金の匂い
東武東上線の上板橋駅周辺は都心と異なりインバウンド効果は限定的である。周辺に注目の観光地はなく、海外観光客にとってわざわざ訪れるほどの魅力はない。周囲を歩くとたまに外国人を見かけるが、それは近辺にアジア系の住民が増えたからにすぎない。
現在、駅の南口では令和十年完成予定のビル開発が進行中であり、完成すれば南口から川越街道にかけてのエリアに商業施設と四百戸を超える住居が新たに誕生する。しかし沢木拓郎が経営するラーメン店は駅の北口にあった。南口の繁栄の恩恵をどこまで受けられるのかは疑問だった。
彼の店は比内地鶏スープを売りにした比内大将という名のラーメン屋で、同郷の妻と一緒に切り盛りしている。妻とは二十歳すぎに駆け落ち同然で故郷を飛び出した。都内の小さなアパートに住み、いくつかの職を経験して金を貯め、三十代で開業したのだった。
比内地鶏は日本の三大地鶏のひとつといわれ、沢木の生まれ故郷である秋田県大館市の特産品である。昔沢木の父が養鶏業を営んでいたつながりで比内地鶏の生産者と知り合い、濃厚な醤油ベースのスープを完成させた。比内大将はすぐに評判を呼び、東武東上線の沿線住人だけでなく、県境を越えて埼玉県からわざわざやってくるファンも少なくなかった。
ところが近年はラーメン屋が乱立し集客競走が激化し、インターネットが苦手な沢木はSNSでの情報発信はせず店舗も古くインスタ映えもしないため、客は若年層を中心に減少していた。ラーメンのような高カロリーの料理で若者を集められないのは致命的である。しかも近時は材料価格の高騰で採算低下も著しかった。値上げも検討したが来客数はさらに伸び悩むだろうし、常連客も一度離れれば戻らないだろうと思い、踏み切れずにいた。
高校の同級生だった乙藤誠から電話があったのはそんな時だった。乙藤は下町のブリキ工場を手始めにいくつかの職を転々とし、現在は都内の警備会社で働いている。ともに都内に居住していながら何かと忙しく、最後に会ったのは十年ほど前の池袋の居酒屋だった。
「先日、久々に大館に帰省したよ。帰省といっても、目的は優斗のお見舞いだったが」
「優斗は病気なのか?」
沢木は二十歳前後の頃の若い秋元優斗の顔を思い出した。彼も高校の同級生だった。
「ああ。癌で長くないらしい。本人がそう言っていた」
沢木は年齢など気にしたことがなかったが、気が付けば還暦が目の前に迫っている。今後はこのような話が増えていくのだろう。
「ところで沢木、大館にあるバッテン公園という公園を知っているか?」
久しぶりに飲みたいのかと思ったら、乙藤はそんな質問を始めた。沢木にはその呼称に心当たりがあった。それは正式名称を東丘公園という大館市内の公園である。
「そんな名前の公園は聞いたことがないな」
沢木はとぼけたが、そこは乙藤も知っている公園だった。バッテン公園というおかしな名前が記憶に蓋をして結びつかないのだ。
「そうか。やっぱり知らないよな」
沢木にとっては、知らないどころか忘れられない場所だった。
「俺にとってもっとも縁がなかったのが女の子と公園だ。俺に公園のことを訊いても無駄だよ。で、その公園がどうかしたのか?」
「どうやら優斗がその公園に何かを埋めたらしいんだ」
「埋めた?」
乙藤誠の話によれば、見舞いのために帰省した時、病室で優斗から息子宛ての手紙を託されたらしい。優斗は息子が帰省をせず、現住所もわからないので手紙を渡せない、息子と同じ東京で暮らしている乙藤ならどこかで会えるだろうと手紙を託したらしい。
「ここは大館ではないんだから、知人にばったり会うなんてことはまずない。しかも互いに顔も知らないんじゃ話にならないよ。おまえもよくそんな役目を引き受けたな」
父親ですら住まいを知らないのに他人が会えるはずはない。
「キミちゃんに頼めば済む話だろう。息子ってやつは父親とは口を利かなくても母親とはこっそり連絡を取り合うものだ」
キミちゃんというのは優斗の妻の貴己子で、同じく高校の同級生だった。優斗と貴己子は高校生の頃から付き合っていた。当時、沢木は優斗や乙藤たちと音楽バンドを組み、イベントなどで演奏していたが、卒業後地元に残ったのは沢木と優斗だけだったため、バンドは自然消滅してしまったのだ。
「もう預かってしまったんだから、いまさら仕方ないよ」
「優斗が公園に何かを埋めたというのは優斗から聞いたのか? それとも息子への手紙に書いていたのか?」
暗に優斗の手紙を勝手に読んだだろうという非難の意味もあった。
「読むつもりがなくても、破いたノートにいきなり書き始めたら嫌でも目に入ってしまう」
きっと病室を出た後でこっそり読んだに違いない。彼にはそういう身勝手なところがあった。優斗が息子に渡そうとしているものをこっそり横取りするつもりだったが、肝心の場所が特定できず、やむなく沢木に泣きついてきたというところだろう。
「手紙には何を埋めたと書いてあったんだ?」
「あいにく肝心の埋蔵物については記述がなかったんだ」
優斗の息子のために埋めたものが、乙藤にとって肝心なものであるはずはない。
「何が埋められているかもわからないのに探そうとしているのか?」沢木は呆れた。「優斗が金でも埋めたと思っているのか?」
冗談のつもりだったが、乙藤は真面目な声で「わからない。しかし高価なものが埋まっている可能性もあると思っている」と言った。まるで泥棒の発想である。
「優斗の家が半焼した時のことを覚えているか。その直後に優斗は言っていたんだ。火事になるとすべて焼失してしまう。だから大事なものはすべて地中に埋めておくことにしたと。実際、その後で彼の家に遊びに行った時、彼は本当に庭に穴を掘っていたんだ」
確かに高校生の頃、優斗の家がガスコンロの不始末で火事になったことがあったが、地中に貴重品を埋めるという発想は、所詮高校生の気まぐれか冗談に決まっている。
「優斗は会社員だぞ。会社員は源泉徴収で税金を徴収される。脱税できない優斗が、どうして財産を隠す必要があるのさ?」
「自分のためなら確かにその通りだが、相続税対策だったとしたら話は違ってくる」
相続税の基礎控除額は三千万円を基本とし、加算分は法定相続人の人数によって変わってくる。優斗の法定相続人は妻と二人の子供の合計三人だから、一人あたり六白万円で計算すると千八百万円になり、遺産総額が四千八百万円までなら課税されないことになる。
「優斗の資産総額が四千八百万円を超えていた場合には、遺族には相続税の支払い義務が生じるというわけか」
「その通りだよ。上限を超える額の資産があって家族に相続税の請求が来ないようにしたいと思えば、どこかに現金を隠そうとしても不思議はないだろう」
果たして優斗にそんな資産があるだろうかと、沢木は首を傾げた。勤めていた会社は地元の中小企業で、給料も高くはない。自宅不動産は高が知れているし、安い月給から年間百万円ずつ貯めたとしても、相続税の基礎控除額を超えるためには四十八年を要するのだ。
乙藤がそこまで埋蔵物に固執しているのは、それだけ生活に余裕がないということである。横取りできるものは何でも独り占めしたいのである。もし沢木がバッテン公園の場所を教えていたら、彼は電話を途中で切って、直ちに飛行機に飛び乗っていたことだろう。




