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遺された音源  作者: なやまじ


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12/18

過去との面会

 乙藤誠が入院している病院は練馬区江古田にある総合病院だった。正面入口から院内に入ると、病院特有の消毒液の匂いがした。院内は患者や見舞客で混雑していた。

 受付で彼の病室を訊ねると、裕一が抱えている花束を見て病室は五階だと教えてくれた。

 部屋はすぐに見つかった。ノックをしてそっとドアを開けると、ベッドに上半身を起こして新聞を読んでいる男の姿が目に入った。安い大部屋ではなく個室だったことが裕一には意外だった。

「こんにちは」

 裕一は声をかけた。想像していた通り、亡くなった父と同じくらいの年齢の男だった。裕一は買ってきた花束を渡し、父の葬儀に参列してくれたことに謝意を述べた。乙藤はすぐに状況を理解したらしく、表情を崩し、眼鏡を外して満面の笑顔を見せた。顔色が浅黒いのは長年にわたって太陽の下で旗を振ってきた証だろう。

「あの時の喪主さんか。いや、優斗の息子さんと言ったほうがいいね」

 どうやら葬儀で喪主を務めた裕一を覚えていたらしい。父のことを下の名前で呼ぶところに、親しかった関係が窺われた。

「仕事中に車に追突されたと聞いて、本当に驚きました」

「もう少し若ければ難なく避けられたんだけどな。こんなことは初めてだよ。交通誘導員として恥ずかしいね」

 乙藤は固定された右足を指差して、ばつ悪そうに笑った。

「個室は高かったんじゃありませんか?」

 彼のアパートに届いていたローン会社からの封書が頭を過った。

「大部屋がすべて埋まっていると言われたんだよ。だから仕方なく個室にしたんだ」

 病院内に入った時の賑わいから、地域で人気のある病院だということは推測できた。

「優斗の実家とは家が近くて、小学校から高校まで一緒だったんだ。裕一くんも知っているかもしれないけど、僕は優斗と一緒にバンドを組んでいたんだよ」

 生前の父とそのような話をしたことはなかった。それより、乙藤がバンドのメンバーだったと判明したことのほうが大きい。

「いつからか覚えていないけど、優斗は僕の名前を音読みにしてオットセイと呼んでいたんだ。ふざけていただけなんだけど、僕はその仇名が嫌でね。誰だってオットセイやアザラシなんて呼ばれたら侮辱されたと思うよね」

 現代では、小学校でも仇名で呼ぶことを禁じている。その子の親が付けた正しい名前で呼びなさいということらしい。さらに先生も男の子を『くん付け』では呼ばず、男女を問わず『さん付け』で呼ぶので、子供同士も自然に『さん付け』で呼び合うようになるらしい。

「でも優斗は冗談好きの憎めない奴だったから、うまくやっていたよ。納豆とかオバケとか、もっとひどい仇名で呼ばれていた奴もいたな」

 乙藤の話によれば、バンドを始めたのは高校一年の後半だったらしい。当時はアイドル歌手の全盛期だったが、フォークが進化したニューミュージックやシティポップ、その他にも野心的で新しいサウンドが溢れていた。海外では音楽と映像が一体となったMTVが始まり、多くの日本人が日常的に洋楽を聴いていた時代だ。当時の若者はいまほど国内志向が強くはなく、洋楽が国内ヒットチャートの上位に入ることも珍しくなかった

「いまはもう見ないけど、当時は貸しレコード屋があって、借りたレコードを自宅でカセットテープに録音して、それをさらに友達にダビングさせたりして融通し合ったものだよ」

 乙藤の口から予期せずカセットテープという言葉が飛び出した。

「優斗が特に影響を受けたのは国内外のロックだったけど、特にテレビのチャート番組に出るようなポップなロックバンドが好きだったな。ミーハーだったんだよ。大衆受けするメロディー重視のロックが好きで、結果的に優斗が作る曲もそんな作風のものが多かった」

「やはり父は自分で作曲をしていたんですね?」

「していたというより、半分仕事のようだったよ。高校生なのに、勉強はそっちのけで、一日一善ならぬ一日一曲を実践していたよ。作曲が楽しくて仕方なかったんだろうな」

 高校生だった父が、どれほど音楽に傾倒していたかがイメージできる話であった。

「バンドでは父の曲も演奏していたのですよね?」

「日本のバンドのコピーと優斗の曲が半々だったかな。優斗の曲を演る時は、事前に彼から曲を吹き込んだカセットテープをもらっていた。みんな曲を自宅で覚えてくるから、練習で慌てることはなかったな」

