第11話 年末の悲劇と、命がけの舞
大和の都に、冬が訪れた。
盆地特有の底冷えする寒さが、角刺宮の板張りの廊下を氷のように冷やしている。
だが、そんな寒さを吹き飛ばすような熱気が、一室から溢れ出ていた。
「ぬるい! ぬるいですわ渚! 貴女のステップは生まれたての子鹿ですか!?」
「ひぃぃぃ! すみません姉上ぇぇ!」
ビシッ! バシッ!
竹刀が床を叩く音が響く。
渚は大粒の汗を流しながら、必死に舞の稽古を続けていた。
大王への謁見を見事に(?)切り抜けた渚だったが、それがゴールではなかった。むしろ、地獄のスタートラインだったのだ。
白髪皇子の婚約者という立場は、宮中の注目の的だ。下手な振る舞いをすれば、皇子の顔に泥を塗ることになる。
責任感の塊である栲幡皇女は、渚を完璧なレディに仕立て上げるべく、スパルタ教育のギアをさらに一段階上げていた。
「いいですか渚。年末には『大祓』の儀式があります。宮中の重要行事です。そこで私が舞う姿を見て、しっかりと勉強するのです」
皇女は胸を張って言った。
「私が舞えば、邪気など裸足で逃げ出します。物理的な衝撃波で」
「それ、舞というか演武ですよね?」
渚がツッコミを入れた、その時だった。
グキッ。
嫌な音がした。
「……あっ」
皇女が体勢を崩し、その場に崩れ落ちた。
「あ、姉上!?」
「……やってしまいました」
皇女は顔面蒼白で足首を押さえた。
「気合を入れてターンを決めようとしたら、古傷が……! くっ、これは全治二週間の捻挫!」
「な、何やってるんですかーッ!?」
最強の戦巫女、自爆。
まさかの事態に、角刺宮はパニックに陥った。
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その夜、緊急家族会議が開かれた。
参加者は、足を包帯でぐるぐる巻きにした栲幡皇女、高みの見物を決め込む飯豊皇女、呼び出された白髪皇子、そして渚である。
「というわけで、私は舞えません」
皇女が沈痛な面持ちで宣言した。
「代役が必要です。ですが、大祓の舞は皇族の女性か、それに準ずる高貴な巫女しか務まりません」
全員の視線が、一点に集中した。
渚である。
「……え? 私?」
渚は自分を指差した。
「無理無理無理! 絶対無理です! 私、この前大王様の前で適当に踊っただけですよ!? 正式な儀式なんて!」
「適任ね」
飯豊皇女が扇子で口元を隠して笑った。
「渚ちゃんはもう『栲幡の養女』として認知されているわ。それに、指輪持ちとしての理力もある。邪気を払うには適任よ」
「飯豊様まで! 皇子様、止めてください!」
渚は救いを求めて白髪皇子を見た。
だが、皇子は腕組みをして、真剣な表情で頷いた。
「ふむ。渚が舞うか。……悪くない」
「えっ」
「私の笛に合わせて渚が舞う。美しい私と、可憐な渚。絵になるな。観客が失神するかもしれん」
「そこじゃないです!」
皇子は立ち上がり、渚の肩に手を置いた。
「安心しろ。舞の技術など、二の次だ」
「え?」
「大祓の本質は『祓い』だ。国中に溜まった一年分の穢れを、理力で浄化する。……お前には、その力がある」
皇子の青い瞳が、渚を射抜く。
「香取で敵を焼き尽くした、あの力だ。あれを破壊ではなく、浄化に使えばいい」
「……」
渚は言葉を失った。
あの日、自分が放った炎。広子の仇を討つために、多くの命を奪った炎。
それを、国のための祈りに変えることができるのだろうか。
「……やります」
渚は顔を上げた。
「私が、やります。それが、私の背負った『業』を少しでも軽くするなら」
「殊勝な心がけだ。合格」
皇子はニッと笑った。
こうして、渚の「大祓デビュー戦」が決まった。本番まで、あと三日しかない。
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それからの三日間は、記憶が飛ぶほどの過密スケジュールだった。
足の使えない栲幡皇女は、口だけで指導を行った。
「右手が下がっています! もっと指先まで神経を尖らせなさい!」
「そこはもっと優雅に! 白鳥が湖に降り立つように!」
「違う! それは溺れたアヒルです!」
罵倒のボキャブラリーが増えていく。
夜は、白髪皇子との合わせ練習だ。
皇子は笛の名手だった。彼が笛を吹くと、空気が澄み渡り、理力が活性化するのがわかる。
「渚、もっと力を抜け。私の音に身を委ねろ」
月の光の下、皇子の笛の音に合わせて体を動かす。
不思議と、皇子と一緒だと体が軽かった。指輪が共鳴し合い、力が循環しているような感覚。
「……上手くなったな」
練習の合間、皇子がぽつりと言った。
「お前は、飲み込みが早い。やはり、私の目利きに狂いはなかった」
「皇子様のおかげです。……でも、少し怖いです」
渚は自分の手を見つめた。
「この力を使うたびに、自分が人間じゃなくなっていくような気がして」
「安心しろ。お前が化け物になりそうになったら、私が人間界に引き戻してやる」
