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第21話 葛城の魔女、起つ

 星川皇子ほしかわのみこ大蔵おおくらを占拠し、自らを新大王と宣言してから三日が過ぎた。


 大和やまとの都は、異様な緊張感に包まれていた。


 大蔵を中心とした「星川・稚媛わかひめ陣営」と、それを包囲する「飯豊・葛城かつらぎ陣営」。


 二つの勢力が睨み合ったまま、戦況は膠着していた。


 数で勝るのは星川軍だ。大蔵の豊富な資金で雇った新羅しらぎの傭兵部隊に加え、日和見を決め込む豪族たちの私兵も取り込んでいる。


 対する飯豊軍は、精強だが数は少ない。


 飯豊皇女の本陣は、大蔵を見下ろす丘の上に置かれていた。


「……動かないわね、狸ども」


 飯豊皇女は、床几しょうぎに座り、苛立たしげに貧乏ゆすりをしていた。


 緋色の鎧をまとい、大槍を傍らに突き立てた姿は、戦女神のようであり、同時に近寄りがたい「魔女」の迫力もある。


「飯豊様。正面から突撃しますか?」


 部下の武将が尋ねるが、飯豊は首を横に振った。


「ダメよ。大蔵は堅牢な要塞だわ。まともに攻めればこちらの被害が大きすぎるし、何より中の宝物が燃えたら国の損失よ。……それに」


 彼女は目を細めた。


「向こうには、人質がいる」


 星川の屋敷に残されたなぎさのことだ。


 うかつに手を出せば、稚媛は躊躇なく人質を盾にするだろう。


「力押しは下策。……ここからは、私の得意分野よ」


 飯豊皇女はニヤリと笑った。


 それは、武人としての顔ではない。老獪な政治家としての顔だった。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 その夜から、飯豊皇女の「夜襲」が始まった。


 と言っても、剣を持って寝込みを襲うわけではない。


 言葉の矢を放つのだ。


 飯豊は、星川陣営についている有力豪族たちの陣へ、単身で乗り込んでいった。


「へ、平群へぐり殿! い、飯豊皇女が来られました!」


 星川派の重鎮・平群氏の天幕が大騒ぎになる。


「な、なんだと!? 斬れ! 出会え!」


「おやおや、久しぶりの再会だというのに、随分な挨拶ねぇ」


 飯豊皇女は、護衛もつけずに悠然と天幕に入ってきた。手には酒瓶をぶら下げている。


「……何の用だ、飯豊。降伏の勧告か?」


 平群氏が剣に手をかけると、飯豊は鼻で笑った。


「まさか。忠告に来てあげたのよ。……アンタ、本気で国を売る気?」


「な……何を」


「星川の後ろにいるのは誰? 稚媛よ。そして稚媛を操っているのは新羅しらぎよ」


 飯豊は酒をあおり、ドカッと座り込んだ。


「星川が勝てば、この国は新羅の属国になるわ。鉄も、技術も、女も、みんなあっちに持っていかれる。……それでもいいの? 誇り高き大和の豪族さんが、異国の犬に成り下がっても」


「そ、それは……」


 平群氏が言葉に詰まる。


 豪族たちの間でも、新羅兵の横暴に対する不満は溜まっていたのだ。


「それにね、白髪皇子が生きていたらどうする?」


 飯豊が声を潜める。


「あの子は安芸で力を蓄えているわ。はた氏の財力と、佐伯さえきの水軍をバックにつけてね。……もしあの子が帰ってきたら、星川なんてイチコロよ。その時、アンタは『逆賊』として首を刎ねられる。……賭けてもいいわ」


 平群氏の顔から血の気が引いた。


 飯豊は畳み掛ける。


「今ならまだ間に合うわ。中立を保ち、形勢を見るくらいの知恵はあるでしょう?」


 こうして、飯豊皇女は一夜にして平群を始めとする三つの有力豪族を説き伏せ、星川陣営から離脱させることに成功した。


 武力ではなく、情報と恐怖で敵を切り崩す。これこそが「葛城の魔女」の真骨頂だった。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 翌日。


