第15話 紅蓮の戦場と、仕組まれた恋文
角刺宮が燃えている。
裏山の茂みに身を潜めた渚は、涙で滲む視界の先で、かつての我が家が炎に包まれるのを見ていた。
「……姉上、母上……」
隣では、満身創痍の飯豊皇女が荒い息を吐いている。彼女は渚を守るために奮戦し、その体はすでに限界を超えていた。
朝日郎の兵たちが、山狩りを始めている。
「いねぇぞ! どこへ逃げた!」
「草の根分けても探し出せ! 舞姫は生け捕りだ!」
下卑た声が近づいてくる。
もう、終わりなのか。
渚が絶望に目を閉じた、その時だった。
ドォォォォン――ッ!!
夜空を引き裂くような轟音が響き渡った。
雷ではない。もっと強烈で、もっと荒々しい、力の奔流。
「な、なんだ!?」
敵兵たちが空を見上げる。
暗闇の向こうから、白銀の光をまとった騎馬隊が、怒涛の勢いで駆けてくるのが見えた。
先頭を行くのは、黄金の髪をなびかせた、鬼神の如き形相の男。
「……皇子、様?」
渚が震える声で呟く。
白髪皇子だった。
北の遠征にいたはずの彼が、ありえない速度で戻ってきたのだ。
「私の家族に……何をするッ!!」
皇子の右手がカッと光った。
理力の塊が放たれる。
チュドォォォン!!
着弾と同時に爆発が起き、角刺宮を包囲していた朝日郎の軍勢が一瞬で吹き飛んだ。
「ひ、ひぃぃぃ! 白髪だ! 白髪が戻ってきたぞ!」
「馬鹿な! あと数日はかかるはずじゃ……!」
敵兵たちがパニックに陥る。
皇子は馬から飛び降りると、剣を抜き放ち、単身で敵陣に突っ込んだ。
その戦いぶりは、普段の優雅な彼からは想像もつかないほど凄惨だった。
「どけッ!」
一閃。鎧ごと敵を両断する。
「死ねッ!」
理力の衝撃波で、群がる兵士を肉片に変える。
それは「破壊」の理力を持つ皇子の、正真正銘の怒りだった。
後ろから、秦氏の私兵たちも到着し、戦況は一気に逆転した。
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「渚! 飯豊叔母上!」
敵を蹴散らした皇子が、裏山に駆け上がってきた。
「皇子様……!」
渚は皇子の胸に飛び込んだ。
血と煤と、汗の匂い。けれど、それは何よりも安心できる匂いだった。
「遅くなってすまない……! 無事か!?」
「はい……でも、姉上が……栲幡様が……!」
渚が泣きじゃくりながら指差す先、燃え盛る屋敷の庭に、皇子の視線が向く。
「……行くぞ」
皇子は渚を抱え上げ、戦場へと戻った。
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鎮火した角刺宮の庭には、無数の死体が転がっていた。
その中心に、朝日郎がいた。
彼は血まみれになりながらも、まだ立っていた。その足元には、縄で縛られ、ぐったりとした栲幡皇女が転がされている。
「……チッ、戻ってくるのが早すぎんだよ、化け物が」
朝日郎が悪態をつく。
だが、その顔には敗北の焦りではなく、どこか歪んだ達成感が浮かんでいた。
「栲幡!」
白髪皇子が叫ぶ。
「安心しろ白髪。まだ生きてるぜ。……少々手荒く扱ったがな」
朝日郎が皇女の髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。皇女の顔は腫れ上がり、美しい着物はボロボロに引き裂かれていた。
それを見た瞬間、皇子の全身から凄まじい殺気が噴出した。
「貴様……楽に死ねると思うなよ」
「ハッ! 殺せるもんなら殺してみろ! だがな、俺を殺せば『真実』も闇の中だぞ?」
「何だと?」
朝日郎はニヤリと笑い、自ら剣を捨てて両手を上げた。
「降参だ。俺を捕らえろ。……大王の御前で、面白い話をしてやる」
不気味な言葉を残し、朝日郎は秦氏の兵たちによって拘束された。
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皇女はすぐに救出され、手当を受けた。
命に別状はない。だが、その心と体に受けた傷は深かった。
「……申し訳ありません、兄上。不覚を取りました」
意識を取り戻した皇女は、涙を流す渚の頭を撫でながら、力なく謝罪した。
「何を言う。生きていてくれただけで十分だ」
皇子は妹の手を握りしめ、安堵の涙を流した。
これで終わった。
そう誰もが思った。
だが、本当の地獄は、火が消えた後に待っていた。
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翌朝。
現場検証を行っていた役人たちが、朝日郎が陣取っていた離れから、一つの文箱を発見した。
「……白髪皇子様。これをご確認いただけますか」
役人の顔色が悪い。
皇子が怪訝に思いながら箱を開けると、そこには大量の木簡と手紙が入っていた。
その筆跡を見て、皇子が息を呑んだ。
「これは……栲幡の字か?」
