第8章:運命の血と、罪深き甘やかし(前編)
静まり返る大広間。
ノアリウム界の荘厳な空間は、ただならぬ緊張感に包まれていた。
玉座の間を埋め尽くす臣下の視線、そして何よりも、目の前の三人の王子たちの視線が、私に突き刺さる。私の心臓はドクンと高鳴り、全身の血が逆流するかのようだった。
長男のゼフィロス王子が、静かに口を開いた。彼の声は、いつも通りの冷静さを保っていたが、その言葉の重みに、私は息を呑んだ。
「教国は、星の鍵の力を“聖遺物”として崇めていた。古来より、彼らの教義において、“星の鍵”は世界の均衡を司る至高の存在であり、その力を制御できるのは、聖なる血筋を持つ者のみだと信じられている」
ゼフィロス王子の言葉が、大広間に響き渡る。まるで、千年もの時を超えて語り継がれてきた伝説が、今、現実のものとなるかのように。
「そして、彼らは先日、我らノアリウム界に対し、正式に要求してきた。彼らの言う“聖なる血筋”に連なる者を、星の鍵の伴侶とするために……君を、ほのかを“聖なる伴侶”として引き渡すよう、強く要求してきた」
彼の視線が、私に注がれる。その瞳は、いつもは理性的でクールなのに、今はどこか深い憂いを帯びているように見えた。
「なっ……!そんな、私を勝手に……!?」
私は思わず声を上げた。私がこの世界の命運を握る“星の鍵”だというだけでも信じがたいのに、今度はどこかの教国に引き渡されるだなんて。
私の知らないところで、私の運命が決められようとしている。
「そんなの、絶対に渡さない!!ほのかは僕の“鍵”だ!誰にも、渡したりしない!!」
ルキが叫んだ瞬間、広間の奥から、一人の青年が、ゆったりと歩いてきた。
その姿に、全員が息を呑む。漆黒の軍服、白銀の短髪。
冷ややかな切れ長の瞳に、王子らしからぬ刺青のような紋章が、首元から覗いていた。まるで、闇夜から現れた幻影のようだ。
「……やっとお出ましですか、ノクト兄さん。随分と、遅かったですね」
ルキの声が震える。その声には、怒りだけでなく、警戒と、そして少しの恐怖が入り混じっていた。
「第四王子・ノクト、教国との密約を一手に握る、影の王子。誰も彼の真意を知らない。彼の扱う“暗黒魔術”は、時に人の魂をも操ると言われている」
ゼフィロス王子の静かな説明が、私の耳に届く。この人が、あの“無口で影のような存在”と噂されるノクト王子なのか。
その存在感は、他のどの王子よりも異質で、危険な雰囲気を放っていた。
「ほう……だが、一つ訂正させてもらおうか。俺は“影”ではない。闇の支配者だ」
ノクト王子は、ゆっくりとこちらを見た。その目が私に向いた瞬間、背筋がぞくりとした。
まるで、心の内側まで見透かされているかのような、ゾッとする視線。
「君が、“星の鍵”か。……近くで見ると、ずっと可愛いな。なるほど、これでは兄弟たちも夢中になるわけだ」
「えっ、あの……ありがとうございます?」
思わず返事をしてしまうほど、彼の言葉には不思議な魅力があった。私の困惑を、彼は楽しんでいるようだった。
「俺の試練も、やってもらうぞ。形式など不要。君には、直接、体感してもらおう。俺の“力”と、“愛”を」
「えっ!?ちょ、ちょっと!?何を体感するっていうんですか!?」
彼は突然、私の腕を取って自分の方へ引き寄せた。ふいに腕の中に閉じ込められ、私は息を呑む。
彼の体に密着し、鼓動が聞こえるほどの距離。
その体温は、ルキやセレス王子とは違う、熱く、ねっとりとしたものだった。
「ノクト兄さん、放して!!ほのかが嫌がってるだろ!!」
ルキが怒りの声を上げる。その声は、普段の彼からは想像できないほど、激しいものだった。
「王子として接するつもりはない。俺は、女にこういう風に迫る主義だ。お前が怯えたら——そのときは、俺が甘く守ってやる。逃げ場のない甘さで、お前を溶かしてやる」
彼の顔が近い。ルキのキスとは違う、獣のような熱と支配の気配。彼の吐息が、私の首筋にかかる。肌が粟立つ。
「君の唇が、誰のものになるのか——この兄弟の中で、決めてみせるよ。教国など、関係ない。星の鍵は、俺が手に入れる」
その場の空気がピリピリと張り詰める。ルキが拳を握り、セレスが口を引き結び、ゼフィロスが静かに目を伏せる中——
ノクト王子はにやりと微笑んだ。その笑みは、獲物を捕らえた肉食獣のように、恐ろしくも魅力的だった。
「だがまず、女を落とすなら……甘やかすところから始めなきゃな。君が抗えないほど、甘く、蕩けるように」