 大蔵の中で、稚媛は激昂していた。


「平群が寝返っただと!? あいつら、日和見しおって!」


 扇子をへし折り、周囲の物に当たり散らす。


 星川皇子は、部屋の隅で冷めた目でそれを見ていた。


 ――……当然だ。新羅の兵を使いすぎた。


 母の暴走が、味方を減らしている。


 星川は窓の外を見た。


 包囲する葛城の旗印が増えている気がする。


 ――兄上……。貴方がいたら、こんなことにはならなかっただろうな。


 星川は懐の「切り札」に触れた。


 終わりの時は近い。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 機は熟した。


 飯豊皇女は、安芸の方角を見つめ、早馬を飛ばした。


 伝令に持たせた文は、たった一行。


『舞台は整った。帰ってきなさい、バカ甥っ子』


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 舞台は安芸あきへと移る。


 瀬戸内海に面した港には、見たこともないような威容を誇る大船団が停泊していた。


 秦氏の技術を結集して建造された軍船である。


 その数、五十隻。


 さらに、それを取り囲むように、佐伯氏の水軍数百隻が展開している。


 海を埋め尽くす船の群れ。


 その中央にある旗艦の甲板に、白髪皇子が立っていた。


 数ヶ月前、泥にまみれてこの地に流されてきた男とは、別人のようだった。


 秦氏が献上した白銀の鎧をまとい、腰には二振りの剣。


 背筋は伸び、その瞳には王としての静かなる闘志と、深い慈悲が宿っていた。


「皇子様。準備万端です」


 秦酒公はたのさけのきみが恭しく報告する。


「風も良し。これなら、三日で大和の難波津なにわづに到着できましょう」


「うむ。……酒公、礼を言う。よくぞここまで揃えてくれた」


「すべては、貴方様の器量ゆえ。……この国の未来、貴方様に賭けましたぞ」


 皇子は海を見つめた。


 穏やかな波の向こうに、愛する人たちが待つ都がある。


 渚。


 星川。


 そして、亡き栲幡たくはた


「……聞こえるか、栲幡」


 皇子は風に問いかけた。


「私はもう、逃げない。お前が命を懸けて守ろうとしたこの国を、今度こそ私の手で守り抜く」


 皇子は剣を抜き放ち、天に掲げた。


 刀身が太陽の光を受けて眩く輝く。


「全軍、出陣ッ!!」


 ドラが鳴らされ、法螺貝の音が海原に響き渡る。


 巨大な船団が、ゆっくりと、しかし力強く動き出した。


 帆に受けるのは、東からの追い風。


 それはまるで、天が彼の帰還を祝福しているかのようだった。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 同時刻、星川邸の離れ。


 機を織っていたさくが、ふと手を止めた。


「……来ます」


 彼女は窓を開け、西の空を見上げた。

「え?」


 渚もつられて空を見る。


「風が……変わりました。安芸からの風です」


 咲が確信に満ちた声で言った。


「白髪皇子様が、お発ちになりました。……いよいよです、渚様」


 渚は立ち上がり、胸の指輪を強く握りしめた。


 熱い。


 指輪が、かつてないほど熱く脈打っている。


 皇子様が来る。


 あの雨の日、冷たい背中を見送ったあの日から、止まっていた時間が動き出す。


「……はい」


 渚は涙を拭い、強く頷いた。


「私も、戦います。……ここを出て、皇子様をお迎えに行きましょう」


「承知いたしました。……脱出の準備はできています」


 咲が懐から、数本のクナイのような暗器と、煙玉を取り出した。


 外では、稚媛の監視兵たちが目を光らせている。


 命がけの脱出劇が、始まろうとしていた。

 

 西から迫る太陽の軍勢。


 都で待ち受ける陰謀の闇。


 両者が激突する「大蔵の戦い」まで、あとわずか。


 歴史の大きなうねりが、渚たちを飲み込もうとしていた。


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