そこには、栲幡皇女らしい筆跡で、生々しい言葉が綴られていた。
『愛しい朝日郎様。今夜、兄の留守に角刺宮へお入りください』
『白髪は邪魔です。彼を消して、二人で大和を支配しましょう』
『私の体は、貴方様のものです。早く抱きしめて……』
読み進めるにつれ、皇子の手が震え出した。
「馬鹿な……! こんなもの、捏造だ!」
皇子が叫び、手紙を地面に叩きつける。
「栲幡がこんなことをするはずがない! あいつは、誰よりも私を、この国を想っていた!」
「しかし、皇子様」
役人が青ざめた顔で告げる。
「筆跡鑑定の結果、これは間違いなく皇女様のものと一致します。それに、箱の中には皇女様の私印が入った密約書も……」
「罠だ! 稚媛と朝日郎が仕組んだ罠に決まっている!」
だが、状況証拠はあまりにも完璧すぎた。
さらに、捕らえられた朝日郎が、牢の中で大声で証言を始めたという報告が入る。
『俺は騙されたんだ! 栲幡の女狐に誘惑されたんだ! 「兄を殺して王にしてやる」と唆され、軍を出しただけだ! 俺は被害者だ!』
都中に、瞬く間に噂が広まった。
――潔白と思われた栲幡皇女こそが、色仕掛けで豪族をたぶらかし、兄を殺そうとした稀代の悪女である、と。
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「嘘よ……そんなの嘘よ!」
病床の栲幡皇女は、その知らせを聞いて顔面蒼白になった。
「私は、そんな手紙など書いていません! 朝日郎とは面識さえ……!」
「わかっている! 私が一番わかっている!」
白髪皇子は妹の肩を抱いた。
「だが、敵の手回しが良すぎる。筆跡を真似る職人、偽証する証人、すべてが用意されていたんだ」
これは、単なる反乱ではなかった。
白髪皇子の最大の理解者であり、武力面での要である栲幡皇女を、社会的に抹殺するための周到な計画だったのだ。
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数日後、大王(雄略天皇)からの呼び出しがかかった。
場所は、大極殿。
病身の大王に代わり、摂政のような立場で座っていたのは、吉備稚媛だった。
「白髪。……嘆かわしいことですね」
稚媛は、扇子で顔を隠しながら、悲しげな(フリをした)声を出した。
「まさか、貴方の妹が、あのような不義密通を働き、反乱を主導していたとは」
「母上! これは罠です! 栲幡は嵌められたのです!」
皇子が抗議するが、稚媛は冷ややかに見下ろした。
「証拠は揃っています。朝日郎の証言、大量の恋文、そして密約書。……これを覆す証拠が、貴方にあって?」
「それは……」
皇子は言葉に詰まった。
ない。
角刺宮は全焼し、こちらの潔白を証明するものは何も残っていない。
稚媛は、勝ち誇ったように宣告した。
「反逆者・栲幡皇女を死罪とします。……これ以上、皇室の恥を晒すわけにはいきませんからね」
死罪。
その言葉が、重くのしかかる。
隣で控えていた渚が叫んだ。
「おかしいです! 姉上は被害者です! なんで被害者が裁かれなきゃいけないんですか!」
「黙りなさい、小娘」
稚媛の鋭い視線が渚を射抜く。
「貴女も同罪ですよ。反逆者の養女として、共謀の疑いがある。……ですが、星川が『身柄を預かりたい』と申していますので、命だけは助けてあげましょう」
すべて、台本通りに進んでいるのだ。
稚媛は、最後に最も残酷な命令を口にした。
「さて、白髪。貴方には最後の情けをかけましょう」
「……情け?」
「ええ。妹の不始末は、兄の責任。……処刑人は、貴方が務めなさい」
「なっ……!?」
皇子は耳を疑った。
「自らの手で妹を斬り、その首を差し出すことで、貴方の潔白を証明するのです。……出来なければ、貴方も同罪として処刑します」
究極の選択。
愛する妹を殺して生き延びるか、共に死んで汚名を残すか。
皇子の拳から、血が滴り落ちた。
爪が掌に食い込んでいた。
「……ふざ、けるな……ッ!」
皇子の体から、理力の光が漏れ出す。怒りで制御が効かなくなっている。
ここで暴れれば、全員死ぬ。
その時、後ろから手が伸びてきた。
包帯だらけの、栲幡皇女の手だった。
「……兄上。お受けください」
「栲幡……?」
皇女は、静かに微笑んでいた。その顔には、一点の曇りもなかった。
「私が死ねば、兄上は助かるのですね? ならば、本望です」
「何を言っている! お前を斬れるわけがないだろう!」
「斬るのです。……生きて、必ずこの国を、稚媛の手から取り戻してください。それが、私の最後の願いです」
皇女は、兄の震える手を両手で包み込んだ。
「泣かないでください、兄上様。……貴方の手で送られるなら、私は幸せです」
広間に、重苦しい沈黙が流れた。
稚媛の高笑いだけが、いつまでも渚の耳に残っていた。
仕組まれた罠。偽りの恋文。
それは剣よりも鋭く、兄妹の絆を引き裂こうとしていた。




