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第10話 宮中の洗礼と、星の皇子

 大和やまとの朝廷における、なぎさの立場は極めて微妙なものだった。


 公式には「栲幡皇女たくはたのひめみこの養女」であり、大王おおきみお墨付きの「白髪皇子しらかのみこの婚約者」である。


 だが、その実態は「元捨て子の村娘」であり、「正体不明の理力ことわりのちから使い」だ。


 宮中の貴族たちは、渚を好奇と嫉妬の入り混じった目で見ている。


「あれが、白髪の皇子様をたぶらかした魔性の女か」


「田舎娘のくせに、ずいぶんと生意気な顔をしている」


 そんな陰口が、宮中に出仕するたびに聞こえてくる。


 渚の現在の住まいは、皇子たちの実家である泊瀬朝倉宮はつせのあさくらのみやではなく、少し離れた葛城かつらぎにある角刺宮つのさしのみや」だった。


 ここには「魔女」こと飯豊皇女いいとよのひめみこが住んでおり、渚の教育係兼ガードマンを引き受けてくれているのだ。


「さあ渚ちゃん! 今日は『笑顔で毒を吐く貴族への対処法』を学ぶわよ!」


 朝から飯豊皇女のハイテンションな声が響く。


「まず基本は『あら、オホホ』と笑って受け流すこと。上級編は『あなたの家の不正、知ってますよ?』というオーラを目だけで伝えることね」


「レベルが高すぎます!」


 渚は悲鳴を上げた。


 隣では、鬼教官・栲幡皇女が竹刀を持って仁王立ちしている。


「姿勢が悪いです! 笑顔が引きつっています! そんなことでは、宮中の女狐たちに骨までしゃぶられますよ!」


 ビシッ!


 竹刀が空を切る。


「痛いです姉上! というか、宮中ってそんなに怖いところなんですか!?」


「ええ。物理的な戦場よりタチが悪いです。言葉のナイフが飛び交い、微笑みの裏で毒が盛られる。それが大和の日常です」


「帰りたくなってきました……」


 渚は遠い目をした。香取の戦場のほうが、敵が明確なだけマシだったかもしれない。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 そんな地獄の特訓の合間、渚にとって唯一の癒やしとなるのが、白髪皇子の訪問だった。


 彼は大王の補佐として政務に忙殺されているはずだが、隙を見つけては角刺宮に顔を出す。


「やあ、渚。今日も美しいね」


 皇子は縁側に座る渚の隣に、どかっと腰を下ろした。


「……皇子様こそ、目の下に隈ができてますよ。ちゃんと寝てますか?」


「寝る間も惜しんで働いているのだ。私がいないと国が回らんからな」


 皇子は強がって笑ったが、その横顔には隠しきれない疲労の色があった。


 渚は、そっと皇子の手に自分の手を重ねた。


「……無理しないでくださいね。私、皇子様が倒れたら生きていけませんから」


「ほう、それは熱烈な愛の告白と受け取っていいのかな?」


「生活面での切実な訴えです」


 渚がツッコミを入れると、皇子は嬉しそうに笑った。


「お前のそういうところが好きだ。宮中の人間は、誰も彼もが腹の探り合いばかりで疲れる。お前と話していると、毒気が抜けるよ」


 皇子は渚の肩に頭を預けてきた。


 ふわっと、高貴な香木の香りがする。


 渚はドキリとしたが、皇子の寝息が聞こえてくると、動くに動けなくなってしまった。


 ――……無防備すぎる。


 この国の次期大王候補が、こんなところで居眠りなんて。


 渚は苦笑しながら、皇子の金色の髪をそっと撫でた。


 その光景を、物陰から飯豊皇女と栲幡皇女がニヤニヤしながら見守っていることに、渚は気づいていなかった。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 ある日の午後。


 皇子が帰った後、渚が庭で一人、理力の鍛錬をしていると、見知らぬ青年が現れた。


 派手な衣装を身にまとい、腰には立派な太刀を佩いている。顔立ちは整っているが、どこか軽薄そうな笑みを浮かべていた。


「へぇ、君が噂の『香取の舞姫』ちゃんか」


 青年は馴れ馴れしく近づいてきた。


「はじめまして。俺は星川ほしかわ。君の噂を聞いて、どうしても会いたくなってね」


 星川と名乗った青年は、渚の周りをぐるぐると回りながら値踏みするような視線を向けた。


「ふうん。白髪の兄上が執心するっていうから、どんな絶世の美女かと思ったら……意外と普通だね」


「……すみませんね、普通で」


 渚はムッとした。初対面で失礼な奴だ。


「でも、理力の気配はすごいな。君、指輪持ちだろう?」


 星川の目が、渚の指にはめられた指輪に釘付けになった。


「見せてくれないかな? ちょっとだけでいいから」


 星川が手を伸ばしてきた。


 渚は反射的に身を引いた。本能が、この男は危険だと告げている。


「お断りします。これは皇子様から頂いた大切なものですから」


「つれないなぁ。減るもんじゃなし」


 星川はニヤリと笑い、さらに一歩踏み込んできた。


 その時。


 ヒュンッ!


