
稚媛の高笑いが響く。
「素晴らしい! これよ! これこそが王の力よ! さあ星川、すべてを壊しなさい! 私を笑った奴らを、皆殺しにするのよ!」
最終決戦の幕が上がった。
それは、王座を巡る争いではない。
呪われた家族の因縁を断ち切るための、悲しき兄弟喧嘩の始まりだった。