 乙藤の話によって、複製したカセットテープが存在していたことがはっきりした。

「いま裕一くんがフォークギターの弾き語りなどを想像しているのなら、それは間違いだよ。優斗の作ったカセットテープのデモ音源はもっと凝っていたんだ」

「どう凝っていたのですか?」

「多重録音だよ。ギターやベース、ドラムなどの楽器を重ねて録音していたんだ。ただしベースは持っていなかったから、ギターの四弦から六弦を弾いて代用していたと思う。またドラムも空き箱などを叩いて録音していたから酷い音だったけど。優斗は二台のカセットデッキをつなぎ、ダビング中にマイクを通して別の楽器を弾いて音を加え、それを何回も繰り返して、最後に歌を加えるわけだ」

 物置で見つかったカセットテープの音は、いま乙藤が教えてくれたような音だった。つまり、あのカセットテープは父が高校時代に録音したものだったのだ。

「あの当時、多重録音なんて考える奴はいなかった。まだカセットレコーダーが家庭に普及してから十年も経っていなかっただろうし、そんな手の込んだことを考えるのは音楽を作っている奴か変わり者だけだった。田舎の高校生が考えることではない」

 こんなにも音楽にのめり込んでいて、よく卒業と同時に音楽を辞められたものだ。

「当時のカセットテープは、いまでも持っていますか?」

「卒業して上京する時に持参したテープが何本かあるよ」

「上京時に持参したのですか?」

「ああ。優斗の歌が好きだったからさ。彼の書く詞と曲には力があった。大げさに言えば、上京直後の辛かった時期に救ってくれたのは優斗の歌だったんだ」

 幸せだった故郷と比べると、上京したばかりの生活は予想以上に苦しかったのだろう。

「当時のバンドのメンバーを憶えていますか?」

「もちろん。ギターは僕と優斗で、僕がリードギターだった。ベーシストは優等生の田島正範という男で、ドラムは練習用の倉庫を貸してくれた沢木拓郎だ」

 乙藤は昔の仲間の名前をすらすらと答えた。

「田島さんと沢木さんは父の葬儀にいらしたのでしょうか?」

「さあ、来ていなかったと思うよ。みんなバラバラになったからね。たとえ葬儀に来ていても、互いに年をとって容貌も変わったし、すれ違っても気付かなかったかもしれない」

「メンバーで大館に残ったのは父だけだったのでしょうか?」

「いや、沢木も一旦は地元で就職したよ。あいつの家はもともとは資産家で、いずれは家業の養鶏場を継ぐはずだったんだけど、高校生の時に倒産してしまったんだ。卒業後は親のコネで取引先だった会社に就職したんだけど、五年ほどして、付き合っていた彼女と一緒に東京へ行ってしまった」

「田島さんはどうだったのですか?」

「彼は東京の大学を出た後、Uターンして地元の銀行に勤めた。だけど数年後に大手銀行に吸収されて、県外に異動になったんだ。普通、吸収された銀行の出身者は冷や飯を食わされるけど、彼は運よく出世して、風の便りによるとどこかで支店長をしているらしい」

「乙藤さんは彼らと会うことはないのですか?」

「沢木は上板橋でラーメン屋をやっていて、今年の春に久々に電話で話したけど、最後に会ったのはもう十年も前だろう。田島とは高校を卒業してからは一度も会っていない。連絡先も知らないんだ」

 社会に出ると急に世界が拡がり、新たな人間関係が構築される。よほどの親友を除き、旧い知人への関心は年々希薄になっていくものだ。

「乙藤さんが聴いていた父の音源を、最近誰かに聴かせたことはありますか?」

「その質問はプラチナエンブレムのことだろう?」

 乙藤は呆気なくそう言って裕一の顔を覗き込んだ。負い目があるだろうから、決して自らプラチナエンブレムや『オセロ』のことを口にするとは思っていなかった。

「その通りです」

「優斗の家族なら、『オセロ』が彼の曲だということは、当然知っていたんだよね?」

「いいえ。父は音楽の話をしなかったので、家族は誰もあの曲の存在を知りませんでした」

 裕一は偶然カセットテープを発見したことを伝えた。

「優斗とはたまに連絡を取り合っていたから、病気のことは本人から聞いて知っていた。年始の挨拶で電話をした時は、病状が悪化したのかかなり辛そうだった」

 父は去年の暮れ頃から苦痛が増して、一気に弱気になったと母が話していた。

「心配になったので、休暇を取って大館まで見舞いに行った。痩せた優斗を見るのは辛かったよ。その時優斗から手紙を渡された。渡されたといっても、僕の目の前でベッドに寝そべって書いた粗末なものだけど。息子に会ったら渡してほしいと言われてね」

 父が自分にどんなメッセージを残したのか気になった。

「何も僕に託さなくても、親子なんだから直接本人に渡せばいいじゃないかと突っ返すと、優斗は息子が帰省しないから渡せないと言うんだ」

 疎遠になっていたことは事実だったが、乙藤こそいい迷惑だったに違いない。

「優斗も本心では顔も知らない者同士が東京で会えるとは思っていなかったと思う」

 死期が近いことを自覚して、恐らく自分の葬儀で乙藤と息子が接触することを予期していたのだろう。だが乙藤と裕一が接触することはなかった。どうして乙藤は父との約束を守らなかったのだろう。

