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遺された音源  作者: なやまじ


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7/18

北の回想

 その頃、沢木卓郎は北へと向かっていた。東北新幹線で盛岡まで行き、そこで花輪線に乗り換えて終点の大館駅まで向かうのだ。花輪線は秘境を巡りながら約三時間という長時間の旅程が魅力で、鉄道マニアには隠れた人気がある。長期に亘る赤字路線のため存続自体に危うさがあるが、その点も含めて鉄道マニアや秘境マニアには代え難い魅力になっている。

 沢木は乙藤の企みに憤りを感じていた。優斗の頼みに応えるどころか勝手に手紙を読み、しかも埋蔵物まで奪おうとしているのである。許されることではない。

 乙藤から訊かれたバッテン公園という呼称は、優斗が高校生の時に口にしたものだった。彼が柱時計の盤面に貼られたガムテープの形状を見て名付けたことも沢木は覚えていた。なぜそんな些細なことを覚えていたかというと、その公園の土地がもともと沢木家の土地だったからであり、さらに当時自分がバッテン人間だと言われた気がして、心に引っかかっていたのである。

 東丘公園のベンチで優斗とよく音楽談議に花を咲かせたものだった。当時のイギリスは第二次ブリティッシュインヴェイジョンだと騒がれていて、優斗はその時期の若いバンドの曲を好んで聴いていた。だから彼が作る曲もその流れを汲む作品が多かった気がする。

 当時、沢木はドラムの腕を買われてバンドに迎えられたわけではなかった。倒産した養鶏場の敷地の一角に、債権者の手に渡らなかったコンクリート造りの倉庫があって、防音効果と電気が通っているその倉庫を練習場として使いたいからと迎え入れられたのだった。

 夕方、沢木は大館駅に到着した。すでに日は落ちていて、こんな時間に東丘公園を探索したところで成果は期待できない。埋蔵物の発掘作業は翌日に行うことにして、老いた母親が独りで住んでいる実家に向かった。近所には看護師をしている姉が住んでいて、何かと面倒を見てくれている。母は老いたとはいえこれといった持病もなく、贅沢はできないまでも不自由なく暮らせていることは救いだった。

 突然玄関に姿を現した息子をみて、老母は歓喜して迎え入れてくれた。

「大袈裟だよ。正月に帰ってきたばかりじゃないか」

 沢木は妻とともに年に数回のペースで帰省していたが、それでも母は帰省するたびに嬉しそうに迎え入れてくれるのだった。

「珍しいわね。博子さんは一緒じゃなかったのかい?」

 博子というのは沢木の妻である。沢木が一人で帰省することはほとんどなかった。

「店を閉めるわけにはいかなかったんだ。五月は連休が多いから客も増えるし」

「そんな忙しい時期に、どうしてわざわざ帰ってきたのさ?」

 言われてみればその通りだった。

「優斗の四十九日の墓参りに来たんだよ」

「そうだったのかい。しかし優斗くんがこんなに早く亡くなるなんて驚いたわね」

 帰省の目的のひとつは確かに優斗の墓参りだったが、最大の目的は乙藤の邪悪な企みを欺くことだった。沢木は乙藤の手癖が悪さを知っていた。

 あれは高校生活最後の三月のことだった。卒業記念と銘打って、市内のホールに市内のバント約十組が集まり、合同で記念ライブを行った。沢木たちのバンドも数曲演奏したのだが、その日の楽屋で優斗のギターが紛失してしまったのだ。優斗は建物内を探し回ったが、結局ギターは出てこなかった。

 しかし沢木はその直前に乙藤がギターを片手で握って裏口から出ていく後ろ姿を目撃していた。その時は乙藤自身のギターだとばかり思っていたのだが、後で知ったことだが彼のギターはその時まだ楽屋にあったのだ。

 やがて楽屋に戻ってきた乙藤はみんなと一緒に優斗のギターを探していた。沢木は乙藤が優斗のギターを持ち出す姿を見たとはいえ、彼が盗んだという確証はなかった。卒業式も終わり、二度と会えないかもしれない。友人との関係を壊したくなかった沢木は結局何も見なかったことにしたが、心にはずっと引っかかっていた。その乙藤がまたもや優斗のものを奪おうとしているのだ。許せなかった。

 母が沸かしてくれた風呂に浸かりながら、公園を掘っている自分の姿を想像した。テレビでタイムカプセルを掘り起こすシーンを見たことがあるが、沢木が掘り起こそうとしているものも、ある意味では旧友たちとの思い出が詰まったタイムカプセルかもしれない。風呂場の天井を見上げながら優斗たちと演奏する若かった自分たちの姿と、ラーメン店の採算悪化で忙しくやりくりしている妻の顔を思い浮かべて、沢木は湯船に顔を沈めた。

