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第1章:推しの正体

「あの、あのあの、ちょっと待って?」


 私はルキの手をぶんぶん振って、後ずさる。混乱しすぎて、もはやパニック状態だ。


「これ、現実? 夢? それとも私がついに正気を失ったの!?」


 ルキは、私の慌てぶりにクスリと笑った。その顔は、画面の中のルキそのままで、心臓がどきりと跳ねた。


「残念ながら、すべて現実だよ。

 いや、世界としては少し“異なる”けどね」


 彼はまるで当たり前のことのように、こともなげに答えた。


「僕は“ノアリウム界”の第五王子。

 本名はネオン・ルクス=フィルドール・ティアレ。

 君の世界では“ルキ”として活動していた」


「ちょ、名前長っ!」


 思わずツッコミを入れてしまった。長すぎる。呪文か何かか?


「はは、こっちの名前で呼んでくれていいよ。ルキで。

 君が僕を好きになってくれた時の名前だから」


 どうやら彼は本当に、別の世界から来た存在らしい。そして、あのアイドルグループ《†Neon Grave†》は、異世界からの王子様たちの集まりだったなんて。私の推し活って、一体何だったの!?


「私、婚約破棄されたばっかなんだけど……なんで推しがプロポーズしてくるの!?

 てか、私と接点どこにあったの!?」


 ルキは静かに、そして少しだけ切なげな瞳で私を見つめた。


「君は、僕を“本当に”好きでいてくれた。見た目だけじゃない。

 僕の歌や言葉、僕が画面の向こうで感じていた弱さや孤独さえ、ずっと受け止めてくれていた。

 君のその純粋な想いが、僕の世界に“扉”を開けたんだ」


「わたしの、推し活が……異世界を、開けた……?」


 あまりに現実離れした話に、私の頭は処理が追いつかない。まさか、推し活が世界を繋ぐなんて、漫画でも読んだことないよ!


「うん。君の魂は、僕の“運命の契約者”として選ばれていたんだよ。

 あとは、君が僕を深く想い、感情が大きく揺さぶられるのを待つだけだった」


「じゃあ、私がレオンにフラれて泣き叫んだのが、トリガーになったと……?」


 ルキは何も言わずに頷いた。ちょっと待って、それって私の不幸につけこんだってこと!? なんか、複雑なんだけど!


 雨の音だけが、世界を満たしていた。ぽた、ぽた、と木の葉を叩く水音。冷たい風が頬をなでる。けれど、ルキ――いや、天ヶ瀬ルキ(本名:ネオン・ルクス=なんとか)の手は、あたたかかった。私の手を握りしめるその温かさが、唯一の現実だった。


「……もう、わかんないよ」


 私はぽつりとつぶやく。目の前のルキは、確かに“推し”の姿をしていた。動画で何百回と見たあの顔、あの声。でも、彼の目は――思っていたよりもずっと深くて、寂しそうだった。画面越しの彼には見えなかった、生身の人間だからこその感情が、その瞳に宿っている。


「私、昨日まで“平凡な推し活お嬢様”だったのに。

 今日いきなり婚約破棄されて、推しが実体化して、異世界王子で、プロポーズって……

 夢じゃなかったらヤバいやつじゃん、これ」


 私が自嘲気味に言うと、ルキの声がやわらかく、だけど少しだけ、寂しげに響いた。


「夢だったらよかった?」


「……」


 返事ができなかった。だって、夢で終わらせるには、彼の体温が、彼の握る私の手が、温かすぎたから。もしこれが夢でも、どうか覚めないでほしいと、心の奥底で願ってしまっていた。


「ねえ、ルキは――じゃなかった、ルクス王子?」


「ルキでいいよ。君が好きになってくれた名前だから」


 ルキは優しく微笑んで、私の顔を覗き込んだ。その微笑みに、胸がキュンと鳴る。こんな甘い顔、ライブ配信でも見たことない。これは、私だけの特権なのかな?