「その手紙にはバッテン公園の柱時計の足元に何かを埋めたと書かれていた」

 裕一はバッテン公園を覚えていた。父は裕一ならわかると信じてその名称を用いたのだ。

「その手紙はありますか?」

「病院には持ってきていないが、アパートにはあると思う」

 手紙がないことは残念だったが、乙藤の話から内容は大体知ることができた。

「裕一くんはバッテン公園を知っているのか?」

 乙藤はバッテン公園にこだわっていた。葬儀で裕一と接触しなかったのは、先にこっそり公園を訪ねるためだったのではないか。

「まあいい」

「警備会社で同僚だった頃の加倉田さんはどんな人だったのですか?」

「彼とは工事現場でペアを組んだ日に初めて知り合ったんだ。バンド活動をしていることはその時聞いた。髪を黄色く染めていたけど、話してみると真面目な子でね。本気かどうかは知らないけど、音楽をやめて警備員になろうかなと話していたよ」

 生活が苦しいアマチュアバンドは星の数ほどあるが、芸能事務所に所属してもアルバイトなしで生活できないのであれば、人生設計も何もあったものではない。

「どこからもオファーがなくお荷物扱いされていると話していた。次の曲が売れなければ事務所を追い出されると落ち込んでいたので、力になってやりたかった。その時頭に浮かんだのが優斗の曲だった。優斗の曲なら売れるんじゃないかと思ったんだよ」

 普通はそこまで楽観的には考えないものだ。乙藤は自分を救ってくれた曲を過度に神格化しているのだと思った。

「優斗は高校生の頃、これから日本でヒットするすべての曲を自分が作りたいと話していた。みんな冗談だと思って笑ったものだが、あいつは多分本気だった。プラチナエンブレムのヒットによって、優斗が隠れた大作曲家だったことが証明されたわけだ」

「突然カセットテープを渡された加倉田さんは驚いたことでしょうね」

 加倉田の立場に立てば、期待どころか胡散臭さしか感じなかっただろう。たとえそれが素晴らしい楽曲だったとしても、それが未発表曲だという保証はどこにもない。所有権者がいる曲を勝手に自作品として発売したら、バンドの信用は地に落ちる。

「不思議そうな顔をしていたよ。世代が違うから、カセットテープを知らないのではと不安になったが、音楽業界にいるのに知らないはずはない。彼は素直に受け取ってくれたよ」

 その後、乙藤と加倉田が仕事でペアを組むことはなく、加倉田がアルバイトを辞めたことは同僚から聞いたらしい。『オセロ』がヒットチャートを上り始めたのもその頃だった。

「たまたまテレビを視ていて驚いたよ。彼らがあの曲を演奏していたんだから。慌ててネットで作曲者を調べたら、作詞も作曲も加倉田くんになっていた。僕の名前になっていないかなと半分は期待したんだけどね」

 乙藤は作り笑いをしたが、すぐに苦々しい顔つきになった。笑い事ではない。あの曲は加倉田のものでも乙藤のものでもないのだ。

「それは冗談だとしても、もし加倉田くんに会う機会があったら、曲の著作権は秋元優斗にあると伝えていただろう」

 乙藤の言葉をそのまま信じることはできない。彼は自分の曲だと偽って加倉田に曲を渡したのではないか。もし運よく売れれば印税収入を得られるとも考えただろう。しかし曲を受け取った加倉田は自作曲として発表した。乙藤にしてみれば宝を持ち逃げされたような気分だったのではないか。

「加倉田さんからは何も見返りはなかったのですか?」

「音源を渡した時を最後に加倉田くんとは一度も会っていないんだ。見返りどころかお礼の電話すらないよ」

「乙藤さんが父の見舞いにいらしたのはちょうど『オセロ』が売れ始めた頃です。曲について父とは話さなかったのですか?」

 巷で自作曲がヒットしていることを、父がどう思っていたのか知りたかった。

「まったくしなかったね。昔の曲だし、もう覚えていなかったのかもしれない」

 裕一は最後に訊いた。

「ところで、工事現場で乙藤さんの誘導指示に従わず突っ込んできた車の運転手はどんな人だったのですか?」

 裕一は運転手が意図的に乙藤を狙って突っ込んできたのではないかと疑っていた。もちろん証拠を隠滅する目的で、音源の提供者の命を奪うためである。

「年配のおばちゃんだったよ。よそ見運転だね。警察の聞き取りに小さくなって何度もぺこぺこ頭を下げている姿が印象的だったよ」

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