 一本の矢が、星川の足元に突き刺さった。


「おっと」


 星川は軽やかにバックステップでかわした。


「我が家の庭で、害虫駆除の必要がありそうですわね」


 廊下の向こうから、栲幡皇女が弓を構えて歩いてきた。その背後には、鬼の形相の飯豊皇女も控えている。


「やあ、栲幡姉上。それに飯豊様も。相変わらず怖いなぁ」


 星川は悪びれる様子もなく肩をすくめた。


星川皇子ほしかわのみこ。許可なく角刺宮に立ち入るとは、どういうおつもりですか?」


 栲幡皇女の声は氷のように冷たい。


 渚は驚いた。このチャラそうな男も、皇子だったのか。


「いやいや、新しい義理の姪っ子に挨拶に来ただけですよ。仲良くしようと思ってね」


「貴方の『仲良く』の意味は、辞書とは違うようですね。お引き取りください」


 栲幡皇女が二の矢をつがえる。


「わかったわかった。帰るよ」


 星川皇子は両手を上げて降参のポーズをとった。


 だが、去り際に渚の耳元で囁いた。


「白髪の兄上は、優しいけど甘いからね。君みたいな強力な手駒、使いこなせないんじゃないかな? ……俺なら、もっと上手く使ってあげられるよ」


 ゾクリとした悪寒が走る。


 星川皇子は、ねっとりとした視線を残して去っていった。


「……何なんですか、あの人」


 渚が震えながら尋ねると、栲幡皇女は深いため息をついた。


「星川皇子。大王の別の妃、吉備稚媛きびのわかひめの息子です。兄上とは異母兄弟にあたります」


「異母兄弟……」


「白髪の兄上とは正反対の性格ですね。素行は悪いし、野心家だし、何より母親の稚媛が厄介なのです」


 飯豊皇女が嫌そうに顔をしかめた。


「今回の香取の乱、黒幕は稚媛だという噂もあるわ。証拠は消されちゃったけどね」


 渚はハッとした。


 あの毒殺未遂事件。実行犯の女が口にした名前。


 戦いは、まだ終わっていなかったのだ。


「星川皇子は、間違いなく白髪皇子のライバルになるわ。そして、その矛先は……白髪皇子の弱点になり得る渚ちゃん、あなたに向くかもしれない」


 飯豊皇女の忠告に、渚は指輪を握りしめた。


 大和での生活は、きらびやかな衣装の下に、ドロドロとした陰謀が渦巻いている。


 ただ守られているだけではいけない。


 白髪皇子を守るために、自分も強くならなければ。


「……姉上。もっと厳しい修行をお願いします」


 渚が真剣な眼差しで言うと、栲幡皇女はニヤリと笑った。


「望むところです。泣いても辞めさせませんよ?」


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 その夜。


 泊瀬朝倉宮の一室で、星川皇子は母である吉備稚媛と向かい合っていた。


 稚媛は、妖艶な美貌を持つ女性だが、その瞳には昏い情念の炎が宿っていた。


「見てきましたよ、母上。例の娘」


 星川は退屈そうに報告した。


「どうでした?」


「見た目はただの小娘ですが、持っている『力』は本物ですね。あの指輪、白髪の兄上が持っているものと対になる古代の遺物でしょう」


「……忌々しい。白髪だけでなく、あんな小娘まで」


 稚媛は扇子を握りしめた。ミシミシと音がする。


「香取での計画は失敗しましたけれど、まだ手はあります。……星川、あの娘を落としなさい」


「はあ? 俺に色仕掛けしろって?」


「ええ。女は愛に弱い生き物です。白髪から奪い取り、こちらの駒にするのです。そうすれば、白髪は精神的にも戦力的にも大打撃を受けるでしょう」


 稚媛は冷酷に言い放った。


「次の大王は、あなたなのです。そのためなら、どんな手段も使いなさい」


「……へいへい、仰せのままに」


 星川は軽薄な笑みを浮かべたが、その瞳の奥には、母への複雑な感情と、どこか冷めた光が宿っていた。


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


 大和の都に、新たな波乱の風が吹き始めていた。


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