 風呂から上がり、沢木は昔使っていた二階の勉強部屋に布団を敷いて寝た。しかしなかなか眠れず、開き直って再び部屋の灯りを点けた。壁には古いフォークギターが立てかけられていた。埃を拭きとって弾いてみたが、チューニングが狂っていてうまく弾けなかった。いや、ギターをうまく弾けたことなんかなかったじゃないかと苦笑した。だからこそドラムを叩き始めたのだ。

 ドラムを手にする頃までは父の養鶏場経営は安定していた。しかし鳥インフルエンザが発生し、十万羽近い鶏をすべて処分せざるを得なくなって状況は変わった。国の生産者支援対策により、仮に鶏を出荷できていたら見込めていた収入分の金額が支給されたほか、日本養鶏協会の経営再建保険にも加入していたが、約半年間は雛を飼育できなくなり収入は断たれた。また感染場所から半径三キロ以内にある同業者は約三週間もの期間、鶏や卵を出荷できなくなり、さらに感染拡大が拡がり周りの養鶏農家にさらに迷惑をかけてしまうのではないかという不安から父は精神的に参ってしまい、結局破産せざるを得なくなったのだった。家業の破綻により、養鶏場を継ぐはずだった沢木の人生は大きく変化した。

 部屋の隅に、当時音楽関係のものだけを突っ込んだ大きな段ボール箱があった。開けてみるとドラムのスティックや楽譜、マイクやギターのピック、楽器をつなぐシールドなどに混じって一本のカセットテープが出てきた。カセットテープにはマジックペンで『優斗の曲』と書かれたラベルが貼られていた。当時、バンドのメンバーたちは優斗から配られたそのカセットテープを聴いて曲を覚え、倉庫に集まって音合わせをしていたことを思い出した。バンドのメンバーのうち、高校卒業後にともに地元企業に就職した優斗と会うことはあったが、数年後に会社を辞めて上京してからは彼と会う機会はなくなった。

 翌日、沢木は東丘公園を掘るために実家を出た。公園は沢木の実家から徒歩で十分ほどの場所にあった。遠い昔のことを思い出して、懐かしい気分になった。歩き始めてすぐ、沢木はあることに気付いた。自分が埋蔵物を掘り出した後に乙藤がやって来て、土を掘っても何も出てこなかったらどう思うだろう。自分に横取りされたと疑うのではなかろうか。

(カモフラージュ用に、何か代わりのものを埋めておいたほうがいいかもしれない)

 疑われようが責められようが否定すればいいのだけの話なのだが、騒がれるのは面倒くさかった。

 スコップ以外に持ち物がなかった沢木は、仕方なく踵を返し実家に戻った。自室に上がり気の利いたものはないかと見回すと、昨夜段ボール箱から発見した『優斗の曲』と書かれたラベルのカセットテープが目にとまった。優斗が埋めたものとすり替えるには最適な気がした。テープの劣化で再生ができない状態かもしれないが、そんなことは知ったことではない。代替品を埋めておくことが重要なのである。

 しばらくして、沢木は公園のブランコに座り呆然としていた。地中に埋められていたのは菓子ケースのブリキ缶で、蓋を開けると中身は新聞紙に包んだ手のひら大のギターのミニチュアであった。これが息子に渡したかったものなのだろうか。沢木はこのまま埋め戻そうとも考えたが、何か意味があるのかもしれないと思い直し持ち帰ることにした。

 東京に戻った沢木は気付いた。このミニチュアギターは高校時代に優斗が愛用していたギターと同じモデルであった。さらに包んでいた新聞紙を読んで気になる記事を見つけた。新聞は今年の一月に秋田県内で発行された地元紙で、今年の各市町村の経済予測やコミュニティーバスの自動運転化計画、毎年一月に行われる比内地鶏のPRイベントである『ひない酉の市』に関する記事に混じって、東丘公園に関する記事があった。


『昭和後期に市によって整備された大館市東部の東丘公園は、周囲に住宅、学校、保育園、学童保育施設などがあり、日中は保育園児が、夕方は小学生たちがよく訪れて遊んでいた。しかし近年、近隣に住む住民から敷地に入ったボールを取りにきた子供たちに家庭菜園を荒らされたとの苦情が寄せられたため、市によって公園でのボール遊びが禁止になった。しかし、その後も同じ人物から子供たちの声がうるさいなどと再三にわたって苦情が続いたほか、その人物を怖がって子供たちが公園を利用しなくなり、維持・管理の担い手もいなくなることから、来年の公園閉鎖に向けた検討開始が決定された』


 公園になっている土地は、家業が傾くまでは沢木の父が所有していたもので、そこには従業員たちに住まわせるために建てた木造のアパートがあった。小学生だった沢木は若い従業員たちと遊ぶために、よく彼らの部屋に上がりこんだものだった。倒産後、負債返済のために父は複数の不動産の処分を余儀なくされたが、そのひとつがあの土地とアパートだった。その後、市が所有者から買い取って整備したのが東丘公園だった。

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