皇子は渚の頬をむにゅっとつねった。
「痛っ!」
「痛みを感じるなら、まだ人間だ。……さあ、ラスト一回だ。気合を入れろ」
「はい!」
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そして迎えた、大晦日の夜。
儀式の舞台となるのは、宮中の広場に設けられた特設の祭壇だ。
篝火が焚かれ、朱塗りの鳥居が揺らめく炎に照らされている。
周囲には、大王をはじめとする皇族たち、そして百官の群臣がずらりと並んでいる。その視線は、一点に集中していた。
白装束に緋袴、その上に透き通るような千早を羽織った渚。
髪は後ろで束ねられ、神聖な榊を手にしている。
――緊張で心臓が口から出そう……
足が震える。観衆の中には、あの星川皇子の姿もあった。ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。
失敗したら、何を言われるか分からない。
だが、その時。
ピーーーッ。
澄んだ笛の音が、夜空に響いた。
舞台の袖で、白髪皇子が笛を構えている。彼と目が合った。
――大丈夫だ。
そう言っている気がした。
渚は深く息を吸い込んだ。
世界が静止する。
――私は巫女じゃない。ただの、香取の渚だ。でも、今は……
渚は一歩、踏み出した。
舞が始まる。
最初は静かに。小川のせせらぎのように。
指輪から理力を流し込む。
カッ……。
渚の体から、淡い光が溢れ出した。それは蛍の光のように優しく、周囲の闇を払っていく。
「おお……」
観衆からどよめきが起こる。
笛の音がテンポを上げる。それに呼応して、渚の動きも激しさを増す。
回転。跳躍。
袖が翻り、光の軌跡を描く。
渚は祈った。
この国に満ちる穢れよ、去れ。
病よ、去れ。
争いよ、去れ。
私の罪も、悲しみも、すべてこの光で洗い流して――!
理力の奔流が、渦となって会場全体を包み込む。
それは、見る者を圧倒する、神々しい光景だった。
大王ですら、目を見開いて身を乗り出している。
星川皇子の笑みも消えていた。
クライマックス。
渚は全身全霊を込めて、天に向かって榊を突き上げた。
「祓いたまえ、清めたまえッ!!」
ドォォォン!!
光の柱が天に昇った。
雲が割れ、満月が顔を出す。
まるで、天が呼応したかのような奇跡。
静寂。
そして、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
大成功だ。
渚は肩で息をしながら、舞台の中央に立ち尽くしていた。
やった。やりきった。
皇子の方を見る。彼は笛を下ろし、満足げに微笑んでいた。
――良かった……
安堵した瞬間、視界がぐらりと歪んだ。
強烈な目眩。
足の力が抜ける。
あ、倒れる。
地面が迫ってくる。
だが、衝撃は来なかった。
誰かが、渚の体を抱きとめていた。
「……よくやった。及第点だ」
耳元で、皇子の声がした。
渚は薄目を開けた。皇子が、舞台に駆け上がって渚を支えていたのだ。
「皇子、様……」
「喋るな。力を使いすぎだ」
皇子の顔が、いつになく険しい。
渚は気づいた。自分の視界が、端から黒く塗りつぶされていることに。
そして、呼吸が苦しい。肺の奥から、あの嫌な鉄の味がせり上がってくる。
「……っ、ごほっ!」
口元を押さえた手に、赤いものが付着した。
血だ。
病の発作だ。
理力を使いすぎて、病を抑え込んでいた覆いが外れてしまったのだ。
「馬鹿者が。張り切りすぎだと言っただろう」
皇子は渚を横抱きにすると、群衆の視線を遮るように背中を向けた。
「興が乗ったのでな。巫女は私が連れて帰る。皆、下がれ!」
皇子は堂々と宣言し、舞台を後にした。
その足取りは速かった。
宮の奥にある控室に入ると、皇子はすぐに渚を寝台に降ろした。
「広子! 薬湯だ! ……ちっ、広子はもういないんだったな」
皇子は舌打ちし、自分で水差しを取った。
「渚、しっかりしろ。死ぬなよ」
皇子は渚の手を取り、指輪越しに強烈な理力を流し込んだ。
焼けるような熱さ。
だが、今の渚にはそれが心地よかった。冷えていく体を、内側から温めてくれる。
「……皇子様、私……」
「黙っていろ。お前の命は私が預かっている。勝手に死ぬことは許さん」
皇子の額から、汗が滴り落ちて渚の頬を濡らした。
必死だった。
いつも余裕ぶっているこの人が、こんなに必死な顔をしている。
――ああ、私は幸せ者だなぁ……
捨てられた命。
でも、今はこんなにも必死に繋ぎ止めてくれる人がいる。
渚は皇子の手を握り返した。
薄れゆく意識の中で、皇子の声だけが命綱のように響いていた。
「生きろ、渚。……生きろ」
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大祓の夜は更けていく。
新たな年が来る。
だが、それは同時に、平穏な日々の終わりを告げる鐘の音でもあった。
渚の体の中で燻る病魔と、宮中で渦巻く陰謀。
二つの影が、色濃く忍び寄っていた。