「……じゃあ、ルキは、私が泣いてるの、ほんとに見えてたの?」


「見えてた。ずっと見てた。画面越しじゃなくて、“魂の共鳴”で。

 君の魂の輝きが、僕の世界まで届いていたんだ」


「それ、アイドルがファンに言ったら惚れるやつ……」


「うん。だから、言ったんだ」


 ルキは悪戯っぽく笑った。もう、本当にどこまでもずるい人だ。こんなことを言われたら、どんな女の子だってドキドキしてしまう。私も例外じゃなかった。心臓がドンドコ鳴り響いて、このままじゃ爆発しちゃうんじゃないかってくらいだ。


 不意に、ルキが私の手をぐっと引いた。水たまりを飛び越えて、少し大きな街路樹の下へ。雨足が弱まってきていたけれど、まだ体が冷え切っていた。


「風邪、ひくよ。濡れたままじゃ」


「……もうどうでもいいって思ってた」


「ダメだよ。君は大事な人だ」


 ――“大事な人”。

 たった五文字の言葉が、私の胸に深く深く刺さった。まるで、乾いた心に染み渡る一滴の水のようだった。


 誰かに「大事」だって言われたの、いつぶりだっただろう。婚約者だったレオンには一度も、そんなふうに言われたことなかった。私はずっと、誰かの“持ち物”で、“責任”で、“義務”だった。両親にとっても、私は名家の娘という役割を果たすための存在だった。


 でも今、目の前の彼は、私を“選ぼうとしている”。しかも、私の意思とは関係なく突然現れて、一方的に私を大事だと言ってくれる。これって、もしかして、私の人生で初めて、誰かに“私自身”を求めてもらえたのかもしれない。


「……ねえ、本当に連れていけるの? 君の世界に」


 私は不安を抱えながらも、彼への興味が止められなかった。新しい世界。新しい自分。そんな可能性が、少しだけ、怖さを上回ってきた。


「できるよ。契約の儀をすれば、君は“星の花嫁”になる」


「星の……なに?」


 ルキは優しい声で説明してくれた。


「僕たちの世界では、異世界の魂と結びついた者を“星の婚約者”と呼ぶんだ。

 魂同士が引き合って、未来を変える存在。君はその資格を持ってる。

 僕の魂は、君の輝きに呼ばれて、ずっと君を探していた」


「うーん……つまり、推しと合法的に結婚できる契約?」


 私が尋ねると、ルキは即答した。


「そうだよ。僕の世界で、永遠に」


 私は一瞬笑いかけて、でもまた視線を落とした。確かに、推しと結婚なんて夢のような話だ。でも、その代償は?


「……でも怖い。行ったらもう、こっちには戻れないんでしょ?」


「うん。魂の結合が完了すれば、戻ることはできない」


「知らない世界で、知らない人たちに囲まれて、知らない自分で生きるの、たぶん……私、怖い」


 初めての場所、初めての経験は、いつも私を臆病にさせる。地味で目立たない私は、ずっと波風立たない人生を送ってきた。そんな私が、いきなり異世界に行って、王子様と結婚? それはあまりにも突拍子がない。


「うん、それでいい。怖いって思える君が、僕は好きだ」


 ルキは私の不安を否定せず、ただ優しく受け止めてくれた。その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「え……?」


 ルキがそっと近づく。雨の粒が彼の肩に落ち、銀の髪が、濡れながら揺れた。彼の甘い香りが、雨の湿った空気の中にふわりと漂う。


「怖くても、ちゃんと立ち止まって考えようとするところ。

 誰かに言われたからじゃなくて、自分で選ぼうとするところ。

 僕は、そういう君の強さに惹かれたんだ。だから、守りたいって思った」


「……ルキ……」


 私の心を丸ごと見透かされているような気がして、顔が熱くなる。こんなにも真っ直ぐに、私の全てを受け入れてくれる人がいるなんて。レオン様は私の容姿や家柄しか見ていなかったけれど、ルキは、私の内面まで見てくれている。


「君が泣いてる姿、胸が張り裂けそうだった。画面を割ってでも手を伸ばしたかった。

 あの時、君を傷つけた奴を、僕がどれだけ憎んだか……だから――もう泣かないで」


 彼の大きな手が、そっと私の頬に触れる。ひんやりと冷えた肌に、彼の指先が熱い。


「……君を愛してる。たとえ、この命をかけても」


 そして――


 唇が、そっと、私の額に触れた。


 それはキスというには軽すぎて、でも、抱きしめられるよりも深くて、私はただ、息をのむしかできなかった。彼の唇から伝わる温かさと、彼の言葉が、私の心を震わせる。頭が真っ白になって、もう何も考えられなかった。


「契約の扉は、君の意志で開く。僕は急がせない。君が納得するまで、ここで待っているよ。

 ……でも、僕の世界には君が必要なんだ。君がいなければ、僕の歌は完成しない」


 私は頷くこともできず、ただ雨の中で、彼の赤い瞳を見つめていた。まるで、夜空に浮かぶ赤い星のように――私の未来を、大きく変えそうな光だった。この一歩を踏み出すかどうかは、私次第。


 新しい世界への扉は、目の前で静かに私を待っている。

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