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第2話 光る皇子と爆走逃避行

 世界が揺れていた。いや、揺れているどころではない。


 ドカドカドカドカッ!


 激しい振動と共に、景色が後方へとすっ飛んでいく。


「ぎゃあああああああ!!」


 渚の絶叫が、香取の平原にこだました。


 彼女はいま、白馬の背に乗せられていた。それも、鞍の前、白髪皇子の腕の中に抱え込まれた状態で、である。


 皇子を乗せた白馬は、通常の馬の倍、いや三倍はあろうかという速度で疾走していた。


「舌を噛むぞ! しっかり捕まっていろと言っただろう!」


 耳元で皇子が叫ぶ。


「無理ですぅ! 振り落とされますぅ! これ馬ですか!? 馬の形をした別の生き物じゃないですか!?」


「失礼な! 私の愛馬『白雪しらゆき』だ! 私が理力りりょくで身体能力を強化しているから、少々元気なだけだ!」


「少々!? 地面抉れてますよ!」


 そう、この皇子はただの人間ではなかった。


 不思議な力――「理力ことわりのちから」と呼ばれる術を使いこなす、特別な存在だったのだ。馬が速いのも、先ほど蝦夷を一瞬で気絶させたのも、その力のせいらしい。


「しっかし、しつこい連中だな。私の美しさに魅了されたか?」


 皇子が呆れたように後ろを振り返る。


 渚も恐る恐る振り返ると、そこには砂煙を上げて追いかけてくる蝦夷の騎馬隊が見えた。先ほどあばら家で逃げ出した連中が、仲間を呼んできたらしい。その数、およそ十騎。


 彼らは一様に鬼のような形相で、弓を構えている。


「殺意しか感じませんけど!?」


「人気者は辛いな」


 ヒュンッ!


 鋭い風切り音と共に、矢が一本、皇子の頬をかすめた。


 ツゥ、と一筋の血が、その白い肌に滲む。


 皇子の目が、すっと細められた。先ほどまでのふざけた雰囲気は消え、凍えるような冷たさが宿る。


「……私の顔に傷をつけるとは。万死に値する」


「怒るポイントそこですか!?」


 皇子は手綱を放した。手放し運転である。


 彼は走りながら上半身をひねり、追っ手に向かって右手をかざした。右手の薬指にはめられた黄金の指輪が、カッと熱を帯びて輝き出す。


「少し、黙っていてもらおうか」


 皇子が指を鳴らすような動作をした、その瞬間。


 ドォォォォン!!


 追っ手の馬の足元の地面が、唐突に爆ぜた。


 土煙が舞い上がり、蝦夷たちの馬がいななき、転倒する。後続の馬も巻き込まれ、将棋倒しのように騎馬隊が崩壊していく。


 渚は目を剥いた。


「な、なんですか今のは!?」


「地面の中の水分を理力で急激に加熱し、水蒸気爆発を起こさせたのだ。便利だろう? 冬場はカイロ代わりにもなる」


「使い方がもったいないし、規模がおかしいです!」


 追っ手を壊滅させた白馬は、さらに速度を上げた。


 やがて日が暮れ、月が出る頃。二人がたどり着いたのは、小高い丘の上にある屋敷だった。


「着いたぞ。ここが愛しの我が家、『香取宮かとりのみや』だ」


 皇子は馬を止め、ドヤ顔で屋敷を指差した。


 渚は目をこすった。


 皇子の住まいというからには、立派な御殿を想像していた。


 しかし、目の前にあるのは、粗末な木の柵で囲まれた、高床式の倉庫に毛が生えた程度の建物だった。屋根には草が生えているし、壁には隙間が見える。


「……ここ、ですか?」


「うむ。質素倹約を旨としているのでな」


「ただボロいだけでは……」


 屋敷の入り口で、一人の女性が松明を持って仁王立ちしていた。


 黒髪を長く垂らし、紫の衣をまとった美女。白髪皇子とよく似た切れ長の目をしているが、その瞳には明確な怒りの炎が揺らめいている。


 彼女は白馬を見るなり、大股で近づいてきた。


「兄上ッ!!」


 雷のような怒鳴り声が夜の静寂を切り裂いた。


 皇子は馬から降りると(渚を小脇に抱えたまま)、バツが悪そうに視線を逸らした。


「やあ、栲幡たくはた。今夜は月が綺麗だね」


「天気の話をしているのではありません! また勝手に一人で出歩いて! しかも、蝦夷が近くまで来ているというのに、護衛もつけずに!」


「護衛など足手まといだ。それに、素晴らしい拾い物をしたのだぞ」


 皇子はジャジャーンとばかりに、小脇に抱えた渚を掲げた。


「見ろ。可愛いだろう」


 栲幡皇女たくはたのひめみこと呼ばれたその女性は、渚をジロリと見た。


「……何ですかその薄汚れた生き物は。泥だらけで、死相が出ていますよ」


「生き物って……一応、人間です。あと死相は否定できません」


 渚は力なく答えた。


「拾ってきたのだ。蝦夷に襲われていた村でな。親もいないようだし、病気で動けぬようだったから」


 皇子は悪びれもせずに言った。


 栲幡皇女は、深く、それはもう深くため息をついた。その姿は、長年ダメな兄に振り回され続けた苦労人のそれだった。


「はぁ……。兄上は、捨て犬や捨て猫を見ると放っておけない悪癖がおありですが、ついに人間まで拾ってくるとは。しかも病気持ちですか」


「これが有徳のなせる技だ。ところでお前、名はなんという?」


「……渚、です」


「うむ、良い名だ」


 栲幡皇女は呆れつつも、渚のそばに寄り、その額に手を当てた。手はひんやりとしていて心地よかった。


「……ひどい熱。それに、この黒痣」


 彼女の表情が、厳しさから心配そうなものへと変わる。


「黒痣病ですね。これでは長くはもちません」


「うむ。だから私が治す」


 皇子は真剣な顔つきになった。


「栲幡、湯を沸かせ。それと清潔な布を。今すぐ施術する」


「……わかりました。三盾みたて! 準備を!」


 皇女の指示で、屋敷の奥から従者たちが走り出てくる。


 渚は屋敷の中へ連れて行かれ、板張りの寝台に寝かせられた。


 皇子が枕元に立つ。その手には、先ほど爆発を起こしたあの指輪がはめられている。


「渚、聞け」


 皇子の声は、かつてないほど真剣だった。


「お前の体の中には、悪い細胞が巣食っている。私の理力で、それを焼き切る」


「や、焼くんですか? 熱くないですか?」


「熱いぞ。焼くのだからな。だが、耐えろ。耐えれば生きられる」


 渚はゴクリと唾を飲み込んだ。怖い。でも、このまま死ぬのはもっと嫌だ。


「……お願いします」


「よし。……あ、そうだ」


 皇子はふと思い出したように言った。


「もし失敗したら、骨は綺麗に拾ってやるから安心しろ」


「縁起でもないこと言わないでください!」


 皇子はニヤリと笑うと、右手を渚の胸元にかざした。


「いくぞ」


 カッ!


 視界が真っ白に染まるほどの光が、皇子の手から溢れ出した。


 それは温かいなんて生易しいものではなかった。体の中に燃え盛る炭を流し込まれたような、灼熱の激痛。


「ぎゃあああああああ!」


 渚は悲鳴を上げ、背中を反らせた。意識が飛びそうになる。


 だが、その激痛の中で、皇子の青い瞳だけが、冷静に渚を見つめていた。


「そこだ。逃がさん」


 皇子の指先が動くたびに、体の中の「悪いもの」が追い詰められ、焼き尽くされていく感覚がある。


 永遠にも思える時間が過ぎ、不意に痛みが引いた。


 後に残ったのは、泥のように重い疲労感と、かつてないほど軽い呼吸だった。


「……終わったぞ」


 皇子の声が遠く聞こえる。


 渚は自分の腕を見た。あれほど濃く浮き出ていた黒い痣が、薄茶色の痕跡だけを残して消えていた。


 深く息を吸い込む。空気が、肺の隅々まで入ってくる。鉄の味もしない。


「い、生きてる……」


「当たり前だ。私の腕を疑うな」


 皇子は額の汗を拭いながら、疲れ切った顔で、それでも最高に美しい笑顔を見せた。


「命拾いしたな、渚。今日からお前は、この香取宮の一員だ」


「……はい」


 涙が溢れてきた。


 捨てられ、誰からも必要とされなかった自分が、この変な皇子と、怖い皇女に救われた。


「ありがとうございます……!」


「礼は体で返してもらうぞ」


 皇子の言葉に、渚はビクリとした。


「え……?」


「明日から屋敷の掃除と洗濯だ。人手不足でな。働かざる者食うべからずだ」


「……なんだ、そういうことですか」


 渚は泣き笑いのような顔で頷いた。


 こうして、渚の新しい人生が始まった。それは平穏とは程遠い、波乱万丈な日々の幕開けだった。


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